聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

完全発狂という状態

完全発狂者は魂、頭脳、肉体を完全に霊に支配されている

隈本確先生は霊媒心質のことを精神霊媒とよぶこともありますが、いずれにしてもこれは、癇癪、ノイローゼ、うつ症状、極度の興奮状態など、精神面に霊障が現れるケースなのです。

この場合、侵入霊と人間の魂との力関係によって、その症状にも軽重の違いが出てくることはもちろんです。

侵入霊が完全に魂を占領してしまった場合には、発狂という状態が出てきます。

強度の霊媒心質者が、当人の魂より強い力をもった霊に憑依されるとしばしば発狂状態を呈しますが、このようなケースでは、当人の魂はもとより、体も頭脳も完全に侵入霊に支配されてしまっていることが多いのです。

別な言い方をすれば、発狂した当人の魂は内在的にはすでに消滅状態に近く、新しく外部から入ってきた霊魂がその肉体の主となりかわってしまっているのです。

したがって、このような完全発狂者を神霊治療で治そうとすると、当人の命を落とさせるといった不測の事態も起こりかねません。

というのも、もはや発狂者の魂、体、頭脳のすべては侵入霊と完全につながってしまっており、それによって命脈を保っている状態になっているからです。

つまり、霊障による発狂者に神霊治療を施し、憑依霊を除去するということは、正常な人間からその生霊(魂)を引き抜くのと同じことなのです。

精神的霊障のうちでも、ノイローゼとかうつ状態にとどまり、当人の魂が、まだ完全には侵入霊に占領されていない場合には神霊治療でよい結果が得られることもあります。

特に、このような場合でも、当人が精神治療能力者に対して強い信頼感を持ち、絶対にすがっていこうという気持ちがあれば、完全な回復が可能です。

しかし、神霊治療能力者に対して、疑い、反発の想いを強く持っているような場合とか、強い回復の希望を持っていない場合には、回復はなかなか難しいのです。

このことは精神的霊障ばかりでなく、肉体的霊障についても言えることでありますが、要するに、治療依頼人当人がどこまで神霊治療能力者にすがろうとする気持ちを持っているか、一方、侵入霊の方にどれだけ心を惹かれて正常な心を欠いているか、その分岐点が問題になってきます。

そのような観点から考えて、まだ魂の力の弱い20歳未満の人、逆に、魂の固定化がかなり進んでいる70歳以上の人のノイローゼ、うつ症状、極度の興奮状態、精神障害などについては、神霊治療でも最終的に回復させることは困難になってきます。

 

 

 

 

 

想いの力で決まる

>侵入霊と人間の魂との力関係によって、その症状にも軽重の違いが出てくることはもちろんです。

侵入霊が完全に魂を占領してしまった場合には、発狂という状態が出てきます。

 

怖いですね。

侵入霊でとても強いのがいます。

そんなのに憑依されたらひとたまりもありません。

 

>発狂した当人の魂は内在的にはすでに消滅状態に近く、新しく外部から入ってきた霊魂がその肉体の主となりかわってしまっているのです。

 

隈本確先生のすごいところは、こういうことを言われるところだと思っています。

私は、他の宗教の教祖さんたちの言っていること全部を知っているわけではありませんが、こういうことを言っている人はいないのではないかと思います。

とても納得できます。

実際こういう人を前にした場合、侵入霊がどこまで支配をしているのか、私は判断つくのかどうか自信がありません。

 

霊障による発狂者に神霊治療を施し、憑依霊を除去するということは、正常な人間からその生霊(魂)を引き抜くのと同じことなのです。

 

神霊治療を施すと、死ぬということですね……

 

>ノイローゼとかうつ状態にとどまり、当人の魂が、まだ完全には侵入霊に占領されていない場合には神霊治療でよい結果が得られることもあります。

 

まだ完全に占領されていないうちなら、希望があるということですね。

 

>治療依頼人当人がどこまで神霊治療能力者にすがろうとする気持ちを持っているか、一方、侵入霊の方にどれだけ心を惹かれて正常な心を欠いているか、その分岐点が問題になってきます。

