聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

意味の上での念

意味の上での念

 

今回は、意味の上からの分類です。

念を大きく分けると、高級念と低級念があります。

高級念は、滋念・和念・法念・光年(明念)の4種類に分けることができます。

 

滋念  いつくしむ

    あわれむ

    めぐむ

    愛する

    かわいがる

    大切にする

 

和念  仲良く

    ともに

    平和

    繁栄

    向上

 

法念  教育

    育成

    導き

    指導

    順法

 

光年  不安

(明念)恐怖

    自信喪失

    不信

    暗陰

    邪

    魔

    傲慢

    偏屈

    陰湿 

光年(明念)は、上の赤い字の想いを解消するという事です。

 

低級念は、悪念(攻撃)、欲念(排他)、疑念(疑い)の3種類です。

ここでいう悪念とは、方向性からの分類で定義づけた低級霊の思考の゛悪念”より狭い意味でのものです。

広い意味での”悪念゛だと、欲念も疑念も共に悪念に含まれます。

 

悪念(攻撃) 相手に対する怒り、恨みなどの攻撃的な念

欲念(排他) ゛○○が欲しい” 〝自分さえよければ……”という他を蹴落としてでも自               

       分が欲するものを手に入れたいという排他の念

疑念(疑い) 神・仏・霊を否定し、相手を信じることができない迷いの念でもある 

 

ここでもなのですが、高級念、低級念のいずれもが、単独であらわれることはほどんどありません。

以前と同じで、高級念が低級念になることもあるし、低級念といえども結果的に高級念になる可能性もあるのです。

 

人の心というものは色々な念が絡み合っています。

一瞬はたった一つの念を発している魂だったとしても、続く次の瞬間には、全く違った念発していることが人間の魂なのです。

 

人間の魂は、念というものも交錯し、絡み合った状態で、私達の周囲を飛び交っているのです。

 

念の分類というのは、ここで書いただけでなく、いろんな分類方法があります。 

 人の心、そして念というものは、世の中で一番複雑であり、やっかいであり、またもっとも重要なものであり、全人格の中心であります。

 

 

 

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髪の毛が・・・

 

最近の私は、年齢のせいもあると思うのですが、若かった頃は髪の毛が硬く太く多かったので、放っておくとボンバーのような頭になるのが悩みでしたのに、今の私の髪の毛は細くなり腰もなくなって、べたッとしてボリュームがなく、これもまたまとまりにくくなっていました。

 

若い頃とは真反対になってしまいました。

何となくですが、聖の親様に「わたしの髪の毛に腰があり、しっかりとまとまる髪の毛になりますように、お願いします」とお願いしてみました。

 

はたしてこんなお願いをしていいのかどうかわかりませんでしたが、お願いをしたところ、髪の毛の量はたぶん変わっていないはずなのに(抜け毛はあまりないから)、べたッと頭に張り付いていたような髪の毛でボリュームがなかったのが噓のように、髪の毛にボリュームが出てまとまりやすくなりました。

 

何だか目の前の私の頭が変わってしまったので、嬉しいのですが、これが夢である日突然またべたッとするのではないか、と不安を感じながら鏡を見てはほっとしています。

 

私のあの腰のない髪の毛の原因は、年齢のせいではなくて憑依霊が原因だったのでしょうか?

 

 

 

 

 

       

   

     

良念が悪念に、悪念が良念に・・・

大谷翔平選手も・・・

 

前回の記事で、自分の背後には聖の親様をはじめ先祖霊とかいろんな背後霊がおられ、その高級神霊や背後霊等がじぶんを見守ってくださっていて、時にはお力をくださるという事を学んだせいか、単純な私は、なんだかとても安らかな気持ちになっています。

 

今、大谷翔平選手がアメリカの大リーグで大活躍をしています。

もしかしたら彼自身の魂の親様の力も強いこともあるし、彼のずば抜けた身体能力の高さもあると思いますが、 背後に大きな神霊のお力もあるのかもしれません。

もちろん彼の努力もあると思います。

 

