聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

動物霊のたたりは非常に力が強くて恐ろしいもの?

タヌキの霊のせいで、キツネの守護神が逃げていく?

 

日神会の会員の知人の内藤京子さんから聞いた話です。

 

会員の末広信子さんに連れられた内藤さんは、その場で持病の腰痛が治りました。

 

ですが、治療後、屈託のない調子で語り始めました。

 

「私は、もともと霊とかオカルト現象にとても興味があって、いろいろ行者とか祈祷師のもとへ通ったこともありました。

でも、今から考えると、自分でもおかしくなってしまうようなことが沢山あります。

キツネやヘビの霊が憑いていると言われて、油揚げをあげて拝みたくったり、呪符を飲んだりもしました。

最近、末広さんに勧められて、先生のご本を三冊たて続けにによんで、これまで自分がしていたことのおかしさに気が付いたのです。

でも、私は、一つだけ、今考えてもゾッとするようなことをしちゃったんですね。

こればかりは、笑い事ですまされないんですが……。

実は、私は5年ほど前に性格がどうしても合わないという事で協議離婚をしたんですが、この主人が分かれた直後から、しつこく復縁を迫り始めたんです。

一旦は離婚しておきながら、とにかく常識では考えられないくらいしつこく、執念深く絡み始めたのです。

一人住まいの私のアパートに夜中の2時、3時に電話をかけてくるのはほとんど毎晩でしたし、時には、本人がやってきてアパートの戸をどんどん叩くようなこともありました。

もちろん、何度も話し合いをしたのですが、全くらちがあきません。

それで、とうとう、私はある祈祷師のところに駆け込み、何とか、別れた主人がうるさく付きまとわないしてほしいとお願いしたわけなんです。

すると、その祈祷師の先生、ジーッと私を霊視してくださいまして、だしぬけに言いました。

“あなた、タヌキの肉を食べたことありませんか?”

“エーッ、タヌキを!まさか。

タヌキなんて、とんでもない!!”

“ウーム、では、あなたの一代か、二代のご先祖かな、とにかく、タヌキを食べるとか、殺すとかしているね。

本来は、あなたにはキツネが守護神としてついているんだが、このままではキツネが逃げてしまうよ。

早く何とかしなければ……”

“エーッ、私にキツネが?”

“そう、キツネがあなたを守っているんだけどね。しかし、今のままではタヌキにやられてしまうよ”

“へーッ、そんなものなんですかァ”

文字通りキツネに包まれたような気分になった私は、聞いているうちに、何となくおかしくなってきて、ついニヤニヤしてしまったのです。

すると、その祈祷師は厳しい口調で言いました。

”あなた、笑っている場合ではないよ。

動物霊のたたりというのは、非常に力が強くて恐ろしいものなんだから、そんないい加減な気持ちでいると、そのうちに命をとられてしまうかもしれない”

 

次回に続きます。

 

 

   

 

 

真実の大霊界の姿が伝わってほしい

 

 

こうやって、動物霊のたたりと言われた人の話を読んでいると、やっぱりおかしいですね。

 

私も子供の頃から大人の会話の中に、よく動物霊の話が出ていたので、何の疑いもなく動物霊はいるんだと思っていました。

 

○○さんには、タヌキの霊が憑いているとか、▽▽さんにはキツネが憑いているとか、××さんにはヘビの霊が憑いているとか、大人たちは日常の中で言っていました。

 

でも、今考えてみると確かに動物というのは、人間のように強い念を持っているとは思えません。

 

私達日神会の会員信者は、動物霊はないという事を知っていますが、世間ではまだ信じている人が多いと思います。

 

それとは別に、動物霊はいないけれど他のものの霊が、という人が出てくるかもしれません。

 

○○の霊が憑いているとか・・・

 

いつか真の大霊界の姿を全世界の人に伝わることを願っています。

 

 

 

 

まんじゅうを川に流す

タヌキの霊をはずす方法

 

隈本確先生の治療所に治療依頼に見えた北海道の川瀬みずえさん(仮名)は、4~5年にわたる偏頭痛に悩まされていて、隈本確先生のところに来る前に、ある霊能者の元を訪れていました。

 

もちろん、川瀬さんは自病になってしまった偏頭痛を治してもらいたくて、その霊能者のところへ行ったわけですが、この時のことを、彼女はこんなふうに語っていました。

 

