隈本確先生の友人
これから書くことは、隈本確先生が20代半ばの頃に体験したことです。(今からだと約65年前)
当時の新興宗教の入会勧誘活動がいかに非常識で強引だったか、よくわかっていただけると思います。
でも、このようなことは、現代でもあちこちで起っていることであり、同様の体験をした方はかなりいるはずです。
もう二十数年前も以前のことになりますが、ある日、学生時代に仲の良かった友人の川田君がひょっこりと隈本確先生の家を訪ねてきました。
ところが、この川田君の様子が以前とは違って、おかしいのです。
たまたま、この時、隈本確先生は食事中だったのですが、彼は、隈本確先生が招き入れるより先に部屋の中に上がり込んできたと思うと、そのままどっかりと座り込んでしまいました。
彼は、食事は済ませてきたという事なので、とにかくしばらく待ってもらう事にしましたが、彼の様子は何か不自然で、しきりに部屋の中をきょろきょろと見まわしたり、そうかと思うと、何か傲慢そうなそぶりを見せていました。
突然、彼は、隈本確先生の方を見ずにぶっきらぼうに言い放ちました。
「おい、隈本、あんたは神ば祀っとっとかァ」
見れば、彼の目は、神棚のあたりに注がれており、その目は心なしか蔑むような光をたたえていました。しかし、隈本確先生はそれに答えず、言いました。
「ちょっと待ってくれよ、今、食事をすませてしまうから」
それで、彼はしばらくは待ったまま、またしても部屋の中をキョロキョロと見まわしているようでしたが、二分とたたないうちに再び口を切りました。
「オイ隈本、あの神は、神棚は、早く燃やしてもうた方がよかですばい」
「オイ、ちょっと、とにかく待ってくれんか、今食事をしておるんだから」
すると彼は、今度はそばにいた隈本確先生の奥様に向って言いました。
「奥さん、あんな役にたたん神棚は、早く燃やしてしもうた方がよかですばい」
学生時代の友人だからと思って、それまで我慢をしていた隈本確先生も、これには、堪忍袋の緒が切れました。
しかも、当時の隈本確先生は、大変血気盛んで癇癪持ちでもあったからなおさらでした。
隈本確先生は食卓の前に座ったまま、友人をグーッとにらみつけると言いました。
「オイ川田、お前、何しに俺の家に来たのか!」
「仏の使いで来たとじゃっか!」
この友人の言葉に隈本確先生は、ますますムカムカっと来ました。
そういえば、彼は最近ある宗教団体の会員になったという事を、ちらと聞いていました。
しかし、それがこのザマなのか、まるで、トラの皮を借りた狐のような傲慢そのものの態度でした。
次回に続きます。
選挙の件での電話
もしかしたらこの川田さんという方は、○○○会の会員なのでしょうか。
○○○会は、仏教は良いけれど神社を嫌うと聞いたことがあります。
○○○会は、私も近所や知り合いに会員がいますので、体験談が2つあります。
細かいのを入れるともっとありますが、大まかに言うと2つです。
今回と次回に分けて書きたいと思います。
私の生まれ育ったところは北陸です。
現在は関東に住んでいます。
私の子供の頃は、とにかく大人からは○○○会員には近づくな、付き合うなと言われていました。
私の小学校と中学の同級生に、一家で○○○会の会員の家族がいました。
同級生は、その家族の中でも末っ子でした。
お兄さんが数人いて、市議会議員と893がいると聞いていました。
私の家と彼女の家は同じ地区内とは言え、少し離れていましたし、子供心にそういう事もあって距離を置いていました。
だから、ほとんど付き合いがありませんでした。
ところが、20年くらい前だったか30年くらい前だったと思いますが、電話があったのです。
今にして思えば、彼女はどうやって私の家の電話を知ったのでしょう。
電話では、久しぶりだね、から始まって、お互いの近況を話して、おもむろに○○○会の会員のいつもの選挙のお願いでした。
そういわれると、だいたいいつもは、わかりました、で終わるんですが、その時は、色々と話して一時間くらいになりました。
私も腹黒いなぁ、とは思いましたが、電話はいらないな、と思いましたので、彼女からかかってきた電話なので、電話代は彼女の方になるので長電話でもいいかな、と思い電話を切れないように長々とこちらからいろんな話をしました。
その後、彼女から電話がかかってくることはありませんでした。
お礼の電話はなく、はがきがきていました。
北陸から関東までだとけっこうの金額になると思い、わざと長電話をしました。
一応わかりましたとは言いますが、一度もあの党に入れたことはありません。
こういうのは、神霊学的にはどうなんでしょうか。
現世の話なので、現世の知恵で解決だからいいのかな、と思っています。