 

最終的にはこれですね。

他者神霊治療の場合は、これにつきますね。

 

 

霊界人の霊魂は完成された存在

未発達の霊魂に凝固した霊魂が侵入すると影響を受ける

隈本確先生はこれまで、神霊治療能力者としての立場から、霊にとりつかれやすい体質、霊にとりつかれやすい心質を持った人たちを、それぞれ霊媒体質者、霊媒心質者と呼んで、一般の人たちと判別してきました。

しかし、多少の霊媒体(心)質の傾向はあるのが普通で、その限りにおいて、人はその環境いかんではだれでも霊媒体質、霊媒心質となってしまう危険をはらんでいます。

現界に住んでいる私たち人間の心(魂)というものは、大霊界の大きなスケールでとらえればまだまだ未発達で、霊魂として完全な力を持っていない存在です。

別な言い方をすれば、人間の肉体というからに包まれた魂は、まだ成長過程になります。

柔らかい豆腐のようなものだということです。

これに対して、すでに肉体を捨て去って霊界入りを終えた魂というものは、それぞれの霊によって、格の違いこそあれ、完全に固まった、霊魂として完成された存在であるということには変わりがありません。

肉体人間の人生がおよそ50年から100年がとしたら、霊界人というのは、その生前の年数に霊界での数百年、数千年がプラスされるわけですから、それも当然です。

したがって、人間のまだ柔らかい未発達な魂(心)の中に、霊界からやってきた凝固した状態の霊魂が侵入してきた場合、その侵入の度合いによって、人間の心(魂)は否応もなくいろいろな影響を受けます。

どんなに強い心の持ち主であっても、場合によっては侵入霊の影響を大きく受け、心が激しく動揺したり、体調を崩すということにもなるのです。

 

 

 

 

 

人間の心(魂)は未発達

>現界に住んでいる私たち人間の心(魂)というものは、大霊界の大きなスケールでとらえればまだまだ未発達で、霊魂として完全な力を持っていない存在です。

 

こんなことは考えたこともありませんでしたが、言われてみればそうかも……と思います。

ということは、今現在私たちがすんでいる現界での出来事は、未発達な霊魂が作った世界ということでしょうか。

未発達な霊魂の世界が、霊魂として完成された存在から影響を受けているということでしょうか。

私はてっきり、地獄霊のような低いレベルの霊魂が未発達かと思っていました。

霊魂のレベルの話とはまた違う話なんですね。

 

最近急に、日本の政治が大きく変わってきています。

自民党の総裁は、わたしもほぼ小泉進次郎氏だと思っていましたが、予想外の高市氏になりました。

しかも、何があっても与党という位置を絶対に譲らないと思っていた公明党が、自分から野党入りです。

あまりの予想外に驚いています。

安倍元首相亡き後、岸田首相、石破首相と日本は大きく左にかじを切りました。

それとは反対に、国民はどんどん保守的になっていく人が増えた気がします。

それと、政治に関心を持つ人が増えた気がします。

とてもいいことです。

与党の大きな変化に、もしかしたら大霊界から何か大きなお力が働いたのかな、と勝手に想像してしまいました。

現在の日本だけでなく、不安定な世界の状況を心配している人はたくさんいて、おそらくそれに対して良くなるよう神様にお願いをしている人はたくさんいると想像します。

私も毎日お願いをしていました。

私の子供の頃は、物はなかったけれど希望がありました。

それから高度経済成長で、経済も豊かでしっかりして、日本は揺るがないと思っていました。

でも、国とは国民がしっかりと政治を見ていないと、あっという間にというか、知らぬ間にいくらでも弱体化をするんだと実感しています。

しっかりと見張っていきましょう。

今の政治家は、本当に国や国民のために働いている人もいますが、反対の人もいるんだということを肝に銘じましょう。

それには、テレビ新聞の報道にも疑いの目を見て、自分で真実を調べる癖をつけましょう。

 

 

 

 

 

神霊現象の種類が各自決まっている

前回の続きです。

 