「その霊能者の先生によりますと、何でも、私にはタヌキの霊が憑いていて、そのために頭痛もちになってしまったというのです。

で、その憑りついているタヌキを外せば頭痛が治るというので、その外し方を指導してくださいました。

その方法は、まず仏壇にまんじゅうを供えて、自分に憑りついているタヌキの霊に対して、”タヌキ様、どうか、私から離れてください”と、真剣に祈るのです。

それから、深夜の二時に、誰もいないのを見計らって、そのまんじゅうを川に流さなければなりません。

そうして、流した後は決して振り返ってはならない、という事でした。

私は、実行しました。

言われた通りにタヌキ様にしっかりお願いし、まんじゅうを川に流しました。

でも、頭痛はいっこうに治りませんでした。

それで、霊能者の先生にそのことを申しますと、まんじゅうを川に流すところ誰かに見られていたんでしょう。

と、こういうのですね。

けれども、私は絶対に誰にも見られていないという確信がありましたので、それをはっきり申しました。

 

ると、その霊能者の先生は、不機嫌そうになって“あなたが知らんでも、誰かが見てたのさ”!と言い捨てて、後は全く取り付く島もありませんでした”」

 

「ところで、川瀬さん、まんじゅうは何個捨てたんですか」

 

「15個です」

 

「15個も?もったいなかったですなぁ、食べてしまえばよかったのにィ」

 

隈本確先生がこういうと、川瀬さんは、初めてニヤッと笑って、ちょっとばかり恥ずかしそうな様子を見せました。

 

それにしても、まんじゅうを川に流す時に人に見られたら病気が治らなくて、見られなかったら治るなどというおかしなことが、この世にあるのでしょうか。

 

大の大人が、大真面目で依頼人に対して、このようなことを指導している図も滑稽ですが、指導された方も、民話のようなそんな迷信をコロリと信じて実行してしまうのですから、人間とはたわいないものです。

 

しかし、この川瀬さんの話など、滑稽でバカバカしいとは思っても、まだ、かわいげがあります。

 

一方、同じタヌキの霊にまつわる迷信でも次回に書く方が体験した話になると、陰湿で、邪悪でさえあります。

 

 

  

 

 

逃げ道はちゃんとつくってある

 

今回の記事は、他人事のせいかちょっと笑ってしまいますが、4~5年のものの長い間頭痛が続いていたら、笑い事では済まされません。

 

まんじゅうを川に流すことで治るのなら、とたぶん思ってしまう気持ちはわかります。

 

そこに付け込んだんでしょうね。

 

この霊能者は、逃げ道をちゃんと作ってありますね。

 

深夜の二時に、誰もいないのを見計らって、そのまんじゅうを川に流さなければなりません。

そうして、流した後は決して振り返ってはならない、という事でした。」

 

この状態では、深夜の二時にまんじゅうを川に流して、後ろを振り返ってはいけないと言われれば、持病が治らなくてもあなたが気がつかないだけで誰かが見ていたんでしょうと言えば、それで通りますからね。

 

いくら本人がそんなはずはありません、と言ってもどうしようもありません。

 

この霊能者は、上手い方法を考えたものです。

 

 

 

動物霊はいない

動物霊はいないのに未だに動物霊という

 

大霊界」の本を出版する前は、隈本確先生のところに来る治療依頼人は、テレビや雑誌の記事で隈本確先生の存在を知って問い合わせてくる人がほとんどでした。

 

そして、その相談事のうちの大多数を占めているのが、動物霊憑依に関するものでした。

 

最近では、「大霊界」シリーズの発表に伴い、隈本確先生の神霊に対する考え方が少しづつわかってもらえるようになり、以前に比べれば動物霊についての質問が少なくなってきています。

 

とはいっても、動物霊にまつわる信仰(?)はなかなか根深いようで、未だに、タヌキやキツネ、ヘビの霊に悩まされている、と言ってやってくる人が後を絶ちません。

 

例えば、どこぞの霊能者に、自分の運を落としているのはタヌキの霊の仕業だと言われたとか、のどの痛み、胸苦しさはヘビの霊が巻き付いているせいであると言われた、などと言って、隈本確先生のもとへやってくる人が多いのです。

