今はお守りはファッション?
迷信に類することで多いのが、神社や寺院で売られているお守り袋のたぐいを車の中につるしたり、首からかけたり、場遇の中に入れて持ち歩いたりすることです。
これは若い人の中にも大変多く、最近ではお守り袋も、マスコットとアクセサリーとを兼ねて用いられてさえいるようです。
が、そこまで言ってしまえば、迷信というよりもはやファッションと言うべきです。
そして、ファッションだとすれば、それはそれでよろしいのです。
神社や寺院で売られているお守りやお札、その他の縁起物のにしても、実在する神霊とはかかわりがなく、神の霊流の痕跡すらないことが普通です。
だから、所有者本人が変に想いをかけたり、こだわったりしない限り、何ら問題はありません。
あなたが、適当に処分してしまっても構いません。
しかし、中には、今でも後生大事に常にお守りの護符のたぐいを、アクセサリーとしてではなく身につけている人もいます。
ある時、夫婦と子供二人の計四人で神霊治療にみえた一家もそうでした。この一家は、隈本確先生のところへくる以前に、やはり長崎にある某祈祷師のところに通っていたとか言う事で、家族全員が白い布切れに経文を書いたものをお腹に巻き付けて、へそのあたりで結んでいるのでした。
「ほら、このとおり」と言いながら、ご主人が太鼓腹を突き出して、ひものような白い布切れの結び目を見せてくれたのですが、隈本確先生は、その時思ったのです。
これは、大人はまだいいとしても、小さい子供さんにとっては大変困ったことなのではないか、と。
「お嬢ちゃん、身体検査の時恥ずかしくない?」
隈本確先生がそう言うと、その小さなお嬢さんは黙ったままかたをすぼめるようにして、いかにもきまりわるそうなようすをみせていました。
すると、わきからお母さんがのりだすようにして、こういいいました。
「実はそれなんですよ。
もう、身体検査を一番イヤがるんです。
何だ、何だ、どうしたのかってみんなから聞かれて、ジロジロ見られるといって、大変イヤがるんですよ」
隈本確先生は思わずふきさしてしまいました。
その無意味さについて、じっくりとお話したところ、家族全員、笑いながらその場で経文の腹巻を解いてしまいました。
伯父の話
>最近ではお守り袋も、マスコットとアクセサリーとを兼ねて用いられてさえいるようです。
私も口に出したことはないけれど、周囲の人達が何の抵抗もなく簡単にお守りを付けていることに驚ろいていました。
子供にもランドセルや首にかけさせたり、子供も何の抵抗もなくどこの神社のお守りだよ、当然のようにいっていました。
私の住んでいる隣町には、全国的にも有名な神社があります。
そのせいか、この近辺の人達も初詣とか、何かあればその神社に行く人が多いのです。
それはそれでいいのですが、私は小さい頃から母から、お守りはやたらあちこちのものを複数持ってはいけないと言われていました。
そんなせいもあって、あまり人にあげたりもらったりしないようにしていました。
中には、いろんなところのお守りをもっている人がいましたので、思わず「大丈夫?」と言ってしまったことがあります。
「え、何が?」と言われ「何でもない」と返したことがあります。
実は、母の長兄が亡くなってから聞いた話ですが、伯父はずいぶん沢山のいろんなところのお守りをもっていたようです。
伯父の家では、いろんなもめごとが多く大変な状態でした。
伯父はおそらくそれを何とかしたくて、行くところ行くところでお守りを買っていたのではないかと思われます。
そして、伯父はとてもまじめで優しい人でした。
私の勝手な想像ですが、そのお守り一つ一つにお願いをしていたのではないかと思っています。
伯父は自転車に乗っていた時に道路から土手に転がり落ちて頭を打ち、そのまま意識が戻らず亡くなったのです。
車にぶつかったのではないかと、警察でも伯父の自転車にぶつかったであろう車の塗装がないか調べても見つかりませんでした。
伯父の亡くなり方は、あまりよくわからないままなのです。
母が言っていたのは、もしかしたら、いろんなところのお守りを集め過ぎたのではないかと、言っていました。
これはあくまで、母と私の想像です。
本当のことはわかりません。
伯父は父とも子供の頃からの幼馴染で仲が良く、毎日私の実家に来ては、話をしに来ていました。
亡くなって数日してから、私の実家に顔を出しに来たと母と弟が言っていました。
伯父は私の実家に来ると、決まって「来たよ」と言って家に入ってきました。
亡くなった後に私の実家に来た時も「来たよ」と言っていたと、母と弟が言っていました。
伯父も苦労をするために生まれてきたのではないかと思うほどの人生でしたが、伯父はいつも穏やかで優しい人でした。
私は、伯父に霊流を流しました。
今伯父を思い浮かべると、とても温かい波動を感じますので、きっと今は良いところに行っているのだと信じています。