自分の関心のある神霊現象のみ

事実、霊視や霊聴、霊言といった霊現象をあらわす人たちの80%以上が情緒不安定であり、また、肉体的にもいろいろと故障を起こしやすいのです。

さらに、これらの人たちの中には、奇異な言動で、しばしば一般の人たちをびっくりさせるような人も珍しくありません。

このことは、霊現象を体現する人たちのほとんどが、真実の神霊能力者ではなく、危険な霊媒体質者である、ということを物語っています。

それなのに、このような人に限って、「守護神様が現れて、霊示をくださった」とか「自分の霊視は絶対に間違いない」などと言いはって、自己の神霊現象に鼻高々の体なのです。

隈本確先生に言わせれば、まさに「あなたは、危険な霊媒体質者、霊媒心質者なのですよ」ということになります。

また、言えることは、霊現象をあらわす人たちの多くは、各自、あらわす霊現象の種類が決まっているということなのです。

たとえば、霊視なら霊視現象だけをあらわす人、霊聴なら霊聴現象だけをあらわす人……と、大体決まっている場合が多いのです。

そのせいか、隈本確先生が見たところ、それら霊現象保持者は、自分に生ずるある特定の霊現象のみの狭い視野の中にどっかりと座り込んでいて、人間的にも大変視野の狭い心の持ち主になっていしまっているようです。

面白いことに、ある特定の霊現象をあらわす人というのは、自分に関係のある霊現象の話には異常なほど興味を示しますが、それ以外の霊的な話となると、我関せず、といった顔つきをしていることが多いのです。

隈本確先生の主宰した神霊能力者養成講座の受講者を見ていても、そのことがよくわかりました。

ある霊視現象の保持者など、隈本確先生が霊視について話している間は身を乗り出すようにして熱心に聞いているのですが、話題が霊視以外のことに移ってしまうと、たちまちコックリ、コックリ、居眠りを始めたものです。

これでは、広い範囲の神霊研究など、できるはずもありません。

 

 

  

 

 

神霊現象への勘違い

>自己の神霊現象に鼻高々の体(てい)なのです。

 

いますね。

また、その神霊現象をとても凄いことのように受け取る人も多いように思います。

 

>自分に関係のある霊現象の話には異常なほど興味を示しますが、それ以外の霊的な話となると、我関せず、といった顔つきをしていることが多いのです。

 

私もネットで日神会の教えを信じている人たちとやり取りをしたことがあります。

いろんな人がいました。

その中には、自分の関心があることには異常なほど関心を示すのに、それ以外のことになると全く反応がない、という人はいました。

こんな人もいました。

聖の親様から霊流をいただくということには、とても熱心なのですが、日神会で言われている、人間界での心の在り方には全く関心がなく、別物ととらえている人もいました。

だから、神の心からかけ離れた言動をしてもほとんど抵抗もなかったように思います。

そういう人は、日神会の会員になっていれば救われると思っているようでした。

日神会では地獄霊でも天命界に行ける、ということなったとか、その人は言っていました。

今の会長先生になってからの日神会のことはあまりわかっていない私は、よくわかりません。

これは凡人である私の浅い考えかもしれませんが、地獄霊のような魂をもったままでもいい、ということになると、人間界にいるときに魂の向上を目指す人が減らないかな、と気になってしまいました。

 

「神霊現象」と「神霊能力」

霊現象について

危険な神霊現象についてお話してきたところで、とかく、一般に混同されやすい「神霊現象」と「神霊能力」について考えてみましょう。

以前、自動書記のとりことなって、危うく人間としての正常な意識を失いかけた女性の話をしましたが、だからといって、隈本確先生はすべての自動書記が危険な低級霊現象だといっているわけではありません。

隈本確先生は、かねがねより、単なる心霊現象と神霊能力について厳しく一線を画してとらえ、その観点からすべての話を進めてきています。

このブログを読んでいる方々には、ここでもう一度、次のことをはっきりとわかっておいていただきたいのです。

すなわち、真実の神霊能力とは、あくまでも自己の意志の力でコントロールし得るものであり、例えば、自分が霊視をしたいと意志したときに正しい霊視があり、霊言をしたいと意志したときに正しい霊言がある、というものです。