 

しかし、隈本確先生に言わせれば、そんなふうに依頼人にはっきりと言った霊能者であるなら、なぜに、自ら、そのタヌキやキツネの霊なるものを依頼人から外してスッキリ外してあげなかったのでしょうか。

 

という事にもなるのです。

 

まったくもって、無責任な話です。

 

もはや、そのことだけを考えても、動物霊の働きについて肯定的に語る霊能者の程度が知れようというものです。

 

これら自己催眠、および他者(霊)催眠にかかっている自称霊能者の一婦をはからなければ、この世から迷信のタネが尽きないわけです。

 

確かに、日本古来の民謡とか小説を読むと、キツネ、タヌキ、ヘビの霊が登場するものがかなりあります。

 

いろいろな動物や無機物は、しばしば擬人化されています。

 

しかし、それらフィクションの世界とノン・フィクションの世界とを混同されては困ります。

 

事実、動物には人霊が憑りつくことがありますし、無機物には人間の霊がこもることがあります。

 

本来、無機物には霊魂がありませんし、動物自体にしても、霊障と言えるほどの働きをもった霊魂はもっていません。

 

ところが、多くの霊能者と言われる人達は、イヌの霊、ネコの霊、果ては海の中を泳ぎ回るカメの霊、小さな虫のクモの霊まで持ち出して、依頼人や信者相手に、まことしやかに云々するのですからあきれ返ってしまいます。

 

もう、ここまで来るとナンセンスの域をとおりこして、果たしてこれが正常な人間の思考だろうかと、疑いたくなります。

 

外国でも日本でも、キツネやタヌキ、テンなど動物の襟巻をしている人は多いし、ヘビ系、ワニ系のバッグやベルトを使用している人、また、毛皮のコートを着ている人も多いのです。

 

しかし、それらの人達が動物霊のたたりを受けているかと言えば、決してそんなことはありません。

 

三味線は猫の皮を使ったものが高級品で、練習用のものはイヌの皮を使っていると聞いたことがありますが、では、三味線に関わる人達がネコやイヌの霊に憑りつかれてしまうのかと言えば、そんなことは考えられません。

 

香港や沖縄では、ヘビの料理がおいしいご馳走として、あちこちの食料品の店舗に山と積まれているそうですし、東京あたりでも、健康食品としてマムシを常食している人は多いです。

 

また、長崎名産の一つにはべっ甲製品もあって、観光客たちの人気を呼んでいるようです。

 

隈本確先生自身のことについて言えば、牛肉、豚肉、鶏肉と何でも食べるし、幼少時代には、おねしょを治すために赤犬まで食べさせられた経験があります。

 

それから子供時代、山にクモを取りに出かけるのも楽しみでした。

 

黒字に黄色の模様の入ったクモを二匹、木の枝にのせて戦わせるのが面白かったのです。

 

しかし、もちろん、隈本確先生はウシのたたりもイヌ、クモのたたりも、未だに経験をしたことがありません。

 

ある時テレビを見ていたら、某神霊研究家が出演していて、いかにもしかめつらしい調子で「ヘビのたたり、恐ろしいですねェ」などと言って、司会者と神霊談義をかわしていました。

 

隈本確先生は、当の神霊研究家なる人物はもはや論外としても、そのようなナンセンスな会話を堂々と放映するテレビ局側も、もう少し慎重であってほしかったと思いました。

 

 

 

 

 

動物に霊流を流してみた

 

最近はあまりそういう動物霊の話とかは、あまり聞くことはありませんが、と言うか、私の周囲ではほとんど宗教の話題がでませんが……

 

私が子供の頃は、大人たちは普通に動物霊の話をしていましたから、私は日神会に出会うまでは、本当に信じていました。

 

人間と動物の違いは霊魂があるかないかの違い、ということを知ったのは目からウロコでした。

 

でも、動物はその分とても素直です。

 

話はそれますが、以前、正二郎先生に今の聖師教様に浄霊をしていただいた後に、「ペットにも浄霊をすると良いですよ」言われ、それから我が家のイヌやネコに霊流を流しています。

 

動物というのはとても素直なので、聖師教様の言わる通りとてもよく流れますし、効果があります。

 

最近では、次男が飼っている白猫を治していただきました。

 

