聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

゛雲竜海王”がやって来た

雲竜海王とは

 

前回の続きです。

隈本確先生は、お婆さんが危篤状態になると、救ってあげるという事の繰り返しだったそうです。

 

ところが、そんなある日、゛雲竜海王“なるものが隈本確先生の体にやってきます。

 

最初は、体中に重くのしかかってくるような激しい胸苦しさと不安感に襲われていました。

 

そんな日が5日も続き、隈本確先生は耐えきれなくなり、「お前は誰だ」と聞くと先ほどの゛雲竜海王”という答えが返ってきました。

 

隈本確先生はどのような存在かと聞くと゛生命線”という答えが返ってきました。

隈本確先生は、自分の命を取りに来たのか、と聞くと「いや、違う。お前の祖母の生命を取りにきたのである」という返事でした。

 

隈本確先生にしてみれば、祖母の命を取りに来たと言っているのになぜか自分のところに来ているので、なぜ自分のところに来るのか意味がわかりません。

 

そこで隈本確先生は、祖母の命を取りに来たのになぜ自分のところに来るのか、と聞きました。

 

すると、「お前が霊性を磨き、宇宙界に通じる解放された体質を持っているのできた」というのです。

 

そして、゛雲竜海王”は「お前が祖母の前に立ちはだかっているので、我々宇宙界の存在に対抗している現象になっている。お前が祖母の命を"もらい受けてもよい”というならば三日以内にお前のそばの命をもらい受け、我々は元の宇宙界に帰ることができきる。もし、お前が許可を与えなければ、お互いのエネルギーが消滅するまで戦う。」と言いました。

 

隈本確先生は、迷った末、守護神に尋ねました。

すると守護神からは答えが返ってきました。

 

守護神の答えです。

「そなたは、今日までに祖母の命を6回も助けている。この祖母に対して、血縁者としての義務は十分果たし終えている。この祖母は悪想念に凝り固まり、これ以上人間界にいて生き永らえれば、さらに悪想念をつのらせることになる。その結果、霊界入りの暁には、好ましからざる道を歩むことになるであろう…….このたびのそなたの問題については、そなたの自由意志によって処理してよろしい」という事でした。

 

この続きは次回になります。

 

 

 

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我が家には貧乏神がいた

 

゛雲竜海王”なるものは、この世の言い方で言うと、死神でしょうか?

人が死ぬ時というのは、本当にこういう死神というようなものがやってくるのでしょうか?

 

死神はわかりませんが、貧乏神というのはいる気がします。

もちろん昔話にでてくるような感じの貧乏神ではありませんが。

 

というのは、私の姉が、まだ子供たちが小さい頃、毎日お金がなくて必死で内職をしていました。

 

姉が言うには、「うちには貧乏神が一人じゃなくて、もっと沢山いる気がする」と、よく言っていました。

 

子供たちも成人して結婚をして家を出たので、義兄と二人の生活になった今では、貧乏神のびの字も言いませんが。

贅沢ができるほどではないけれど、お金の心配をしないで生活ができるくらいになったのでしょう。

 

我が家も一時期、子供たちがまだ学校に通っている頃、本当にどうしてこんなに家に落ち着いてられないのか、と思うくらいお札が出ていきました。

 

毎年行っていた日神会に今年はいけないのではないか、とドキドキしながら生活していました。

でもなぜか、その頃になると何とか日神会に行くくらいのお金は都合がついたのです。

 

変な言い方ですが、考えようによっては、毎年スリルがありました。

今なら、あの時ほどではないくらいになったのに、今はいけなくなりました。

 

今の私は、あの頃の我が家にも貧乏神がいた気がします。毎日必死で、家の中から敷地全体、そしてその奥の奥まで浄霊をしていました。そのおかげではないか、と思っています。

 

そう、正体はわからないけれど、我が家の奥に(現実の奥ではなく、私の感覚的な奥)冷たい氷のようなものを感じていました。

 

でも、ある時からそれが無くなってフワーッと春の温かさを感じるようになりました。

それからは、大丈夫と思っていても、なぜか急な予定外の出費がしょっちゅうあったのが、逆に急に予定外の収入があったりするようになったのです。

 

だから、以前に隈本確先生が、゛高級神霊の波動を仰ぐ”という事を繰り返し「大霊界」のご本に書いていたのは、そういう事なのではないか、と実感しています。

 

だからと言って、今は贅沢ができるほどではなく、毎日明日はどうしよう、という心配はしなくていい、というレベルですが、私にはこれくらいが一番良いかな、と思っています。

あまり物欲もありませんので、ありがたいと思っています。