これに対して、自分の意志とはお構いなしに自然発生的に生ずる神霊現象は、霊視にしても霊言にしても、すべて神霊能力とはいいがたいのです。

いわば、単なる霊媒体質による雑霊現象で、したがって介入してくる霊の格も低級であり、その霊界通信は全く信憑性の薄いものであります。

だから、一口に自動書記は危険だといっても、それが、本当の神霊能力でなされたものなら良いのです。

つまり、自己の強い意志で招霊し、自動書記がすんだら、霊に対して帰るようにと決然と命令できる立場にあってなす自動書記であれば、危険性はないのです。

霊視、霊言、霊聴、自動書記……と、これらの霊現象について、現在の神霊学の世界では、そのすべてが神霊能力であるかのように受け入れられているようですが、それは大きな誤りだというべきです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

現実の世界では受け入れられている

>霊視、霊言、霊聴、自動書記……と、これらの霊現象について、現在の神霊学の世界では、そのすべてが神霊能力であるかのように受け入れられているようですが、それは大きな誤りだというべきです。

 

そうですね。

とてもありがたがって受け入れる人が多い気がします。

自己の意志でコントロールできることが大切、ということは一般には知られていないと思います。

このことを一般に知られると、被害者がずいぶん減ると思うのですがなかなか難しいですね。

 

一昨日でのことです。

夜、霊流をひいていたら突然右足の太ももに激痛が走りました。

足がつったのかと思い、即霊流を流しました。

以前に足がつった時は、数回霊流をひくだけで治ったのに、今回は全く治らず痛みがひどくなっていく感じがしました。

これは、もしかして……生霊……と思い、九字を切って思いっきり強く念じました。

それを数回繰り返したところ、痛みが和らいできました。

でも、すぐには動けず痛かった太ももに何度も霊流を流しました。

そしたら、普通に動かせるようになりました

今回のことは、わたしは自分で神霊治療をすることができたからよかったものの、神霊治療というものを知らない人だったら、おそらく救急車を呼んでいただろうと思います。

ほんの数分で治ったものの、病院だとどんな治療をするんだろうと気になりました。

生霊だろうと心当たりがあるあたり、驚かれたかもしれません。

私の方は何も悪いことはしていないし、言ってもいないのですが、なぜか我が家でいいことがあったり、自分の家や自分によくないことがあると、そのストレスを我が家に向けてくるようです。

昔よく聞いた言葉で、坊主憎いけりゃ袈裟まで憎いとか言います。

それに近いのかなと諦めています。

こちらが何をした、何を言ったという心当たりは全くないのですが、なぜか我が家を目の敵にしている人がいます。

過去にもいろんなことがありました。

車のパンク数回、仕事場のガラスを割られたり、玄関に置いてあるプランターの花を根元から切ったりとかいろいろです。

でも、現行犯としてみたわけではないので、はっきりとは言い切れないのです。

ただ、今までの経過を見ていると、我が家に良いことがあったり、あちらの家でよくないことがあると、ああもうそろそろ来るかな……と思っていると、そういう結果になっていたのでそう思ったのです。

