霊能者としての心得
霊界の底辺に落ちて苦しんでいる低級霊の救済は、高き神霊の霊流を低級霊にあびせかけてやることによって、即座になされます。
そして、そのためには低級霊と高級霊の仲介役としての人間の存在が必要です。
隈本確先生は、「神霊治療こそが最高の先祖供養」と言っています。
なぜならば、神霊治療を受けて病気が治ったという事事態が、低級霊界で迷っている先祖霊が浄化されたという事だからです。
すなわち真の先祖供養と言っていも間違いがないでしょう。
だから、隈本確先生の神霊治療を受けて病気が治った人は、その後、形式的な先祖供養は一切する必要がありません。
神霊治療の依頼人の中には、亡くなった自分の愛する人達が霊界でどのように過ごしているかと質問をする人が良くいます。
それらの人達は、たいてい、以前どこかの霊能者や祈祷師に、いらぬことを吹き込まれている人達です。
例えば、「あなたの亡くなった娘さんは、うすい着物一枚で寒い野原をさまよい、ひもじさに泣いている」とか「あなたの亡くなったご主人は、氷の世に冷たい暗い地の底で、苦しい苦しいとうめき声をあげている」などなど、低級段階での霊視、霊感のあれこれを低級霊能者から聞かされているのです。
そんなふうに言われた依頼人としては、当然心穏やかでなくなってしまいます。
生前、あんなに愛し合っていた夫が、また子供が、霊界でそのような苦しい目にあっているのかと考えただけで、病気になってしまう人がさえいます
霊能者たるもの、たとえそれが霊視に映って来た真実だったとしても、いたずらに依頼人を嘆き悲しませるようなことを口外してはならないはずです。
ましてや、自分で救済することもできない霊についてあれこれ言うなどの無責任きわまりない放言とあっては、それは霊能者として罪深い行為と言うべきでありましょう。
隈本確先生としては、それらの事情について考えた時、隈本確先生のもとにやって来る依頼人が 亡き子供や夫を心配して、霊界での様子を聞きたがる心情は察するに余りあります。
しかし、もし依頼人が、隈本確先生の神霊治療の本質を理解していたならば、それらの心配はいっきょに氷解してしまうはずなのですが……。
というのも、もし、あなたが一番愛していた人、例えば子供や夫大が死後霊界で苦しんでいたとしたら、あなたと愛する人との間には次元を超えて「心」(想い)の橋がかかり、亡くなった子供や夫は必ずあなたに霊界通信をして来るからです。
そして、その霊界通信とは、生者側にとっては心身の痛み・苦しみを隈本確先生の神霊治療によって癒しに来られたあなたは、つまりは、亡くなった子供や夫の供養に来られた、という事になるのです。
また、いつも言っていますが、隈本確先生の神霊治療というのは、一体か二体の霊視の救済で終わるものではありません。
体全体に憑依している何十、何百という先祖霊、因縁霊そこらで拾ってきた霊の救済を行っているのです。
片っ端から、瞬間にそれらの霊を救済していく隈本確先生神霊治療では、現在、一切霊査という事をしていません。
隈本確先生は、神霊治療の能力者として、本人の納得がいくまで、依頼人の病苦の快湯感、心身の爽快感んを徹底的に追及するのです。
隈本確先生に言わせれば、依頼人の心身に快癒感がないという事は、まだ霊障が残っているという事に他なりません。
江原敬之の場合
>霊能者たるもの、たとえそれが霊視に映って来た真実だったとしても、いたずらに依頼人を嘆き悲しませるようなことを口外してはならないはずです。
私がまだテレビを見ていた頃の話ですので、かなり前です。
江原敬之という人がいます。
この記事を読んだときに、江原敬之氏が、亡くなった母親の今の状態を教えてほしいという依頼人に対して答えた内容を思い出しました。
その依頼人というのは、人数は覚えていませんが、とても大勢の兄弟がいました。
母親がその大勢の子供たちの面倒を見ていました。
母親はとても疲れていました。
睡眠時間を削って毎日必死に働いていました。
母親はとうとう倒れてなくなってしまいました。
子供たちは途方に暮れていました。
特に年長の子供たちは自分たちより年下の兄弟たちの面倒を見ながらも、心のよりどころにしていた母親がいなくなったことで、不安定でした。
そこで、年長の子供達数人で江原氏に母親の状態を聞きに来ました。
その時の江原氏は、「お母さんは、とても疲れていて眠っているけれど、でも、あなたたち兄弟が頑張って支えあっていることを、お母さんは天国で見守っています」というようなことを言っていました。
そして、あなたたち兄弟でこれからも仲良く、助け合って生きていってほしい、とお母さんが言っています、というようなことを言っていました。
それを聞いた長子であるお兄さんが、ほっとしたような顔をしていました。
江原氏からお母さんの様子を聞いた依頼人の兄弟たちは、これから兄弟仲良く頑張ります、と笑顔になっていました。
ずいぶん前の話なので、少々違うところもあるかもしれませんが、大まかな流れはそんな感じでした。
その頃は、私は少しは亡くなった人の状態を感じることができるようになっていたので、私もなくなったお母さんの様子をみてみました。
亡くなったお母さんは、眠っていました。
生前は、眠りたい眠りたいと願いながら必死に生きていたようです。
容易には起きそうにないくらい、眠りこけていました。
この時、私は江原氏が嘘も方便を言ったことに気が付きました。
ああ、これでいいんだ、これでこの兄弟たちは母親の死を受け入れて前に進むことができるんだ、見事だと思いました。
隈本確先生のお話で、このことを思い出しました。