霊界の段階
人間は死ぬと、肉体という殻を捨て去って、魂だけの存在となって霊界に旅立っていきます。
その最初の段階が、「幽界」です。
そして、私達の魂は、霊界(広い意味での霊界)で少しずつ修業を積んで、幽界、霊界、仏界、神界、聖天界、へと次第に向上していきます。
しかし、現界に対して非常に強く想いを残しているような死者の場合、いわゆる「死んでも、死にきれない」状態となって、その魂は、いつまでも臨界をさまよい、折りあるごとに現界にあらわれてこようとします。
その結果、幽霊(幽界霊)となって現界人の前に姿をあらわしたり、色々な霊的怪奇現象を現界にもたらします。
さらに、不慮の事故とか、人に殺されるなど、非常に無残な死に方をした人の場合、死の間際の苦しみや無念の想いという執念の深さによって魔界に落ちることも多いのです。
そして、魔界でのたうち回る霊は、しばしば現界人に猛烈な憑依現象を起こし、その命を突如として奪うようなことさえします。
この幽界、および地獄・魔界という世界は霊界の段階から言えば下層段階に属し、いわば未浄化の霊がすむところです。
だから、霊の姿が見えたり、霊の声が聴こえたり、霊的怪奇現象に遭遇するといういう事は、一番低い低級霊界の波長界の波長と人類の波長とが合っているという事で、要するに、低級霊の介入を受けているわけです。
それなのに、巷の自称霊能者、行者、家事祈祷師の中には、やれキツネの霊が見える、タヌキの霊が見えると言っては得々としている人達が数多くいます。
低級霊のたぶらかしとも知らず、まことに情けない話です。
一口に神霊能力者と言っても、当然のことながら、その能力には差があって、それぞれ霊界感知能力の範囲が違っているのです。
ここで、一つ注意しなければいけないのですが、それは、霊界は無限で、それに対して、霊能者の霊界感知能力は有限だという事です。
まして、神界以上の高級霊界になっていくと、ほとんど光、波動だけの世界となりますので、絶対に人間の五感に映ってくることはありえません。
しかし、そのような人間の五感には映りえない光、波動のみの高級霊にこそ、低級霊を救済し、人類に幸せと平和をもたらす働きがあるという事も、ここで覚えておいていただきたいのです。
現在、霊を扱う自称霊能者、加持祈祷師、行者のほとんどは幽界以下の低級霊界のみに目を奪われているようです。
という事は、言い換えれば、彼らが低い段階の霊界感知能力しか持っていない、という事になります。
低級霊と言えども、ある程度の霊力を持ってくると、自分がそうなりたいと思った姿に自分を変化させることができるものです。
実は人霊でありながら、キツネやタヌキの姿で現界人の前に現れたりする存在がそれなのですが、多くの霊能者は、まんまと人霊の変化した姿に騙されて、実際に動物霊を霊視していると思い込んでしまっているわけです。
次回に続きます。
前回の続きです。
日ごろの想い
>私達の魂は、霊界(広い意味での霊界)で少しずつ修業を積んで、幽界、霊界、仏界、神界、聖天界、へと次第に向上していきます。
日神会会員信者の方は、このことはよくご存知だと思います。
そして、下層階のこともです。
私の実家は、仏教の浄土真宗です。
小さい頃から悪いことをしたら地獄に落ちると言われ続けていましたが、「大霊界」の本に書いてあるこの広い意味での霊界の様子は、私にとってはとても納得のいくものでした。
そして、人は亡くなる瞬間の想いが、死後の世界であることも、衝撃であり又納得ができました。
だから、日ごろから常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていることがベストです。
これ、わかっているんですが、人間界と神様の世界とでは波長が違い過ぎて、日常の雑事に追われていると非常に難しいです。
難しいことは承知のうえで、常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていることでベストであることの理由を、私なりに考えてみました。
〇 常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていると、自己浄霊あるいは他者浄霊を行う時に非常に霊流が引きやすいです。雑念が少ない気がします。
〇 常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていると、危険なことから身を守られることがあります。
〇 常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていると、困った時などに知恵をいただけることがあります。
〇 常に聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっていると、心の平和を維持でき、トラブルが少なくなります。
今思いついただけでもこれだけのことはあります。
日神会的には、先祖霊が救われたりするようですが、凡人の私には、感覚的にはわかりませんので、今回は自分が感覚的に感じたものをあげてみました。
常にという事は難しいですが、気が付いた時に、即、想いを聖の親様あるいは聖なる御霊親様と一体となっているという気持ちに切り替えると、その積み重ねで、続けることができると思います。
人生は一度だけです。
できれば一生を終える時に、充実した良い人生だったと思える人生にしたいものです。
それには、日ごろの想いが大切ではないでしょうか。