ある時、次男の猫の片耳が血で真っ赤なのです。

 

白猫なので、よけいに血が目立ちます。

 

次男が動物病院に連れて行こうとしました。

 

ところが、病院が休みの日でした。

 

じゃぁ、今は霊流を流してみよう、と流したら翌日にはグッと良くなって、結局病院に行かないで治ってしまいました。

 

霊流を流している時の猫は、わかるのかとてもおなとなしくジッ静かにしています。

 

 

他にもペットのけがや病気もいっぱい治していただきました。

 

我が家の恥ずかしい話ですが、もし困っている方がいらっしゃったら試してみてください。

 

我が家は築60年の超古い家です。

 

古い家だといますよね、ネズミが、その被害がすごくてネズミ捕りを仕掛けてもあとからあとから出てきて、そのうちネズミを見るのも気持ちが悪くなり、業者に駆除を頼もうかと思っていました。

 

でも、もしかしたら……と思い、その前に浄霊をしてみました。

 

何と、ネズミがでなくなり、今では全くネズミの被害が無くなりました。

 

わたしとしては、いなくなるように、とお願いをしたのですがまだいるようですが、今は被害が全く無くなり大変助かっています。

 

今回は動物霊から、全く違った話になってしまいました。

 

迷信発生の原因

前回の続きです。

 

迷信チェック

 

現代の霊能者の多くが、霊的怪奇現象のかずかずをもたらす幽界以下の低級霊界のみしか感知することしかできず、しかも、それらの雑霊現象を過大に評価し、やたらに恐れたりありがたがったりしながら一般素人相手に、霊界の模様のあれこれや、その供養法について吹聴するところに、「迷信」発生の一因が潜んでいるのです。

 

ここでは、まず、このブログを読んでいる方自身の生活の中にどれだけ迷信的なものが張り入り込んでいるかをチェックしてみてください。

 

もし、あなたの生活の中に、以下のリストに上げた項目のいずれかに当てはまるものがあった場合には、要注意です。

 

心の目を大きく開いて、理性と常識とを働かせなければなりません。

 

そして、自分の行っていることや考えていることが百害あって一益もない迷信であることに気づいたら、そのことを、たった今すぐにやめることです。

 

≪神霊に関する迷信チェック・リスト≫

・病気や不運の原因を、キツネ、ヘビ、タヌキなど動物の障りとしていないか

・病気の原因や不運の原因を、水子の障りとしていないか

病気や不運の原因を、色情因縁の障りとしていないか

気や不運の原因を、家のつくり、方位にあるとしていないか、病気や不運の原因を、墓につくり、方位にあるとしていないか

・形式的先祖供養の良し悪しこだわっていないか

・法事、法要、宮日、祭日にこだわっていないか・お札、各種お守り、正月に神社で売るいろいろな縁起物、仏像、仏壇、神棚の形式にこだわっていないか

・お百度まいり、深夜の願掛けなどをしていないか

・霊水と言われるやたらな水を飲んだり、これらの霊水や護符のたぐいを発行し、飲ませること自体、迷信であるばかりか、医師法薬事法に触れる危険性のある行為と言える)

・この他、墓相専門、方位専門、仏壇専門、祭祀専門、供物専門、お経専門、動物霊専門、水子霊専門、生霊(念)専門、印鑑専門、姓名専門……と,

 

病気や不運の原因を全て自分の専門分野の一点にのみ結び付けて説明しようとする霊能者、行者、祈祷師などの言葉を信じ、彼らの言うままになっていないか

 

   

 

迷信のいろいろ

 

>雑霊現象を過大に評価し、やたらに恐れたりありがたがったりしながら一般素人相手に、霊界の模様のあれこれや、その供養法について吹聴するところに、「迷信」発生の一因が潜んでいるのです。

 

これは、凄く納得します。

 

・私が子供の頃、大人の会話の中にキツネやタヌキ、ヘビがついているという話はよくありました。

だから、私は日神会に出会うまでは信じていました。

 

水子に関しては、母は水子には決してかかわってはいけない、と言っていました。

お墓をつくったり、お坊さんにお経をあげてもらったりしている人がいるけれど、あれはしてはいけない、と言っていました。

母に理由を聞いたことはないのですが、私的には、きっとこの世に未練をもたせてはいけない、という事ではないかと受け取っていました。

 