それにしても、四球だらけで戦えないと思っていたら、並外れた足の速さで盗塁もすごいのですから。

とうとう敵地のファンにまで、期待をさせるのですから凄いですね。

 

 

 

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念の良性と悪性

 

今回は、念を方向性から見てみたいと思います。

方向性というとわかりにくいですが、大きく分けて念が高級神界を志向する良性のものと 低級霊界・地獄界を志向する悪性のものとがあります。

念をこのように分けると、とても単純で分かりやすいのですが、実際はなかなか難しいのです。

 

相手に対して良かれと思ってしたことが、かえって相手に反発心や憎悪の心を起こさせて、結果としては悪いことになったりすることがあります。

反対に相手をやっつけてやろうとしたことが、逆に相手が発奮をしてしまい結果的には良い結果になったりすることもあります。

 

私なども大した経験ではありませんが、子供が小学生中学生、高校生になってくると親が子供の将来を心配をして言ったことが、子供には負担になったり、反発を招いたりした経験がいっぱいあります。

これも過度に過ぎると、親の良念が子どもには悪念を起こさせてしまうということになります。

 

そうはいっても、今のこの年になっても子供の小さかった頃にタイムスリップして、個々に違う子供への対応が適切に接することができるかというと自信がありませんが……

 

隈本確先生は、大事なことは親が子供に対して、良いと思ってしたことであっても、 結果的にこどもに悪念を起こさせるようなことであれば、それは決して良念とは言えないと書かれています。

念の良し悪しというのは、自己がそれを発した時点においては、なかなか判断がつかない事が多いというのです。

その念が相手の心にどのように反映したか、という事が問題だというのです。

 

子供の将来を考えることもいいのですが、まずは目の前の今の子供の〝心”というものを一番に考え、親が子供の心・思いを大切にすることが大事だと書かれています。 

 

これは永遠のテーマですね。

魂の力と霊の念の力

念エネルギー

 

念エネルギーの発生の原理、というものを考えてみましょう。

 

私達人間が五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を通して感じたことが頭脳(知恵)にながれます。

そして、その感じたことを知恵が、過去から今日までに習得した知識や体験に基づいて、判断します。

知恵が下した判断は、即魂(心)に伝えられます。

 

その後、知恵が下した判断した資料に基づいて、魂が自分を取りまく想念、すなわち潜在意識下で、そのことについて最終的な決断が下されるのです。

 

この魂からの最終的な決定、および命令の持続が意志エネルギー、念です。

そして、この最終的に魂から発せられたこの念に対して、知恵(頭脳)も肉体もほとんど従います。

 だから、人が強い念を込めて〝やろう!”と決意した目標に対しては、その思いが続いている限り、当人の知恵も肉体も全力をあげてその目標達成の方向に突き進んでいくのです。

 

例えば、Aさんが素晴らしいアイディアを思いつきました。

そのアイディアというのは、商品化すれば世の中の人にとっては大変役に立ち、喜ばれるもであり、Aさん自身も今の経済的に苦しい生活から間違いなく脱出できます。

でも、そのアイディアは、商品化するには、かなりの資本もいるし、数人の優秀なスタッフも必要です。

 

こういう状況になった時、個人差が出るのではないでしょうか。

今の自分には無理、といってすぐにあきらめる人もいれば、何が何でも成功するまで努力を続ける人もいるでしょうし、ある程度まで頑張ってみたけれど無理だったとあきらめる人もいるでしょう。

 

 Aさんは自分の考えたアイディアを何としても成功させたい(目標達成意識)と、考える人でした。

Aさんの魂から゛やれ!”という強い指令を受けているAさんの知恵と肉体は、Aさん自身も気がつかない無意識のうちに目標達成に近づくためのチャンㇲを常に狙っています。

たとえ、それがどんなに些細なことであってもです。

 

そして、ある時小さいけれどチャンスの糸口を見つけました。

不思議なことにそれからチャンスは次から次へと、Aさんの周囲にやってきました。

これは、Aさんの強い念の力(魂の力)が、物理作用をもって、チャンスをAさん自身に引き寄せているのです。

 

