聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

生きている人間の念と死者の念

生者の念と死者の念

 

人間界の人間の念と霊界の霊の念には違いがあるそうです。

 

人間の念

人は毎日の生活の中でいろんなことがあり、そこで色んな感情がわき上がってきます。

 

夫婦も一緒にいる時間が長くなると、お互いの欠点が目につくようになります。

そうすると些細なことも気になり、それが喧嘩の原因になったりまします。

ところが、子供が間に入って一緒に話をしているうちに喧嘩をしていたこともすっかり忘れて、いつの間にか仲が良くなっているという事もあります。

 

仕事で上司にものすごく叱られて落ち込んでいると、仕事が終わってから上司に飲みに誘われ、飲みに行ってそこで、上司からねぎらいの言葉や上司と打ち解けているうちに、すっかり前向きになっているという事もあります。

 

こういうことは、人間の肉体が断層地帯となって念の継続を遮断しているというのです。

この場合は、相手に対する良くない感情の念は即念として解消されてしまうのだそうです。

 

良くない感情というのは、人は長く自分の中で持ち続けることを、本能的に解消しようとするそうです。 

そのために、気の合った友人と食事をしたり飲みに行ったり、買い物に行ったり、スポーツをしにジムに行ったりして気分転換をはかろうとします。

 

その他に、ものの考え方を変えたりします。

上司に叱られたとしても、上司は自分のために𠮟ってくれたんだと、考え直したりします。

 

死者の念

霊とは肉体を持たない死者の念です。

肉体を持たない死者の念は、肉体という念の断層地帯がないために、気持ちを切り替えるという即念がなかなか難しくなるようです。

その念の想いが、時間の経過と共に増大していくのだそうです。

 

  

 

   

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常に聖の親様と共に

 

私たち生きている人間は肉体を持っており、それが念の切り替えに役に立っているとは思いませんでした。

確かに即念にしろ、持続念にしろ、イヤな想いというのは本能的に解消しようとしますね。

こういうところが、隈本確先生の凄い分析力だと思います。

 

この気持ちの切り替えというのは、私が思うには早いほどいいです。

 私はこの気持ちの切り替えが下手です。

まるで一生の課題だったと思うくらいです。

若い時よりはましになりましたが、未だに下手です。

 

死者の念は、生者の念で悩みや恨み、等の感情が自分で制御できなくなって迷路に入ったみたいに、自分の感情だけにとらわれてそれしか考えられなくなった、そんな状態と同じだとしたら、それこそ地獄ですね。

 

隈本確先生が、よく常に聖の親様を意識してください、聖の親様に包まれているようにとか、常に胸に聖の親様がいらっしゃると思って生活をしてください、と言われるのはこういう事なのですね。