・色情因縁、家のつくり、方位、墓のつくり、子供の頃に大人の会話にはありましたが、あまりにいろいろあるので、そんなにいろんなことに規制がかかると、生きずらいのではないかと、子供心にもそんなふうに考えて適当に流して聞いていました。

 

・子供の友達のお母さんですが、やたらと仏滅を気にするお母さんがいました。

その頃の私はもうほとんどそういう事を気にしなくなっていたので、「日本中の人が全員仏滅に悪いことが起こるはずないよ」と言ったら「そうだけど……」と、こだわりを捨てきれないお母さんがいました。

 

夫の父親の法事をお願いしているお寺の行事と重なりそうになった時、義母が気にしていたのは、位の高いお坊さんがその行事の方にいったら、我が家の法事には位の低いお坊さんになってしまうと文句を言っていたことがありました。

そういう事をまったく気にしない私は、世間ではそういう事を気にするんだ、と学んだ事がありました。

 

・お百度まいりや、深夜の願掛けは、母がやっていました。

私はやったことはありませんが、そういう事をすることによって自己満足ができるのならいいのかな、と口には出しませんでしたが、冷ややかに見ていました。

 

・日神会では今は聖水というものがあります。

これは、非常にいいです。

傷があったりすると、そこに聖水を塗ると治りが早いです。

日神会も時と共に変化をしていますので、霊水はいけないと言われていた時があったのですね。

私が入会した時は、そういう話は聞いていませんでした。

聖水もいつごろからなのかわかりませんが、私が会をして数年後ではないかと思います。

 

護符やお経を飲むというのは、私的にはかなり抵抗感がありました。

母は、護符ではなくお経を読んでは飲み込んでいました。

あれは、母には言いませんでしたが、見ていて体に害はないのか、と気にしていました。

紙だけでなく印刷したインクも飲み込むわけですから……

 

>この他、墓相専門、方位専門、仏壇専門、祭祀専門、供物専門、お経専門、動物霊専門、水子霊専門、生霊(念)専門、印鑑専門、姓名専門……と、

 

これら専門で、何でも専門のせいにするんですね。

私も少しはエネルギーの存在を感じるようになったらわかるようになったのですが、本当に想いの世界というのは、自分で少しでも思い込みがあると、その思い込みのままの結果が表れてきます。

 

だから、専門になるのがわかります。

 

何でも動物霊のせいにする人は、何でも動物霊のせいだと思っているから、そのような結果が出るのでしょう。

 

霊の世界は、思い込みもすべて捨て去らないことには、正しい結果が出てきません。

 

でも、自分の思い込みを思い込みとは思っていない人がほとんどですよね。

 

五感に感じない世界だから難しいですね。

 

 

広い意味での霊界の姿

霊界の段階

 

人間は死ぬと、肉体という殻を捨て去って、魂だけの存在となって霊界に旅立っていきます。

 

その最初の段階が、「幽界」です。

 

そして、私達の魂は、霊界(広い意味での霊界)で少しずつ修業を積んで、幽界、霊界、仏界、神界、聖天界、へと次第に向上していきます。

 

しかし、現界に対して非常に強く想いを残しているような死者の場合、いわゆる「死んでも、死にきれない」状態となって、その魂は、いつまでも臨界をさまよい、折りあるごとに現界にあらわれてこようとします。

 

その結果、幽霊(幽界霊)となって現界人の前に姿をあらわしたり、色々な霊的怪奇現象を現界にもたらします。

 

さらに、不慮の事故とか、人に殺されるなど、非常に無残な死に方をした人の場合、死の間際の苦しみや無念の想いという執念の深さによって魔界に落ちることも多いのです。

 

そして、魔界でのたうち回る霊は、しばしば現界人に猛烈な憑依現象を起こし、その命を突如として奪うようなことさえします。

 

この幽界、および地獄・魔界という世界は霊界の段階から言えば下層段階に属し、いわば未浄化の霊がすむところです。

 

だから、霊の姿が見えたり、霊の声が聴こえたり、霊的怪奇現象に遭遇するといういう事は、一番低い低級霊界の波長界の波長と人類の波長とが合っているという事で、要するに、低級霊の介入を受けているわけです。

 