この人間自身の念と同時に、霊の念の存在も関係してきます。

Aさんが自分のアイディアをどうしても成功させたい、と強い思いの念を増幅させているときに、Aさんの守護神や背後霊の念が加担すると、人間界の理屈を超えた奇跡のような力が生まれるのです。

 

優柔不断の人や人生の落後者と言われる人たちは、この魂の働きが弱い場合が多いようです。

 

 

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実際の成功者の場合

 

よく成功者の話を聞いたり読んだりすると、あきらめない、どんなに辛くても苦しくてもあきらめないで続けたからだ、ということがあります。

こういう人達も本人の念の力(魂の力)が強かっただけでなく、その人の守護霊や背後霊の念も大きく関係しているのかもしれませんね。

 

この話は信じるかどうかは、読んでいる方次第です。

私も長い間超神霊エネルギーをひくようになると、エネルギーの力を感じるようになりました。

 

そうすると、日常私の身の回りにいる人達より、テレビに出ている人達や、政治家、実業家と言われる人達の方がエネルギーの力が強く感じました。

それは、本人の念のエネルギーの力よりもっと力の強いエネルギーの力を感じることが多かったので、やはりこういう成功している人達というのは、背後に守ってくれる大きく強い力の働きも大きいのではないかと思っていました。

 

もちろん本人の〝自分はこうなりたい”という強い想いと努力があって初めて、守護神や背後霊が力を貸そうと思われるんだと思います。

 

今回の話とは違うかもしれませんが、こういう自分になりたいとか、自分はこうありたいという強い思いをもったら、毎日自分に何度も言い聞かせるといい、と教えてもらって実行したら本当に願いがかなった、という事を聞いたことがあります。

 

もしかしたら、この話も自分の念に毎日言うことで願いがかなったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

  

生きている人間の念と死者の念

生者の念と死者の念

 

人間界の人間の念と霊界の霊の念には違いがあるそうです。

 

人間の念

人は毎日の生活の中でいろんなことがあり、そこで色んな感情がわき上がってきます。

 

夫婦も一緒にいる時間が長くなると、お互いの欠点が目につくようになります。

そうすると些細なことも気になり、それが喧嘩の原因になったりまします。

ところが、子供が間に入って一緒に話をしているうちに喧嘩をしていたこともすっかり忘れて、いつの間にか仲が良くなっているという事もあります。

 

仕事で上司にものすごく叱られて落ち込んでいると、仕事が終わってから上司に飲みに誘われ、飲みに行ってそこで、上司からねぎらいの言葉や上司と打ち解けているうちに、すっかり前向きになっているという事もあります。

 

こういうことは、人間の肉体が断層地帯となって念の継続を遮断しているというのです。

この場合は、相手に対する良くない感情の念は即念として解消されてしまうのだそうです。

 

良くない感情というのは、人は長く自分の中で持ち続けることを、本能的に解消しようとするそうです。 

そのために、気の合った友人と食事をしたり飲みに行ったり、買い物に行ったり、スポーツをしにジムに行ったりして気分転換をはかろうとします。

 

その他に、ものの考え方を変えたりします。

上司に叱られたとしても、上司は自分のために𠮟ってくれたんだと、考え直したりします。

 

死者の念

霊とは肉体を持たない死者の念です。

肉体を持たない死者の念は、肉体という念の断層地帯がないために、気持ちを切り替えるという即念がなかなか難しくなるようです。

その念の想いが、時間の経過と共に増大していくのだそうです。

 

  

 

   

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常に聖の親様と共に

 

私たち生きている人間は肉体を持っており、それが念の切り替えに役に立っているとは思いませんでした。

確かに即念にしろ、持続念にしろ、イヤな想いというのは本能的に解消しようとしますね。

こういうところが、隈本確先生の凄い分析力だと思います。

 

この気持ちの切り替えというのは、私が思うには早いほどいいです。

 私はこの気持ちの切り替えが下手です。

まるで一生の課題だったと思うくらいです。

若い時よりはましになりましたが、未だに下手です。

 

