聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

良念でも悪念でも波長が合わなければただの物体

自己治療法の公開

 

隈本確先生は、ご自分のご守護神の霊流をひいて、読者自らが自己の病気を治すという画期的な霊流理論の一部である「自己治療法」を公開しました。

 

その結果、本に書いてある通りの方法で自己治療に取り組んだところ、病気が治ったとか軽くなった、あるいは、本を胸に当てて「隈本先生、お願いします」と念じたところ、不安感やイライラがすっかり消えてしまった、などという報告やお礼のお便りが続々と寄せられ、とても喜んでおられました。

 

それにしても、以前に「大霊界」に掲載した自己治療法や、「大霊界」の書物自体にどうしてそれだけの力があるのでしょうか。

 

それは、心の世界、神霊世界の霊妙不思議な働きについて知れば、よく理解できることです。

 

すでに「大霊界」シリーズの読者である方々は、そのことについて十分に理解されていると思います。

 

しかし、「大霊界」にあっては、その「高い自己治療効果」という事について、もう一つの重要なカギがあったのです。

 

実は、隈本確先生は、あの本の扉やカバーに掲載されている自己の写真の原版に、「どうか、この世の中で霊障に苦しむ多くの人達を浄霊し、少しでも病気を治したまえ」と一心不乱に念じて、隈本確先生自身のご守護神の霊流を封じ込めておいてあるのです。

 

だから、心の底から「隈本確先生、お願いします」と願いかけ、超意識の世界で隈本確先生と心の波長が合わせられた方々には、「大霊界」の著書を媒体として、隈本確先生のご守護神の最高の霊流がストレートに作用したのです。

 

一方、いくら隈本確先生の著書が手元に置いてあっても、隈本確先生と深い意識の世界で波長を合わせることができなければ、その人は、隈本確先生の本からなんらの霊流を感じないし、病気も治せず、幸運も訪れません。

 

これが、意識(心)・神霊の世界というものです。

 

前置きが長くなりましたが、要するに言いたかったのは、どんな良念がこもったものでも悪念がこもったものでも、当人がそれに対して心の波長を合わせさえしなければ、それらのものは、少なくともその人はただの物体に過ぎないという事なのです。

 

だから、もし、あなたの家にお祀りしてある神仏像、掛け軸、お札、お守りなどに、運悪く悪徳行者の怨念が込められていたにしても、そのものが発する悪念に対してあなた自身が低い想念で同調さえしなければ、何ら恐れることはありません。

 

それは丁度、外国から送られてくるラジオの短波放送を国内用の長波の受信機でいくら聞こうとしてもウンでもスンでもないのと同じことです。

 

お焚き上げするなり、どのように処理しようとも、それはあなたの自由だし、そのことによってあなたの身に不幸が降りかかってくるなどということはありえません。

 

中には、色々な神仏具や宗教的物品に囲まれつつ欲望、恨み、不安、恐怖、悲しみなどの暗い心にとらわれて生活している人がいたら、たった今心のチャンネルを切り替えなければなりません。

 

何よりも、あなた自身の暗い想念が同じように暗い想念をもった悪霊、低級霊どもを呼び込んでしまう事に早く気がつかんければならなりません。

 

そして、明るい心になったところで、悪想念のこびりついたおどろおどろしい品々を、さっぱりと一婦してしまう事です。

 

隈本確先生を胸に描き、「隈本先生、お願いします」と明るい晴れ晴れとした心で念じながら、それらの物品を堂々と処理してください。

 

部屋を明るく清潔にし、あなた自身も、天高く、きらめく大霊界に思いをはせながら、大きく意識の方向を転換していくことです。

 

 

  

 

 

 

「聖の親様」にとても助けていただいた

 

>その結果、本に書いてある通りの方法で自己治療に取り組んだところ、病気が治ったとか軽くなった、あるいは、本を胸に当てて「隈本先生、お願いします」と念じたところ、不安感やイライラがすっかり消えてしまった、などという報告やお礼のお便りが続々と寄せられ、とても喜んでおられました。

 

私は今でこそ、ほとんどお札も本も何も頼らなくても、胸に聖の親様を想えば即温かいエネルギーを感じることができますが、初めの頃はお札もなくいつも本を頼りに、エネルギーをひいていました。

 

本にカバーを付けても、そのうちボロボロになってしまいました。

 

本は、とても人前には出せる状態ではなくなっていました。

 

何かあれば、即聖の親様とお願いをしていました。

 

心の乱れがあれば、即聖の親様でした。

 

あの頃は、自分の自由になる時間もお金もなかったのと、辛い思いを子供にぶつけることだけは避けたかったので、自分の感情を平常心に保つために、心が乱れそうになると聖の親様、とお願いをしていました。

 

どれほど助けていただいたかわかりません。

 

あの頃は、何かあれば聖の親様、としか思っていませんでしたが、今思えば、確かに紙という物体から神様からのエネルギーを感じ取るわけですから不思議ですよね。

 

そんなことを考えたこともありませんでした。

 

>あの本の扉やカバーに掲載されている自己の写真の原版に、「どうか、この世の中で霊障に苦しむ多くの人達を浄霊し、少しでも病気を治したまえ」と一心不乱に念じて、隈本確先生自身のご守護神の霊流を封じ込めておいてあるのです。

 

そういう事だったのですか。

 

この部分も読んでいたはずなのですが、読んだ覚えがありません。

 

改めて隈本確先生、聖の親様ありがとうございます、です。

 

>要するに言いたかったのは、どんな良念がこもったものでも悪念がこもったものでも、当人がそれに対して心の波長を合わせさえしなければ、それらのものは、少なくともその人はただの物体に過ぎないという事なのです。

 

という事は、良念にしろ悪念にしろ当人が、それに対して波長を合わせなくればいいという事ですね。

 

でも、自分でも意識をしていないと、悪念と波長が合う生活をしていると、影響を受けるという事なんですね。

 

部屋を明るく清潔にし、あなた自身も、天高く、きらめく大霊界に思いをはせながら、大きく意識の方向を転換していくことです。

 

この想いですね。