それなのに、巷の自称霊能者、行者、家事祈祷師の中には、やれキツネの霊が見える、タヌキの霊が見えると言っては得々としている人達が数多くいます。              

 

低級霊のたぶらかしとも知らず、まことに情けない話です。

 

一口に神霊能力者と言っても、当然のことながら、その能力には差があって、それぞれ霊界感知能力の範囲が違っているのです。

 

ここで、一つ注意しなければいけないのですが、それは、霊界は無限で、それに対して、霊能者の霊界感知能力は有限だという事です。

 

まして、神界以上の高級霊界になっていくと、ほとんど光、波動だけの世界となりますので、絶対に人間の五感に映ってくることはありえません。

 

しかし、そのような人間の五感には映りえない光、波動のみの高級霊にこそ、低級霊を救済し、人類に幸せと平和をもたらす働きがあるという事も、ここで覚えておいていただきたいのです。

 

現在、霊を扱う自称霊能者、加持祈祷師、行者のほとんどは幽界以下の低級霊界のみに目を奪われているようです。

 

という事は、言い換えれば、彼らが低い段階の霊界感知能力しか持っていない、という事になります。

 

低級霊と言えども、ある程度の霊力を持ってくると、自分がそうなりたいと思った姿に自分を変化させることができるものです。

 

実は人霊でありながら、キツネやタヌキの姿で現界人の前に現れたりする存在がそれなのですが、多くの霊能者は、まんまと人霊の変化した姿に騙されて、実際に動物霊を霊視していると思い込んでしまっているわけです。

 

次回に続きます。

 

 

  

 

 

前回の続きです。

 

日ごろの想い

 

>私達の魂は、霊界(広い意味での霊界)で少しずつ修業を積んで、幽界、霊界、仏界、神界、聖天界、へと次第に向上していきます。

 

日神会会員信者の方は、このことはよくご存知だと思います。

 

そして、下層階のこともです。

 

私の実家は、仏教の浄土真宗です。

 

小さい頃から悪いことをしたら地獄に落ちると言われ続けていましたが、「大霊界」の本に書いてあるこの広い意味での霊界の様子は、私にとってはとても納得のいくものでした。

 

そして、人は亡くなる瞬間の想いが、死後の世界であることも、衝撃であり又納得ができました。

 

だから、日ごろから常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていることがベストです。

 

これ、わかっているんですが、人間界と神様の世界とでは波長が違い過ぎて、日常の雑事に追われていると非常に難しいです。

 

難しいことは承知のうえで、常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていることでベストであることの理由を、私なりに考えてみました。

 

〇 常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていると、自己浄霊あるいは他者浄霊を行う時に非常に霊流が引きやすいです。雑念が少ない気がします。

〇 常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていると、危険なことから身を守られることがあります。

〇 常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていると、困った時などに知恵をいただけることがあります。

〇 常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていると、心の平和を維持でき、トラブルが少なくなります。

 

今思いついただけでもこれだけのことはあります。

 

日神会的には、先祖霊が救われたりするようですが、凡人の私には、感覚的にはわかりませんので、今回は自分が感覚的に感じたものをあげてみました。

 

常にという事は難しいですが、気が付いた時に、即、想いを聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっているという気持ちに切り替えると、その積み重ねで、続けることができると思います。

 

人生は一度だけです。

 

できれば一生を終える時に、充実した良い人生だったと思える人生にしたいものです。

 

それには、日ごろの想いが大切ではないでしょうか。

 

低級霊をありがたがる宗教団体

低級霊を呼び込む宗教団体

 

隈本確先生のもとを訪れる治療依頼人の中には、ある宗教団体に入信したばかりに一家全員が低級霊に憑依されやすい霊媒体質になってしまった、と言ってくる人が相当数います。

 

 

巷の宗教団体の道場では、四六時中、怪談仕立ての低級霊の話に花を咲かせ、やれ死んだ爺さんが霊界で迷っている、二代前の先祖が氷のように冷たい地獄の底で一睡もできずに苦しんでいるなどと、もっともらしく語り合っているところも多いのです。

 

そして、腰が痛むと言えば背骨に長虫(ヘビ)が巻き付いているだの、事故にあえば、祠にお祀りしてあった瀬戸のおキツネ様を壊してしまった祟りだと、まことしやかに言うのです。