死者の念は、生者の念で悩みや恨み、等の感情が自分で制御できなくなって迷路に入ったみたいに、自分の感情だけにとらわれてそれしか考えられなくなった、そんな状態と同じだとしたら、それこそ地獄ですね。

 

隈本確先生が、よく常に聖の親様を意識してください、聖の親様に包まれているようにとか、常に胸に聖の親様がいらっしゃると思って生活をしてください、と言われるのはこういう事なのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間から見た念

念は魂から発せられる意志エネルギー

 

念=魂から発せられる意志エネルギーです。

魂から発せられる意志エネルギーと考えると、その意志エネルギーにもいろんな種類や段階があります。

 

例えばです。

゛いつかアイドルになりたい”

゛いつかバックパッカーで世界を回ってみたい”

゛大学を卒業したら、あの会社に入ってバリバリ仕事をしたい”

゛いつか政治家になって、この国を変えたい”

゛医者になって、病気の人を救いたい”

と、人が心の中に秘めている希望は、色々あります。

この希望も念だそうです。

 

念と言うのは、今までのイメージでは、あまりいいイメージがなかったのですが、希望も念だとすると、確かに魂から発せられる意志エネルギーですから念ですね。

これも目からウロコです。

まさか希望が念だとは思いませんでした。

 

希望とは真逆の念もあります。

゛あいつを一生呪ってやる”

゛あの恨みを死ぬまで忘れない”

とかありますが、この方が今までの念のイメージにあっている気がします。 

 

念を今までと違った見方として、時間的側面から見ますと、こういう長期にわたって発せられる想いを持続念とか継続念と言うといいます。

 

霊界入りをした霊のほとんどは、このような持続念を持ち、発し続けているそうです。

 

持続念とは逆に瞬間的な念を、即念と言います。

例えば

゛あの舞台で主役の人が現れた瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けた”

゛宝くじの一等が当たって、天にも昇る気持ちになった”

゛彼からプロポーズをされた時は、やったー!と思った”

゛子供の病気が医療ミスだとわかった時、担当医を殺してやりたいと思った”

゛ある言葉を聞いた時、ものすごい怒りの感情が沸き上がって来た”

のような瞬間的に湧き上がってくる喜怒哀楽の感情のほとんどが、即念です。

 

念をこんな風に分析できるんですね。

考えたこともありませんでした、と言うか、以前読んだはずなのですが、全く覚えていません。

やっぱり読み返すことは大事です。

   

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私の苦い経験

 

私の場合は、即念の想いで行動すると、後でしまった!と後悔することが多かったです。

私の若い時の苦い経験です。

子供の頃から10代後半くらいまでの私は、思ったらすぐに言葉に出す、と言うより、出てしまうタイプでした。

 

ずいぶん失敗をしてきました。

ある時、ある先生のことを皆裏では文句を言っていました。

私もその先生には不満がありました。

とうとう私は我慢の限界が来て、先生に直接自分の不満を感情的にぶつけてしまいました。

 

それは、翌日には学校全体に知れ渡ってしまいました。

先生から直接私に何かを言われることはありませんでした。

他の先生が、生徒たちにフォローをして、そのことは終わりになりました。

でも、生徒同士の間では、私はすっかり怖い人になってしまいました。

 

私からすれば、みんなだって陰で同じことを言っていたのに何で?私だけ怖い人のイメージになるの?と思いました。

が、それからは自分の思いは表面に出さず、周囲を観察して自分の言動を決めることにしました。

 

それからは、苦い経験がぐっと少なくなりましたが、時々本当にこれでよかったのか……と疑問に思うことがあります。

たまにですが、若い頃の私によく似た人を見ると、その人をいとおしく思う時があります。

そのほかに、周囲の反応が自分とは反対なのに、自分が正しいと思ったら貫いている人を見ると、私はもしかしたら大事なものをなくしたのかもしれない、と思うと気があります。

時代によって価値観が変わる

不倫の話 

 

