聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

観世音菩薩と天照皇大神

お久しぶりです。

 

やっと書くことができました。

少しづつですが、書けるようになりました。

 

書けるようにはなりましたが、まだ少しづつなので、当分は不定期で行いたいと思います。

 

よろしくお願いします。

 

観世音菩薩と天照皇大神

 

観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)

 

慈愛と救済をあらわす柔の神です。

 

生前は、宮人、尼僧、社会奉仕家だった場合が多いです。

 

観世音菩薩を守護神としていただいている人、またはこの神の流れを強く受けている人は、この神の性格どおり誰にも優しく、受け身で、争いごとを極度に嫌います。

 

観世音菩薩自体、慈悲心に満ちた神霊だから、この神の流れを受けた人も、それがそのまま性格的長所となってあらわれています。

 

しかしながら、争いごとを極度に嫌う性格は、主張すべき時にも自己を主張できないという性格的弱点となってしまいます。

 

また、人間界にも霊界にも善人や善霊ばかりがいるとは限りません。

 

どのような善意で対しても、人を欺き、困らせる悪人や悪霊もいます

 

そして、このような悪意の人や霊の餌食になりやすいのが、この観世音菩薩の流れを受けた人達なのです。

 

すぐに弱気を起こしてクヨクヨしたり、とかく情におぼれやすく、他人ごとに巻き込まれやすいのも欠点です。

 

人に貸した金品の返済を要求できない、といった弱い面もあります。

 

だから、観世音菩薩を守護神としていただいている人やその流れを受けていると思われる人は、極力気を強く持って、相手のペースに巻き込まれないように気を付けなければなりません。

 

そして、いやなことははっきりと"イヤだ”と言えるだけのドライな強さを持つことも必要でしょう。

 

人に同情するのもほどほどにしなければ、自分自身が破滅してしまいます。

 

特に、社会生活をしていくうえでは不動尊毘沙門天大神、権現大神の気質を取り入れていくように努力されるといいと思われます。

 

天照皇大神(てんしょうこうたいじん)

 

日本古来からの神道の流れをひく国津神の総称です。

孤高の神です。

横のつながりがなく、縦のつながり・流れの中に位置する神です。

天照皇大神を守護神としていただいている人、またはこの神の流れをを強く行けている人は、凛とした気高さに恵まれています。

 

したがって、周囲の人々に対しては信頼感、清潔感を与える反面、少々近づきにくい印象を与えることがあります。

また、精神的に非常に緻密なところがあって、唯信的思考が強いというのも、この人たちに共通の特徴です。

 

生活の面では、他人に煩わされることを好まず、むしろ一人で過ごすことを好む場合が多いです。

 

そんなわけでか、自然に生涯を独身で送ることにあったり、あるいは夫や妻と生別・死別して孤高の生活を一人楽しむというケースも、しばしばみられます。

 

性格的長所は、精神的に潔癖で曲がったことが嫌いだという事です。

 

しかし、潔癖も度が過ぎると温かみに書けた冷たい人柄となってしまう恐れもあります。尊大、高ぶりなどの他、弧高感が強すぎて一人で思い悩んだりしがちなことがあげられます。

 

 

   

 

 

 

優しい人と凛とした人

 

観世音菩薩ですが、世の中には本当に優しい人がいます。

 

きっとそういう方が観世音菩薩の流れを汲んでいる方なのでしょうね。

 

世界にこんな人ばかりだと、戦争など起こらないのではないかと思います。

 

現実は、難しいものです。

 

天照皇大神を守護神としていただいている人、またはこの神の流れをを強く受けている人は、凛とした気高さに恵まれています。

 

こういう人は、少ない気がします

 

凛とした気高さという姿は、個人的にはあこがれます。

 

孤高の人ですが、一本筋が通っていて何にも負けない強さをもっていたい、と若い時から願っていました。

 

いつも周囲を気にして、フラフラしていたものですから。

 

日神会に出会ってからは、少しはましになったとは思いますが、まだまだです。

 

いつか肉体を脱ぎ去った時に、凛とした魂になっていたいと願っています。