低級霊を呼び込む宗教団体
隈本確先生のもとを訪れる治療依頼人の中には、ある宗教団体に入信したばかりに一家全員が低級霊に憑依されやすい霊媒体質になってしまった、と言ってくる人が相当数います。
巷の宗教団体の道場では、四六時中、怪談仕立ての低級霊の話に花を咲かせ、やれ死んだ爺さんが霊界で迷っている、二代前の先祖が氷のように冷たい地獄の底で一睡もできずに苦しんでいるなどと、もっともらしく語り合っているところも多いのです。
そして、腰が痛むと言えば背骨に長虫(ヘビ)が巻き付いているだの、事故にあえば、祠にお祀りしてあった瀬戸のおキツネ様を壊してしまった祟りだと、まことしやかに言うのです。
そんなふうにして、道場に行くたびに、霊の姿が見える、霊の声が聴こえると言った低級段階での霊現象についてたっぷりと薫陶を受けた人達は、次第に心理状態も正常ではなくなり、やがて、人によっては、本当に不自然な霊視現象や霊聴現象を体験するようになってしまうのです。
このような状態は、心身が低級霊媒体質に移行してきた事の証拠であり、正しい神霊学の立場から見たら、もっとも忌むべき現象の一つです。
にも拘わらず、霊が見える、聴こえると言ったレベルでの低級神霊現象に対して、その宗教団体の幹部までが信者ともどもに驚嘆し、いかにも素晴らしいことが起こったように言うのは、こっけいというよりは、むしろ恐ろしい事なのです。
そして霊が出てきた、さあ供養だ、供養だというわけで、線香や酒、塩、洗米、豆類、果ては油揚げまで備えて拝みまくるまでは何とも言いようがありません。
こうした低級神霊現象に一喜一憂しながら、その供養に明け暮れているような宗教団体は、その団体自体がすでに低級霊媒集団になってしまっているのです。
そして、信者獲得と共に低級霊媒体質づくりにいそしんでいる、というわけです。
多くの場合、このような宗教団体では、幹部自体が低級神霊現象をかしこみありがたがり、加えて霊媒体質にもなりかかっているようです。
しかし、もし、信者を故意に低級霊媒集団に引き入れることによって、その宗教をやめるといろいろな悪いことが起こるというような恐怖の心理状態に導き、脱会者防止の策としているとしたら、それは卑劣極まりないやり口だと言わなければなりません。
現実には、故意か過失かはともかくとして、霊を扱う宗教の多くが結果的にそれに類するやり方で信者に圧力をかけているのは事実です。
そして、そういうおかしなことが生じてくるバックにあるのが「迷信」という厚い壁なのです。
例えば、実際には動物霊のたたりなどありえないのに、キツネ、タヌキ、ヘビのたたりの恐ろしさの盲信を解消したいために、多くの人が宗教団体や行者、祈祷師に莫大な金品の奉納をしているという現実があります。
普段は十分に理性的で常識的でもある人までが、こと神霊のこととなると、「キツネのたたり」「ヘビの霊」の一言にコロリとまいってしまうのは実に不思議なことなのです。
実家は弟の代でなくなる予定?
>道場に行くたびに、霊の姿が見える、霊の声が聴こえると言った低級段階での霊現象についてたっぷりと薫陶を受けた人達は、次第に心理状態も正常ではなくなり、やがて、人によっては、本当に不自然な霊視現象や霊聴現象を体験するようになってしまうのです。
私の母は、出かけるのも自由にならず、必ず爺さん婆さんに言って出かけましたが、爺さん婆さんが気に入らないところだと必ず文句を言われていましたが、こういう霊現象をのところだけは、何も言われず行かせてもらっていました。
そのせいでしょうが、母はそういうところに出かける時は遠慮せずに行けたような気がします。
上記のようなところでしたので、実家も低級霊から影響を受けていたのではないかと想像しています。
それと、私の実家はいつも何かしらトラブルがありました。
家の中かの空気と言うか雰囲気がいつもザワザワしていました。
母が言っていたのは、実家は3代ごとに家がつぶれて、その次の代が復活させてきたと言っていました。
私の曽祖父の代で家が無くなって、祖父の代で復興させたと言っていました。
そのせいでしょうが、祖父はもの凄いケチでした。
お笑いの吉本並のことを言っていました。
「畳がすり減るから足をあげて歩け」と。
その他に母が心配をしていたのが、以前からの実家の流れで行くと弟の代でなくなるのです。
でも、今のところはそんなことにはなっていないようです。
もちろん、実家にはそんなことがないように、霊流は流しています。
たぶん、浄霊のおかげではないかと思っています。