聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

死の壁に近い人と近い霊

霊媒体質の人

 

霊媒体質の人は、低級霊の憑依を受けて、しょっちゅう病気ばかりしている人がいます

 

病気知らずで健康そのものの人でも、不自然なほどしばしばケガをしたり、不意のアクシデントに見舞われやすい人がいます。

こういう事故傾向のある人も霊媒体質の中に入ります。

 

現界と霊界は死の壁によって分けられています。

と言っても、現界と霊界は本来一つのものです。

 

現界である人間界は、五官(眼、耳、鼻、舌、皮膚)で把握されます。

 

これに対して霊界は、五感(五官によって感じられる五種の感覚)を超えた想念だけの世界で、俗にいう第六感でしか認識されない世界です。

 

霊界でも死の壁に近くにいる霊ほど人間界側に幽霊となってあらわれたり、種々の怪奇現象をあらわす存在なのです。

 

人間の体に憑りついて病気の原因をつくったり、事故を起こさせるのも、これら死の壁付近にたむろしている霊たちです。

 

このように人間界に近づいている霊の多くは、まだ自分が死んで霊界の住人になっていることをはっきり認識していない低級霊なのです。

 

実際は霊界にいるのにもかかわらず、人間界で生活をしていた時の想念をそのまま持ち続けていて、人間界にさかんに介入しようとしているのです。

 

つまり、霊界という存在を認めず、自分が人間である事を主張しようと、さかんにもがいているのです。

 

逆に、この死の壁から遠ざかれば遠ざかるほど、その霊は人間界の想念から遠ざかり、霊界での向上の道を歩んでいます。

 

一方人間界側は、死の壁に近づけば近づくほど、その人間は霊のかかりやすい霊媒体質となっていきます。

 

幽体密度の濃い人ほど、死の壁の近くにいます。

このような体質を持った人は、霊との交流が盛んで、人間界にいながら霊の姿が見えたり聞こえたり、霊界の色々な様子が映ってきます。

 

そして、本人の意思にかかわらず、予知現象が頻繁に起こってきます。

 

一般に言われている霊能者や予知能力者と言われる人は、体と心の素質が普通以上に死の壁の近くにいる人です。

つまり霊媒体質です。

 

霊媒体質の濃い人ほど死の壁により近づき、より一層、予知や霊感が盛んに生じてくるのです。

 

霊媒体質の人には、死の壁の向こう側にいるはずの色々な霊がやってきて体に侵入し、普通ではわからないことを教えるからです。

 

例えば、誰それはいつ死ぬとか、あの人はいつどこで、どんな事故にあうとか、五分後に電話がかかってくるとか、現界人の常識ではわからないことをささやきかけてきます。

 

時には、法外な供養を要求をしてきたり、わざと嘘の予知をささやきかけてくることもあります。

 

このようなことは、現界に出没する霊が未浄化な低級霊であると知ると、容易に納得できる現象です。

 

幽体密度の濃い霊媒体質者は、それだけ霊障による病気も多いのです。

 

霊媒体質というのは、生まれつきという事が多いのですが、後天的なこともあります。

 

後天的な原因は、運動不足や睡眠不足など一般的に考えられる不健全な生活は、後天的な霊媒体質をつくります。

 

逆に本来は霊媒体質であっても、規則的な運動や十分な睡眠、心の安定など、気を付けて生活をすると幽体密度の低い健康な体をつくることができます。

 

人間界にあって死の壁から遠ざかったところにいる人は、予知とか霊による怪奇現象など、理解ができません。

 

死の壁から遠ざかれば遠ざかっている人ほど霊の交流は無くなるので、このような人にとっては霊界の存在すら信じられないものになります。

 

 

 

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次男の宗教嫌いの原因は私

 

病気知らずで健康そのものの人でも、不自然なほどしばしばケガをしたり、不意のアクシデントに見舞われやすい人がいます。

こういう事故傾向のある人も霊媒体質の中に入ります。

 

以前、次男が小さい頃によく頭を打って困った、という事を書いたことがあります。

 

次男に他者浄霊をしたことによって、頭を打たなくなりましたので、私が思っていた通り、次男は霊障だったのだと思います。

 

ということで、次男は霊媒体質だったのではないかと今になって思っています。

 

家の子供たちは3人とも病気はほとんどしませんでしたが、細かいケガやミスが多かったので、今思えばやはり3人とも霊媒体質だったのではないかと思います。

 

今は成人して強くなった部分もあるでしょうし、私も子供の頃からズーッと他者浄霊を続けていますので、それも大きいのではないかと思っています。

 

今次男は、宗教という宗教は全く受け付けません。

次男に言わせると、うまくいったときは神様のおかげで、うまくいかない時は信仰が足りないから、なんていうのはおかしい、自分だって努力をしたのに、自分の努力は全く評価されないのはおかしい、と言っています。

 

次男にこんなことを言われても仕方がありません。

次男にこんなことを言わせたのは、私のせいなのです。

 

私としては、聖の親様のお力をわかってほしくて言ったことが、次男を傷つけていたのです。

 

というのは、次男は親の私が言うのもなんですが、大変な努力家です。

 

彼が努力をしてうまくいったときに彼を褒めることを忘れて、必ずと言っていいほど聖の親様のおかげだ、と言っていたのです。

私の想いが裏目に出てしまいました。

 

本当に反省です。

それを知った時もちろん謝りましたが、後のまつりでした。

 

でも私は、うまくいったときは聖の親様のおかげだとは言いましたが、うまくいかなかったときに信仰が足りないとは言ってはおりません。

次男にそこまで信仰は押し付けてはおりません。