前回の続きです。
現実の人間界の日神会の運営にはお金が必要
話し合いの結果、依頼人の方それぞれの気持ちで謝礼金を入れていただけるように、治療室に空き缶をおいて賽銭箱としました。
そうはいっても、謝礼は強制ではなく、あくまで本人の気持ち次第でしたから、その後も感謝の気持ちだけで帰っていく方(特に、裕福な方に限って謝礼なしで感謝の気持ちだけでケースが多かった)や、百円札一枚を小さく折りたたんでいく方もまちまちでした。
中には十年前のお金で十万円を遠慮がちに入れようとする方もあったりして、これには隈本確先生もあわてて、押し返しました。
要するに、十万円でも不足ではないかとおどおどと不安そうな様子をする人や、謝礼なしでもおおらかな気持ちで悠々と帰っていく人と、非常に不公平な状態が生じてきました。
こんないきさつがあって、昭和50年神霊治療機関として登記を済ませ、正式に日本神霊学研究会として発足したのを機に、会員となっている信者の方々と合議の末、諸会則と共に謝礼金についても限定をつくったのでした。
すなわち、供養、浄霊、因縁解除という神霊治療行為に対して、あくまでも妥当と思われる額の謝礼金を受け入れることにしたのでした。
ところが、この決定にあたって、信者の一人から次のような質問がありました。
「先生、依頼人の方から感謝の気持ちとして差し出す謝礼金であれば、たとえ、一万円でも十万円でも、百万円でも、それを受けて不都合だとは思いません。
けれども、いくら妥当な値であっても、会自体の規定として神霊治療に対して一定の謝礼金を打ち出すことはどうなのでしょうか。
そういう事について、神様はどう思われるのでしょうか。」
この意見はもっともであります。
確かに、加持祈祷などの宗教的行為とか神霊治療行為には、それ自体を金銭に換算する尺度はありません。
しかし、次のような考え方は成り立たないでしょうか。
繰り返しになりますが、確かに、いかなる難病を神霊治療で感知させたとしても、その治療行為を金銭に換算することは絶対にできません。
たとえ、十年以上にわたる胃潰瘍や偏頭痛治療のために、神霊治療を受ける以前に何十万、何百万という大金を投じていたとしても、そのようなことを神霊治療行為や、いわゆる宗教的行為に対する謝礼金の尺度とはできないのです。
また実際に、想念の世界にあられる神霊自体は、金や物品を一切必要としていません。
けれども、この神霊治療(浄霊、供養、因縁解除)という行為を法的に登記し、より多くの人々の治療にあたり、又、優れた治療能力者を養成していこうとすれば、当然、治療所というスペースも手に入れなければなりませんし、電話、その他の備品も必要になってきます。
さらに、職員の人件費という事も考えなければいけません。神霊治療にあたって、発動される力その者は神霊のお力であるけれど、それを駆使し、行使するのは、あくまでも人間です。
いかに超能力者と言えども、肉体をもった人間である以上、飲まず食わずでいきることはできませんし、当然、衣服も居住も必要になってきます。
したがって、あくまでも人間世界で妥当と思われる範囲内であれば、神霊治療能力者と依頼人との間に金銭の授受があっても、何ら神霊の世界の法則に反するものではないのです。
わたしたち現界に住む人間は、決して神霊世界の法則のみで生活できるものではありません。
と同時に、人間性の法則のみで生活することも、決して好ましい事ではありません。
要するに、神霊世界の法則と人間世界の法則とが、車の両輪のごとく並行して進められるところに、人間生活の真のあり方があるのではないかと思われます。
家庭の崩壊を救っていただいた
私も隈本確先生が書かれる通りだと思います。
正直言うと、日神会の会費や儀式の金額に対してそんなに深く考えたこともありませんでした。
確かに神様からお力をいただくことにお金は必要ありません。
だからアンチの人達がおかしいと言っていたのかと納得しました。
あまり深く考えたことのなかった私は、日神会の会員になりたいというだけで、会費を払わなくちゃ、とか儀式にもお金を払わなくちゃ、くらいにしか考えておらず、アンチの人の言っている事がわかりませんでした。
私個人の想いで言えば、我が家が崩壊してもおかしくない状態をここまで平和な家庭になるのに、どれほどのお力をいただいたかわからないので、もっと経済的に豊かだったらもっと寄付をしてもいいと思っています。
以前は、どうやって支払おうか、と本当に毎日が自転車操業でした。
でも今は、贅沢をしなければ生活ができるくらいになりました。
これも聖の親様からのお力をいただいていたからだ、と思っています。
それを考えると、現在の金額は安いと思っています。
ただこのことに関しては、それぞれ会員さんの考えや思いがあるでしょうから、あくまで私個人の考えです。