今回は念の話をするつもりでしたが、急遽変更することにしました。

念の話は、次回にしたいと思います。

このブログの記事の最初の記事は不倫の話でした。

その記事にコメントいただきました。

高木さんはご主人が謝って丸く納まったけれど、修羅場になる夫婦と修羅場にならない夫婦の違いは何だろう、というものです。

 

この話に入る前に、少し私の考えを書きたいと思います。

ブログを再開するときは、理想ばかりでなく現実の生活に沿ったものにしたいと思っていました。

それとブログを再開するときは、この不倫の話から始めようと思っていました。

 

ところがいざ始めようと思うと、この高木さんの不倫の話は、正直理想的過ぎて現実にこんなことをできる人は少ないだろうと思いました。

自分の今までを反省して、ご主人に対してしっかりと向き合い、心を込めて接するということまでは多くの人がしようと思うし、実行に移す人もいると思います。

でも、ご主人の不倫相手のところまで行って、ご主人の着替えやその他諸々をもって「主人をよろしくお願いします」と挨拶に行く人は、相当少ないでしょう。

 

そんなわけで私は、いざ記事を書こうとパソコンの前に座ったのですが、書けなくなってしまいました。

実を言いますと、そんな状態で一年以上過ぎてしまったのです。

どう書いたらいいか、考えに考えたあげく、書いたのは客観的に見ると無難な内容になってしまいました。

 

自分でもどう書いていいか迷った挙句、自分の中で出した結論は、今回の高木さんの話で隈本確先生がいいたかったことは、神の心を持つことです。

それなら、そのまますべてを受け入れたほうがいいか、と思いあのような記事になりました。

でも自分の中では、あまり納得していませんでした。

 

最初の内容から初心の想いが、ずれてしまいました。

ただこれからこのブログを書き続けていけば、この件に触れる時が来るかもしれないので、その時に私の気持ちをかけたら書こうと思っていました。

こんなに早く書ける時が来るとは、思っていませんでした。

ありがとうございます、感謝いたします。

 

 

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改めて考える

 

今改めて高木さんのご主人の不倫の話を、考え直してみました。

ふと思ったのが、私が長い間迷っていたのは、ご主人の不倫相手に会いに行って「主人をよろしくお願いします」という高木さんの行動なのですが、この行動は今の時代では受け入れられるかどうか、という事だという事に気がつきました。

たぶんですが、今の若い人がこのお話を読むと違和感があるかもしれないと思いました。

 

ご主人の不倫相手の所に行って「主人をよろしくお願いします」とまでするという事は、今の時代、考えようによっては危険かもしれません。 

隈本確先生の時代や私の若い頃なら、たぶん美談になったと思います。

当時は妻が夫に尽くす、という事は良妻ということになっていましたから。

 

さて、質問の不倫が修羅場になる夫婦と修羅場にならない夫婦の違い、という事ですが、これは私の個人的な考えですが、高木さんの場合で言うと、高木さんが神の心でご主人に向かい合って努力の結果でもありますが、ご主人もご主人の不倫相手も高木さんの行動を受け止めるだけの良識を持っていた人達だったから、修羅場にならずうまくいったのではないかと思っています。

 

よくいろんな宗教で言われていることですが、本人が努力をすればすべてが解決すると言うことがありますが、本人の努力で周囲の人たちが変わることがよくあります。

でも残念ながら、本人の努力でどうにもならないこともあります。

 

高木さんの例で言うと、高木さんが神の心でご主人やご主人の不倫相手に接したとしても、ご主人の心に響かないことも残念ながらあると思います。

 現実には、ご主人の不倫相手が高木さんの人の好さに付け込んで、ご主人を完全に自分のものにする可能性もあります。

そうなると修羅場になる可能性があると思います。

 

神の心でご主人に接したとしてもご主人の心に響かなかったり、ご主人の不倫相手がそのままご主人を奪っていくことも考えられますが、その時は聖の親様に解決のお力やお知恵をいただくことによって前を向くことができるのではないかと考えます。

 

隈本確先生の見たところ、高木さんという人には高級な先祖霊の方々がついているという事でした。

その高級な先祖霊か、高木さんの魂の親様かわかりませんが、きっと解決へのお知恵とお力をくださることでしょう。

 