こういうときは、霊聴や霊言、霊視や自動書記ができると犯人がわかるかもしれません。

霊媒体質の人は奇妙な体験をすることがある

霊媒体質者の奇妙な体験

霊と波長が合いやすい霊媒体質の人には、一般の人にはわからないような奇妙な体験が、しばしばあるものです。

たとえば、治療依頼人の中に、こんな人がいました。

五年来の頭痛の治療のために来会した中年の女性でしたが、彼女は、頭の痛くなる日の一週間位ぐらい前から、自分の目の前に黒っぽい霊がいるのが見えたというのです。

霊視現象です。

そして、その霊が見え始めた日から、時がたつにつれて、次第に霊が自分の方に近いづいてきたというのです。

——変なことがあるものだ……。

彼女がそう思っているうちにも、霊はどんどん接近してきて、一週間目、とうとう彼女の頭の中にズドンと入ってしまったのです

と、その瞬間から、頭が割れるほどに痛みはじめました。

こうして、彼女の頭痛は、五年間も続いてきたそうです。

原因が彼女の体中に侵入してきた霊であれば、神霊治療でその頭痛が解消されるのは当然のことです。

彼女は、隈本確先生の二回にわたる神霊治療で、五年来の頭痛から完全に開放されたのでした。

また、霊視現象の実例では、こんなこともあります。

会員の丸山幸男さんは、隈本確先生の神霊治療中に、依頼人の体からスッスッスッスッと霊が外れて上の方へあがって行ったり、あるいは、隈本確先生の体の中に依頼人に憑依していた霊がスッスッスッスッと入ってくるのが見えるそうです。

隈本確先生が、依頼人の患部に軽く手を当てて神霊治療をしていると、隈本確先生の指と指の間から、霊がスッスッとはずれていくのがわかるという丸山さんは、治療の見学中、よくこんなことを言ったものです。

「あ、先生、もうおしまいですね。もう、この方のその患部には霊はいないようですね、全部外れて、上っていくのが見えました」

ところで、このような霊視の力をもった丸山さんなのですが、彼自身、体のあちこちにいろいろな霊を受けて、しょっちゅう体調を崩していました。

彼の場合も、いろいろな雑霊と波長の合いやすいがゆえの霊視現象であり、また、それゆえにしょっちゅう体の具合を悪くしていたのです。

 

 

 

 

 

自己肯定感が低いと低級霊と波長が合いやすい?

私は、子供のころからあまり褒められた経験もなく、はっきりとは言われませんが、いなくてもいい子という状態が長く続いたせいか自己肯定感が低く、自分に自信が持てないでいました。

だから、何かあるとすぐに自分が悪かったのではないかと考えてしまいました。

確かに、反省は大事だと思いますが、過度に自分を責めることは現実の把握とはかけ離れてしまいます。

反対に何があっても全部人のせいにすることも、よくありませんが。

大霊界」のご本に書いてあるように強度の霊媒体質ではありませんが、けっこう霊から影響を受けていたのではないか、と思われることがありました。

つまらないミスが続いたり、夏になると手足がかゆくなったり、胃腸が弱かったりしましたが、今はほとんどありません。

今にして思えば、自己肯定感の低さが霊を呼びよせる原因になっていたのではないか、と考えています。

自己肯定感が低いと、何でも悲観的に考えてしまいます。

それが、あまりよくない霊と波長が合いやすくなっていたのではないでしょうか。

年を取って図々しくなってきたこともあるのか、ある時期から残り少ない人生を悲観的に考えるのはもったいない、と考えるようになりました。

それからの毎日は、あらゆることに感謝をすることができるようになり、楽しい日々を送っています。

人から怒ったことがないじゃないか、とさえ言われるようになりました。

確かに子供の頃は、沸点が低くすぐに怒っていました。

子どもの頃に、一生分の怒りを出し切ったのではないかとさえ思えてしまうくらい、怒ることが少なくなりました。

そういうふうになれたのも、聖の親様から頂いている超神霊のお力が大きく影響をしていると思っています。

 

霊のささやきを無視する

前回の続きです。

 

霊を無視したら霊がいなくなった

「ところが、こちらが霊のささやきに頼り始めと、それから、だんだん霊の言葉が怪しくなってきました。明日がどうなるとか、明後日こうなるとか、いろいろ言うのですが、それがほとんど違っているのです。で、そのうちに、言いうことすべてがでたらめになってしまいました。その命令的な強引な口調と、現実の人間生活との食い違いがはなはだしいのです。

それで、私は、あ、この霊は悪い霊なんだなと思いました。霊についてはよく知りませんでしたけれど、とにかくウソをつくんだから、悪い霊に違いないと思ったわけです。で、それからは、私自身、その霊に全然関心を示さず、徹底的に無視したのです。霊が何を言って来ようと、相手にしなかったのです。