 

そんなふうにして、道場に行くたびに、霊の姿が見える、霊の声が聴こえると言った低級段階での霊現象についてたっぷりと薫陶を受けた人達は、次第に心理状態も正常ではなくなり、やがて、人によっては、本当に不自然な霊視現象や霊聴現象を体験するようになってしまうのです。

 

このような状態は、心身が低級霊媒体質に移行してきた事の証拠であり、正しい神霊学の立場から見たら、もっとも忌むべき現象の一つです。

 

にも拘わらず、霊が見える、聴こえると言ったレベルでの低級神霊現象に対して、その宗教団体の幹部までが信者ともどもに驚嘆し、いかにも素晴らしいことが起こったように言うのは、こっけいというよりは、むしろ恐ろしい事なのです。

 

そして霊が出てきた、さあ供養だ、供養だというわけで、線香や酒、塩、洗米、豆類、果ては油揚げまで備えて拝みまくるまでは何とも言いようがありません。

 

こうした低級神霊現象に一喜一憂しながら、その供養に明け暮れているような宗教団体は、その団体自体がすでに低級霊媒集団になってしまっているのです。

 

そして、信者獲得と共に低級霊媒体質づくりにいそしんでいる、というわけです。

 

多くの場合、このような宗教団体では、幹部自体が低級神霊現象をかしこみありがたがり、加えて霊媒体質にもなりかかっているようです。

 

しかし、もし、信者を故意に低級霊媒集団に引き入れることによって、その宗教をやめるといろいろな悪いことが起こるというような恐怖の心理状態に導き、脱会者防止の策としているとしたら、それは卑劣極まりないやり口だと言わなければなりません。

 

現実には、故意か過失かはともかくとして、霊を扱う宗教の多くが結果的にそれに類するやり方で信者に圧力をかけているのは事実です。

 

そして、そういうおかしなことが生じてくるバックにあるのが「迷信」という厚い壁なのです。

 

例えば、実際には動物霊のたたりなどありえないのに、キツネ、タヌキ、ヘビのたたりの恐ろしさの盲信を解消したいために、多くの人が宗教団体や行者、祈祷師に莫大な金品の奉納をしているという現実があります。

 

普段は十分に理性的で常識的でもある人までが、こと神霊のこととなると、「キツネのたたり」「ヘビの霊」の一言にコロリとまいってしまうのは実に不思議なことなのです。

 

 

  

 

 

実家は弟の代でなくなる予定?

 

>道場に行くたびに、霊の姿が見える、霊の声が聴こえると言った低級段階での霊現象についてたっぷりと薫陶を受けた人達は、次第に心理状態も正常ではなくなり、やがて、人によっては、本当に不自然な霊視現象や霊聴現象を体験するようになってしまうのです。

 

私の母は、出かけるのも自由にならず、必ず爺さん婆さんに言って出かけましたが、爺さん婆さんが気に入らないところだと必ず文句を言われていましたが、こういう霊現象をのところだけは、何も言われず行かせてもらっていました。

 

そのせいでしょうが、母はそういうところに出かける時は遠慮せずに行けたような気がします。

 

上記のようなところでしたので、実家も低級霊から影響を受けていたのではないかと想像しています。

 

それと、私の実家はいつも何かしらトラブルがありました。

 

家の中かの空気と言うか雰囲気がいつもザワザワしていました。

 

母が言っていたのは、実家は3代ごとに家がつぶれて、その次の代が復活させてきたと言っていました。

 

私の曽祖父の代で家が無くなって、祖父の代で復興させたと言っていました。

 

そのせいでしょうが、祖父はもの凄いケチでした。

 

お笑いの吉本並のことを言っていました。

 

「畳がすり減るから足をあげて歩け」と。

 

その他に母が心配をしていたのが、以前からの実家の流れで行くと弟の代でなくなるのです。

 

でも、今のところはそんなことにはなっていないようです。

 

もちろん、実家にはそんなことがないように、霊流は流しています。

 

たぶん、浄霊のおかげではないかと思っています。

 

 

本来の宗教は人々に幸せと平和をもたらすもの

前回の続きです。

 

現実の多くの宗教団体

 

