確先生の20代以降の憑依体験
10代の頃から常に死の恐怖と戦っていた確先生、20代も続き得体のしれない死の恐怖にさいなまれていました。
それでも確先生は、日常生活ではワルでした。
売った喧嘩も売られた喧嘩も負けたことがなかったといいますから、強かったんですね。
学生時代のクラスメートに道端で出会うと、確先生の顔を見るなり一瞬ビクッとしてと立ちすくんで、逃げて行くという事がよくあったそうです。
ところが、20代になった確先生は、喧嘩どころではなくなっていきました。
霊視や霊聴が頻繁に沸き起こってくるだけでなく、心身のバランスの崩れがさらにひどくなってきました。
20代、30代と悶々と過ごし、確先生の心身を悩ませる不思議な苦しみは40代近くまで続きました。
〇 何年間も続いた後頭部の頭痛、あまりの痛みのために顔つきがゆがんでくるのが自分でもわかるくらいです。
痛さがあまりに続くので、自分の頭を割って自分の脳みそをひきずり出したい衝動にかられたといいます。
〇 激しい胃の痛みが7年間続きました。あまりの胃の痛みのために顔面が蒼白になり、ひきつり、毎朝布団から起きだす時には、うつぶせになった背中の上から誰かに乗って踏みつけ、足踏みしてもらわなければならないほどでした。
刀で腹を一文字にかき切って胃袋を引き出して、それを力いっぱい投げつけてやりたい!と思っていたといいます。
〇 25歳くらいの時、7月~9月の3カ月余りの間、毎日11時~16時までの間、耐えがたい寒気に襲われ続けました。時計が11時を告げる音と共に、激しい悪寒がやってくるのです。
真夏だというのに、襖も障子もぴったりと締め切って、冬布団を3枚重ねた中にうずくまる風にして、震えていたといいます。
ところが、いくら布団や炬燵で暖めても、体の中から寒気が襲ってくるのであまり効果はなかったそうです。
しかも、激しい悪寒に伴って、確先生の全身の骨はうずき、ほんの少しでも布団から手を出すと、とたんに、電流が走ったようにズキッズキッと痛み、思わず悲鳴を漏らしてしまうほどでした。
当時、確先生は、ぶるぶる震えながら熱いうどんをかきこんでいたそうです。
そうでもしなければ、本当に凍え死にそうな心地だったといいます。
ところが、16時になると途端に、それまで体の中から冷凍されていくような異常な寒気は、ウソのようにきえてしまうのです。
11時から16時までの5時間の間は、震えながら厚い布団にくるまって冷や汗を垂らしていた自分は、いったいどこへ行ってしまったのか、きつねに化かされたような釈然としない気持ちで、茫然としてしまう確先生でした。
〇 40歳くらいになるまで確先生は、人ごみの中にいることが耐えられませんでした。
デパートや商店街、大きなビルなど、とにかく人の大勢いるところに出かけると、確先生の心の中には、津波が押し寄せてくるよにに恐怖心がどんどんわいてくるのです。
恐ろしさのあまり足は引きつり、一歩一歩、足を踏み出すのがやっとでした。
〇 車でも自分が運転する以外のものに乗った時には、体中から脂汗がにじみだしてくるような恐怖感を味わっていました。
乗っている間中、刻々と、命が削られていくような感じがしたといいます。
やむを得ずバスなどに乗らなければいけない時は、胸ポケットに自分の名刺を用意をしておき、いつでも取り出せるようにしていたといいます。
万が一の場合には、誰か近くに座っている人に渡して、家族に連絡をしてもらおうと思っていたそうです。
確先生は、こういうことは一般の人にはとても理解できないことかもしれないけれど、本当にそれほど切羽詰まっていたといいます。
乗車中のいつ何時、あまりの恐怖心の為死の寸前まで行き、実際にあの世行きになってしまうかもしれない状態でした。
40歳が境目?
こんな状態が続いたら、こんなありきたりな言葉しか見つかりませんが、辛かったでしょうね。
確かに一般の人には理解ができないことでしょう。
武田邦彦先生は、子供の頃から体が弱くて長生きはできないだろう、と言われていたそうです。
ところが、武田先生が40歳を過ぎたあたりから元気になったそうです。
確先生も40歳を境に霊媒体質が治まったようです。
武田先生も病気がちだったというのは、きっと霊媒体質だったのでしょうが、40歳を境に元気になって今は70代後半です。
武田先生は、ネットの動画で元気いっぱいによくしゃべっています。
しゃべり過ぎではないか、というくらいです。
この40歳というのは、個人差はあるとは思いますが、憑依霊を受け付けなくなるくらい魂が強くしっかりしてくる年齢なのでしょうか。
何となく思いました。
確先生に聞いてみたいです。
それにしても確先生の体験というのは、壮絶ですね。
神霊の知識がないと、色んな病院のはしごですね。
世間一般に、この日神会の教えが広がることを望みます。