聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

「転生」とは

「転生」に見えるけれど・・・

 

「転生」とは、仏教用語では「輪廻」といい、生命あるものは、いったん死んでも、それで終わりではなく、又生まれ変わって生を繰り返すという思想をあらわす言葉です。

 

簡単に言ってしまえば、生まれ変わりのことです。

 

すべての生あるものは、生き変り、死に変わり、霊魂が転々としながら、他の生を受けて迷いの世界をめぐり続けるというのです。

 

この転生という事については、それが真実であることを裏付けるべく報告が世界各国で多数なされていますし、文献も豊富にあります。

 

例えば、有名なところでは、前世を記憶していると言われる子供たちの霊などがそれです。

 

ですが、神霊能力者としての隈本確先生は、いまだに転生の事実を肯定できないでいます。

 

長い間神霊活動を続けている隈本確先生は、一見、あたかも転生の事実を証明しているかのような状況に出くわしたことは無数あります。

 

たとえば、治療依頼人である子どもが、当人は全く知るはずもない他界している親戚、(その子どもの出生以前に他界している)の人がかつて秘密にしていたようなことを急にしゃべりだしたり、亡くなっているその親戚の人そっくりの声色で霊言(入神状態に入った人間の体を借りて、憑依霊がその想いのたけを語ること)を始めたりするわけです。

 

おそらく、神霊能力をもたない一般の方たちがその場に立ちあっていたら、さっそくそれを「転生」と受け取ってしまうでしょう。

 

しかし、隈本確先生の目から見れば、それは転生ではありません。

 

たんに、依頼人の子供に、亡くなった親戚の霊が憑依しているという事なのです。

 

この場合は、憑依現象が自然発生的に生じているわけですが、神霊能力者や霊媒能力者となると、自ら人為的にトランス状態(入神状態)に入り、すでにこの書に存在しない死者の霊魂を奨励し、生前そっくりの声音でしゃべる(すなわち、霊言)ことができるのです。

 

また、神霊能力者、霊媒能力者によっては、その死者を招霊しての霊言中、死者の生前置かれていた環境の状態すら、映画のフィルムさながらに心の世界に再現してくるものです。

 

その他、神霊能力者次第では、死者ではなく、現在生存中の一面識もない他人の生霊の招霊、および霊言も行うことができるのです。

 

 

  

 

 

 

「輪廻転生」は当たり前になっている

 

色んな記事を読んだりいろんな人の話を聞いていると、沢山の人が今度生まれ変わったらという事を当たり前のように目にしたり聞いたりします。

 

大勢の人が、何の疑いもなく当然のように言います。

 

わたしとしては、隈本確先生がはっきりと否定しているので、そういう事を目にしたり聞いたりすると何となく違和感がありました。

 

私自身も以前にもブログに書いたことがりますが、「転生」がないと知った時はほっとしたのです。

 

子供の頃、母が「転生」を信じていましたので、人が不幸な目にあっていると前世で悪いことをしたからだ、と言っていたのを時々耳にしていたからです。

 

母は、悪気もなく前世で悪いことをしたから、人間に生まれ変わっていいことをすれば、極楽に行けるという意味で言っていたのでしょう。

 

でも、母自身の人生は苦労の連続で、子供の私から見ても何ために生まれてきたのか、と思うような大変な人生でした。

 

父の両親である祖父と祖母、父が亡くなってやっと自由になれた頃は、認知症が進んでいました。

 

そんな母も、自分の苦労の連続の人生に対して、前世で悪いことをしたからの苦労の人生だとは言ったことはありませんでした。