また、まともな宗教であれば、おそらく開祖は「この宗教をやめたら罰が当たる」などという事は言っていないなはずです。

 

ところが、後世になって組織が大きくなればなるほど会活動の維持の金銭(会費)収集のためや、ますますの組織拡大の野望をたぎらせて、会幹部連中が信者を逃すまいとして、そのようなことを言って脅しをかけたり、あの手この手を使っているのが実情であります。

 

それは、本来の宗教とは何のかかわりもない、宗教界従事者たちの単なる人間的欲望の表れにすぎません。

 

だいたい、この宗教をやめると決していいことが起こらない、不幸になる、などという宗教化や祈祷師は、すでにその心に悪霊の憑依を受けているとみて間違いないでしょう。

 

そのような脅しの言葉をそのような脅しの言葉を真に受けて、下手に心を動かされない事です。

 

本来、人々に幸せと平和とをもたらすべきはずの宗教が、やめると罰があたる、命が危ないなどの暴言を吐き、人々の恐怖心を煽り立てるにおよんででは、本末転倒も甚だしいです。

 

今後において、淘汰されなければならない悪宗教の見本と言うべきでしょう。

 

元より、宗教、信仰の自由は憲法でも保障されています。

 

それなのに当事者側の宗教団体で、己の信者に対してはこれを認めようとしないとは、おかしな話な話です。

 

一方、ある宗教団体では、財産はもつな、金はもつなということを真剣に言って、財産のほとんどを会に寄進するように説いています。

 

そうすることによって救われるというのですが、果たして、どんなものでしょう。

 

昔から「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、私達は、毎日の生活が十分に豊かであることが望ましいと思います。

 

毎日の生活が豊かであれば、自然に心も豊かになってくるものです。

 

物心両面の豊かさという事も、忘れてはなりません。

 

そして、その豊かな心で神・仏・霊にお仕えしていくのが本当ではないかと思いますが。

 

ちなみに、現在わが国で宗教法人としても認められている宗教団体は、約十八万一千にものぼっています。

 

しかし、これらのうちの多くの団体が真実の霊界を知らず、また、霊界人の実在を認めようともしていないのです。

 

そして、人間界発想の知恵の世界に住んでいた教祖の残した教えを、ひたすら受け売りすることに一生懸命になっています。

 

が、隈本確先生に言わせれば、実在の神・仏・霊の世界に目をつぶった教えでは、どんなに頑張っても、これからの世界には拓いていけません。

 

真実の宗教とはなんでしょうか――。

 

今後の人類にとって、それが大きな課題の一つです。

 

 

 

 

 

信じる者は救われる

 

>本来、人々に幸せと平和とをもたらすべきはずの宗教が、やめると罰があたる、命が危ないなどの暴言を吐き、人々の恐怖心を煽り立てるにおよんででは、本末転倒も甚だしいです。

 

そうですよね、宗教とは本来は、人々に幸せと平和とをもたらすべきものですよね。

 

ところが現実の人間の世界では、宗教が原因で世界中に戦争が起きています。

 

その原因というのは、宗教はこの世界では自分が信じている宗教しか認められない、とお互いに思って、相手の宗教を拒否することから起きるのではないかと思います。

 

>宗教、信仰の自由は憲法でも保障されています。

>それなのに当事者側の宗教団体で、己の信者に対してはこれを認めようとしないとは、おかしな話な話です。

 

確かにそうですね、宗教、信仰の自由は憲法で保障されていますから、中には、その宗教から抜けたいと言って命を奪われた人もいます。

 

おかしな話です。

 

>ある宗教団体では、財産はもつな、金はもつなということを真剣に言って、財産のほとんどを会に寄進するように説いています。

 

ここまで言われて、この宗教はおかしいと思わないのか、と私は不思議に思うのですが……

 

こういう宗教団体というのは、信者に催眠術でもかけているのではないか、とすら疑ってしまいます。

 

実際はわかりませんが……

 

隈本確先生に言わせれば、実在の神・仏・霊の世界に目をつぶった教えでは、どんなに頑張っても、これからの世界には拓いていけません。

 

実在の神・仏・霊を知ると、世界が広がります。

 

今までの現実の人間界の世界では考えられなかったことが、起こります。

 

残念ながら、これは本当に心から信じた人にしかわかりません。

 

信じる者は救われるです。