そうしましたら、始終耳元でささやいていた霊の言葉が次第に少なくなって、そのうちに、まったくなくなってしまいました。私の体験から言うと、霊聴があったら、とにかく無視するのが一番いいようですね」

この藤村さん、当時、霊についてほとんど知識はなかったということですが、大変賢明な方というべきです。

人間界に介入してくる未浄化な霊というのは、人間がその霊に心を向ければ向けるほど、喜んで、より激しく現象をあらわすものなのです。

霊と人間との心の波長が合わなければ、決して憑依現象は起こらないのです。

ですから、霊が憑依しかかってきたら、意識的に心の波長を霊に向けないようにすれば、霊は自然に離れて行ってしまうのです。

隈本確先生は、強度の霊媒体質で、かつて、四六時中どこかしら体の具合が悪かった時代に、自然にこの方法をマスターしていたことを思い出しました。

つまり、どんなに体の具合が悪くても、その悪い部分に気持ちをもっていってはいけない、ということです。

たとえば、どんなに胃が痛くても、その痛みにとらわれることなく、痛みは痛みとして置いたままの状態で、心を、痛みを開放するのです。

そして、ひたすら大いなる神霊の霊流を仰ぐのです。

すると、求める心に感応した神霊の心が大いなる霊波を発動して、その結果、胃の痛みの原因となっていた憑依霊が外れていくのです。

要するに、低級霊を引き付けるも跳ね返すも、各人の心(想念、魂)の力にかかっているということなのです。

と同時に、高級神霊のお力をひく場合も、各人の想念、魂がその主導権を握っていることは言うまでもありません。

 

 

 

幽体離脱をしてみる

>霊と人間との心の波長が合わなければ、決して憑依現象は起こらないのです。

 

ということは、霊の言葉に反応をしなければいいということですね。

こういうことに関して、ネットの漫画で霊聴に振り回されていた体験談をみたことがあります。

霊が耳元で「〇〇を触れ!」というので、無視をするともっと強い声で命令をしてきて、結局その人はその命令をきくようになってしまい、その人は強迫神経症という診断を下されたということでした。

この人も、耳元で命令してくる言葉に逆らえばよかったということですね。

 

>人間界に介入してくる未浄化な霊というのは、人間がその霊に心を向ければ向けるほど、喜んで、より激しく現象をあらわすものなのです。

 

霊も寂しいのでしょうね。

自分に相手をしてくれる人を求めているのでしょう。

 

>どんなに胃が痛くても、その痛みにとらわれることなく、痛みは痛みとして置いたままの状態で、心を、痛みを開放するのです。

 

Kさんという人がいます。

その人は、アンチの人にいつもないことないことを言われ叩かれています。

否定しても否定しても、そして、Kさんが言ったことも一部を切り取って、言ったこととは真逆の解釈をして批判をしてきます。

私はこの人の心の強さに感心をしながら、どう保っているんだろうと不思議でした。

やはり、わたしと同じように思っている人がいるらしく、Kさんに聞いていました。

するとKさんは「僕は、そんなとき幽体離脱をするんです」と言いました。

「え、幽体離脱?」

Kさんが言うには「幽体離脱をして、上から自分を見るんです。ああ、これじゃ大変だよな」と思うんだそうです。

つまり、実際に幽体離脱をしているかどうかわかりませんが、客観的に自分を見るということだそうです。

自分の中でいろいろ自分の感情に振り回されていると辛いけれど、自分の置かれている状況を客観的な目で見るということのようです。

つらい状況ということにとらわれることなく、客観的に自分の置かれている状況を見ることによって、自分がこれからどう動いたらいいか、ということが見えてくるということでした。

私は感心してしまいました。

 

霊のささやきで一千万!