私が聖の親様から、または聖なる御霊親様からエネルギーをいただくことだけでなく、日ごろから自分の魂の向上を自ら意識するという事の大切さを言うのは、こういうことだと思っています。

 

 凡人なのでうまく説明ができませんが、魂の格が上がることで日常生活がスムーズになるという事もあるでしょうが、それだけでなく自分の魂の親様が自分の中で力を付けて大きくなれる器づくりも大切なのではないかと思っています。

 

修羅場にならない夫婦は、お互いに良識を持っている夫婦は修羅場にならないと思いますが、修羅場になる夫婦は、片方が良識があってももう片方が良識がないと、修羅場になる可能性があると思います。

 

以上が私の考えですが、また違う意見がありましたら、ご意見をください。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に日本神霊学研究会

本当に神霊研究会だと思った 

 

隈本確先生の「大霊界」のご本を読んでいると、日本神霊学研究会という名前の通り、本当に神霊の研究の本だなぁ、と感心してしまいます。

かつて、これほど神霊のことを冷静に分析をして研究した人がいたでしょうか。

 

 今回は、念のことです。

今までは、加念障害、返り念障害、自念障害と、これらのことを教えていただきました。

これからは、念というものをまた違う違う角度から見るというものです。

 

 その前に魂というものをあきらかにします。

魂とは人の心ですし、そして霊魂でもありますし、生霊でもあります。

魂とは生命のもとであり、意志の発現体であり、人の毎日の生活を支配している深奥の指令者でもあります。

 

 人の肉体と知恵が消滅すると、魂だけが残ります。

これが死を意味しますが、しかし、死とは、魂の新世界への誕生でもありあっます。

初めの念の話に戻りますが、念とは人間の魂が決定し、意志として放出するエネルギーです。

 

次回からしばらく、念のことを書きたいと思います。

 

 

 

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以前の私

 

念とはあまり関係のないのですが、以前私は、頼まれれば霊流を流していましたし、具合が悪くて辛そうな人にも頼まれなくても遠隔治療でに勝手に霊流を流していました。

でも、頼まれたので浄霊をした結果良くなっても、頼んだ方は頼んだこともすっかり忘れていて、病院に行っていて良くなったと思っている人もいたり、実際浄霊をして良くなったとしても、それが浄霊のおかげだと認識ができない、という人に何人かに出会ってから、私は霊流を流してあげる人は、聖の親様にきちんと向きあえる人に限定してしまいました。

せっかくのありがたい神様からのエネルギーを、軽く考え過ぎだと思ったのです。

目に見えないだけに難しいですね。

 

弟にいとこが公私ともに大変なことが続き鬱になってしまったので、浄霊をしてほしいと言われたので、浄霊を遠隔治療で毎日行いました。

流し始めた頃は、いとこを思い浮かべただけで、胸の中は嵐が吹き荒れていました。

いとこの魂の親様なのか、いとこ自身なのかわかりませんが、私の胸の中でものすごい勢いで回転をしていました。

 

台風の目というので、ぐるぐる回転した写真がテレビなどに出ますが、私の胸の中でもの凄い勢いでああいうものが回転していました。

この状態で長い間浄霊を続けるのは危険だと思い、少しづつ毎日続けました。

それを半年ほど続けましたら、穏やかになったので大丈夫だろうと思い終わりにしました。

 

その後、弟からは何の連絡もなくそのままにしていましたが、ある時弟と電話で話す機会があって、いとこのことを聞いてみました。

そしたら、いとこは今ではすっかり良くなって、自分の会社を興して会社も今は順調だという事でした。

 

弟は、病院に通っていて治ったというようなことを言ったので、私が遠隔で浄霊を半年ほど続けていたことを言うと、弟は自分が私に頼んだことはすっかり忘れていました。

私は、それでがっかりしてしまいました。

 

他にもあったのですが、私としてはその話が一番ショックでした。

そういうことがあってからは、きちんと聖の親様と向き合える人だけにしました。