今度は田中さん
前回の続きです。
田中さんは、不思議な予感で娘さんの死を予告されてから実際の訃報を聞くまでの堪えがたい日々、その後の絶望的な日々、自分自身と戦うようにして、船長としての責任ある仕事をやっとの思いで果たしてきました。
その間、田中さんは一日千秋の想いで故国の土を踏むことばかりを考えていました。
ところが、又空間から不気味な声がまだ続きました。
今度は「次はお前だ。お前が死ぬのだ。早く死ね。ほれ、海に飛び込め、首を吊れ、そこにある刃物で手首を切れ!」このような声が日に何度となく、聞こえてきて、しきりに田中さんをけしかけるのでした。
来る日も来る日も、この声が聴こえてきました。
この声を毎日聞いているうちに、田中さんはだんだん催眠術にかかったようになってきて、田中さん自身、ふと"死にたい”と思うようになってきました。
「さあ、早く、海に飛び込め、首を吊れ!何をぐずぐずしている、早く死のうではないか」田中さんは、この不思議な声に繰り返しけしかけられているうちに、次第に正常な判断力がマヒしていくようでした。
空間からひびいてくる不気味なこの声が、田中さんの心の片隅で、何か非常に親しいもののように感じられ始めたのです。
—―ああ、そうだ……。死ねばいいんだ。死にたい、死にたい、早く死にたい、早く死のう。田中さんはふらふらと洗面所に行くと、思わず知らずカミソリに手を伸ばしかけて、ハッとして我に返るようなことが何度もありました。
田中さんは言っています。
「もし、わたくしに船長という重責がなかったとしたら、もうとっくに、何らかの方法で自らの命をたっていたでしょう。思えば、息子に続いて娘を失い、心臓をズタズタに切り付けられたような苦しみを覚えずにいられませんし、その上に、わたくし自身の身内に沸き上がってくる不思議な死の誘惑。それは死んだほうがまし、というよりは、何か死んだら甘美な天国にでも行けるのじゃないか、といった不思議な感覚でした。—―しかし、わたくしがここで死んでしまったら、この船はどうなってしまうのだろうか。わたくしの心の隅に残された船長としての責任感とわずかな理性とが、やっとわたくしを死の誘いから遠ざけて今日まで来ました。」田中さんはここまで話し終えると、「世の中にこんなことってあるのでしょうか、こんなことがあってもいいのでしょうか ……いや、あったことは事実なのです。」
田中さんは興奮気味になって、問いかけてきましたが、確先生は、その答えを後回しにして、別の質問をしました。
「田中さん、今、あなたの具合はどんなふうですか」すると、かすかに微笑みのようなものを浮かべて「そうですね、ここ数年来の自分とは全く別人のような感じです。
何か体もさわやかで、心もウソのように落ち着いています」
次回に続きます。
春馬さんを見ている人は沢山いる
前回の続きです。
春馬さんのファンは春友さんと言います。
春馬さんが亡くなってから、春友さんがどんどん増えています。
そして、春友さんたちは春馬さんの亡くなり方に疑問を持っている人が多く、そのことでブログやツイッター、動画を公開している人が沢山います。
たぶん今も増え続けているのではないかと思われます。
私も、そういった動画がブログを時々見ますが、その中には春馬さんが亡くなった今、どうしているかを占ったり霊視をしたり霊聴をしている人がいます。
その中には色んなことを言っている人がいます。
自殺をしたことを後悔している、という人もいるし、この世に未練をもっていると言っている人もいます。
反対に天国に行って幸せに暮らしているという人もいます。
私も霊界にいたと前回書きました。
実際今は、霊流を流しましたので、もっと上にいます。
こうやっていろんなものを見たり聞いたりしていると、よけいにわからなくなってきます。
雑念と言うか、先入観や願望が入るとそのように見えてくるように思います。
私は長い間、世の中に沢山宗教があるのは何故かと疑問に思っていました。
一つのことを見ても、いろんな見方があるようです。
やっぱり想いの世界は難しいです。
私は真実が見えるようになりたいです。