毘沙門天大神と権現大神
毘沙門天大神(びしゃもんてんおおかみ)
戒めの力、術が最も強い神です。
人間は、しばしばこの神霊の力で、肉体の極度の苦しみを味わうことになります。
この神霊の力は、数百年、数千年と持続します。
生前は念力僧、仏法奉持者だった場合が多く、稀には武将だった場合もあります。
毘沙門天大神を守護神としていただいている人、またはこの神の流れを強く受けている人に言えることは、第一に念が非常に強いという事です。
したがって、自分では意識していなくても何となく周囲を威圧するような雰囲気を持っている人が多いです。
性格的長所は、粘り強く、決して中途で弱音を吐いたりしないという点です。
しかし、この粘り強さも執念深さとなったら短所になってしまいます。
尊大さ、傲慢さ、人の意見を聞かない我の強さ柔軟性の欠如などが短所ですが、総じて気難しく扱いにくい人が多いようです。
だから、毘沙門天を守護神としていただいている人やその流れを受けていると思われる人は、周囲に与える念・圧という事を十分考慮して、常に低姿勢と、思考の柔軟性を心がけなければなりません。
この神の流れを受けている人は、本人の意思のあるなしに関わらず、常に強大なる背後の力が働いているわけですから、それを管理せずにストレートに出していたら、周囲の人々から恐れられ、嫌われることになってしまいます。
以前、常に自分の心と言動をよく管理して、他人に尽くす生活を心がければ、強大な毘沙門天大神の力が良い方向に生かされて、人間生活の面で大成することでしょう。
また、この神の知らせ、戒めを受けている人は、肉体的には全身リュウマチ、膠原病、半身不随、二十年にもわたる激しい頭痛、全身のしびれ・硬直といった、病気の中でも最も痛みの激しい者とか、非常に頑固なものに苦しめられることが多いのです。
権現大神(ごんげんおおかみ)
位と権威の神。
他の神霊の支配を受け付けない、広域の力と働きをもっています。
生前は時の権力者、大事業家、官史、社会的地位の高い人、武将だった場合が多いです。
権現大神を守護神としていただいている人、またはこの神の流れを強く受けている人、一種の風格が備わっていて、どこへでても威風堂々としています。
しかし、それがややもすると、周囲の人々の目には尊大とも傲慢とも見えることがあります。
性格的長所は、落ち着きがあって小さなことにクヨクヨとこだわらないことです。
そして指導力に恵まれているために、特に男性の場合、人の頭に立つことが多いのです。
しかしながら、性格のおおざっぱなところも、対人関係においては思いやりのなさとか無神経さという欠点としてああらわれてくることがあります。
また、とかく自信過剰気味で横柄なところがあります。
だから、権現大神を守護神としていただいている人やその流れを受けていると思われる人は、できるだけえらそうな態度、人を見下した態度を抑えて、周囲の人々に対する思いやりといたわりの心を養う事が大切です。
死後の世界の世間の認識
毘沙門天大神も権現大神を守護神もどちらも、名前からして強そうですね。
実際、どちらも強そうな感じです。
毘沙門天大神は、生前は念力僧、仏法奉持者だった場合が多く、稀には武将だった場合もある、とあります。
権現大神を守護神は、生前は時の権力者、大事業家、官史、社会的地位の高い人、武将だった場合が多いとあります。
やっぱり意志が強い人ですね。
この記事とは関係ないのですが、昨日ネットの記事を見ていたら、芸人のヒロシ氏が徹子の部屋に出演した時のことを書いた記事でした。
ヒロシ氏が黒柳徹子さんに「(死後の世界)はないと思っていますけど、いざ僕が死んで、本当にそういうところ(地獄)があったらどうしようと思うんですよ」とゆううつそうに言いました。
徹子さんは、「死んだら痛いとかないじゃないのよ」と苦笑していました。
それでも「わかんないですよ。鬼が金棒もっているかもしれないんですよ。」と脅かすヒロシに、徹子さんは「そしたら鬼のバカって言う。そうすると鬼は逃げますよ。全然怖くない。なぐるぞって言われたら、殴ってごらん、もっと痛い思いさせてあげるからって…フフフ」と微笑みを浮かべて笑いを誘っていました。
という記事でした。
死後の世界の世間の認識って、こんなものかもしれません。
もっと現実の大霊界を知ると、人間であるときも大きく変わるし、戦争も減るかもしれません。
でも、こんなレベルだと肉体が無くなった時、動揺するでしょうね。
そうすると、家族友人知人の名前を呼びたくなるかもしれません……