便利な霊の声

霊の憑依現象の一つに、霊聴現象があります。

耳元で霊がいろいろとささやきかけるのが聞こえてくる現象ですが、その霊の本体は、ほとんどが低級霊ともいうべき雑霊です。

世の中には、人知れず、この霊聴現象に悩んでいる人も大変多いのです。

たとえば、四六時中、霊があなたの耳音にへばりつくようにして、ざわざわと語りかけ、あげくの果てには、あれをしろ、これをしろなどと命令を始めたらどうでしょうか。

あなたが右に行こうと思ったとたん、「左へ行け!」と耳元の霊が言う、さらに、あなたが大切な人と話してと、不意に、「こいつは罪人だ、もう話は打ち切れ!」「こいつの言うことは全部でたらめだ!」などと、わめき始めたとしたら……。

神霊治療能力者である隈本確先生のもとへは、このような霊聴現象に悩む依頼人が訪れることが多いのです。

そんな折には、隈本確先生は、依頼人に対して全身浄霊をしっかりして、依頼人の人の守護神(先祖諸霊中最も高い格をもった実在の神霊)を出現させ、さらに、隈本確先生の霊流をひく方法を納得のいくまでお話しするようにしていました。

そして、霊聴が聞こえてきた場合には、そのささやきに意識を向けることなく、ひたすら守護神を念ずるか、隈本確先生の霊流をひくことで、徐々に霊聴現象を消滅させる方向へと指導しているのでした。

この方法で、霊聴現象に悩むほとんどの人たちが、その悩みから解放されています。

ところが、あるとき、講習会で霊聴現象の話をしたところ、受講生の磯村さんという男性が、こんなことを言いました。

「先生、今お話の霊聴ですけれど、実は私にもその経験があるのです。あの時は、全くたまりませんでした。半年以上の間、耳元で、霊がうるさく語りかけてきたのです」

「今は治ったのですか」

「はい、今は、そのような現象は全然ありません」

「どのようにして治されましたか」

隈本確先生のこの問いに、磯村さんは、次のように語り始めました。

「はい、それはまあ、自分で治したというか、結果的には自然に治ったわけなんですけれど、こういうことだったんです。

今から数年前のことになりますが、自分の守護神様の存在も全然知りませんでしたし、霊的なことについてもほとんど知識はありませんでした。ただ、自分の耳元で、いろいろ語り掛けてくる目に見えない存在が、何か霊的なものなのだろうということだけはわかっていたのです。

それが、便利というか何というか、いろいろと私のわからないことを教えてくれるのですね。まあ、日常生活の小さなことですが……。たとえば、明日の天気とか、誰に偶然に会うとか、ちょっとした事故のこととか、ええ、ほとんど当たりましたね。競輪や競馬でも、一千万くらいは設けたんじゃないかな。初めのうちは、そりゃ実に便利だなと思ったものです。

 

次回に続きます。

 

 

まだまだ俗世間にまみれている私

>競輪や競馬でも、一千万くらいは設けたんじゃないかな。

 

うわぉー!

一千万ですって!!!

まだまだ俗世間にまみれている私は、心が動揺してしまいました。

いつまでもこんな便利なことが続くわけがないですよね。

次回にこの男性がどうなるのか、たぶん、雑霊の罠ですよね。

でも、俗世間にまみれている私はの心の隅にうらやましいという思いが少しあります。

 

夏に実家に帰省をしたとき、実家の菩提寺姉弟や甥と甥の息子とともに行ってきました。

実家の菩提寺は、跡取りがいないのと住職が体調が不調のために、お寺をしまうことになったといいます。

正確に言うと、住職に息子さんはいますが、遠く離れたところで家庭を持ち、違う職種についているということでの後継ぎがいないということでした。

他にお寺を継いでくれる人がいないか、探したのですが見つからないということで、今月で寺終いをするということでした。

最初、その話を聞いたときは信じられないという思いと、何とかならないのかという思いと、時代だなぁという何とも言えない寂しい想いがしました。

こうやって、時代とともに変わっていくんだなぁ……と複雑な気がしました。

かといって、息子さんの生活もありますし……

大人になって何十年ぶりにお寺に行ってみると、あれ、こんなに小さかったっけ……

とっても大きなお寺に見えていたのに、大人になってみると違って見えました。