前回の続きです。
念の恐ろしさ
深夜、教えられた呪文を唱えつつ五寸釘を打ち込んだり、その上から酒をかけている自分は、我ながら鬼ババアじみているなとも思いましたけれど、私はそれよりも、修法の効果を期待する心の方が大きかったのです。
ところが、満願の21日を過ぎても、いっこうに効果はあらわれませんでした。
相変わらず、別れた主人は、毎晩のように電話でしつこく復縁を迫ってきます。
それで、ふりだしに戻り、21日間をワン・クールとした修法を、延々と続けなければならないことになってしまったわけなのです。
祈祷師の先生も、これでもか、これでもかと、次第に強烈つな呪法を指導するようになってきましたが、やっぱり、思わしい結果がでませんでした。
で、ある日、友人にそのことを相談してみたのです。
すると、一部始終を聞き終わった友人は、コロコロと笑いながら言ったものです。
“まあ、あなたの本当に困ってやっている気持ちはよくかるけれども、そんなお祓いに一生懸命打ち込むよりは、もっと現実的な方法を考えたら?”
友人にそういわれてみれば、確かにその通りで、結局私は修法を打ち切り、単に他県に移転するというだけのことをしました。
それで、別れた主人との因縁はすっぱりと切れました。
本当に、あっけらかんとした結末なのですね。
でも、隈本先生の「大霊界2 念と病気」を読んだときには、ゾーッとしましたね。
あの本の中にでてくる“呪いのワラ人形”の話、ではないけれど、私の念がもっと強かったら、別れた主人はどうなっていたかわからないし、場合によっては、わたし自身に返り念障害が起こっていたかもしれませんものね。
それにしても、今から考えると、まじめになってタヌキの霊を退治しようなんて、ほんとにおかしなことをしたもんです」
話し終わっていかにもおかしそうに笑う内藤さんでしたが、彼女の言うとおり、彼女自身の念がもっと強かったら、どんな恐ろしいことが起こっていたかわかりません。
事実、内藤さんの知人の中には、同様の呪法で憎む相手を倒してしまったという人も、沢山いるといいます。
タヌキの霊、キツネの霊という事はありえないし、また内藤さんが祈祷師に指導されて行ったという黒魔術的修法が、一種の土俗的迷信に他なりません。
しかし、恐ろしいのは、その迷信に過ぎない修法が、それを執り行う人間の想いの念を強烈に増幅させるという点であります。
そして、その強い念は、当然、現象界にある種の物理現象をひきおこし得ますし、時にはその念が、呪法に使用した用具(例えばワラ人形とか、和紙の人形、五寸釘など)に封じ込められて作用することもあります。
闇の世界に、未だに、こんな低俗で陰湿な黒魔術的迷信が横行しているとは、まことに恐れ入ったものです。
内藤さんをつくづく眺めればいかにも明るく、現代的な女性と見えます。
どうしても、内藤さんとタヌキの霊の退治の話とは、うまく結びつきません。
しかし、その彼女にして、祈祷師に言われるままに、深夜、神社に出かけて行って真剣にたすき掛けで五寸釘をうったりするのですから、目に見えない霊の世界には霊の世界にはびこる迷信とは恐ろしいものです。
いやしくも、人を指導する立場にある行者、祈祷師、霊能者は、まず良識家でなければなりません。
引っ越して無事解決
嫌な奴だとは言え、元夫だった人に何かあったら気分のいいものではありません。
何もなくて良かったです。
内藤さんが祈祷師に指導されて行っていたことは、完全にワラ人形の五寸釘の話とほとんど同じですよね。
こういうことは、行っている本人の念の強さなのですね。
この場合は、幸い内藤さんの元夫には何にもなくてよかったです。
それに、内藤さんにも何もなくてよかったです。
下手すると、返り念障害という事もあり得ますしね。
それにしても隣県に引っ越しただけで無事解決するとは、何ともあっさり解決をしてしてしまいました。
こういう時は、夫からの嫌がらせを何とかしたい、という思いだけでいるから内藤さんには引っ越すという発想もなかったのですね。
内藤さんもとてもいい友人がいて良かったです。
>事実、内藤さんの知人の中には、同様の呪法で憎む相手を倒してしまったという人も、沢山いるといいます。
実際にいるんですね。
怖いですね。