聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

唯物論者とそれに答える輩

どちらもどちら

 

日ごろから神・仏・霊の実在を否定している人、目に見えるもの以外は全く認めようとしない唯物論者たちまでが、先祖供養というこの四文字にはコロリとまいっているのは不思議なものです。

 

霊の存在を否定している人にとって、なぜ先祖供養が必要なのかと首をかしげたくなりますが、現実には、そのような人たちが、やれ葬式だ法要だと言っては、宗教的儀式に莫大な金をつぎこんでいるケースが多いのです。

 

そして、そこはいかにも唯物論者らしく、儀式が立派でありさえすればご先祖様は喜ばれているのだと固く信じて、当人もすっかり満足しているのだから、ますます困ったものです。

 

どうやら、普段、目に見えるもの、聞こえるもの、しか信じない合理的、唯物的思考の持ち主ほど、簡単に先祖供養の催眠術にかかってしまい、美々しい葬式に狂奔しやすいものらしいようです。

 

しかし、その一方では、この先祖供養の四文字を大々的に鼓吹して莫大なる利益団体があるわけで、どちらもどちら、迷信を増長させる悪しきな存在と言うべきです。

 

 

 

 

 

win-winの関係

 

唯物論者たちまでが、先祖供養というこの四文字にはコロリとまいっているのは不思議なものです。

 

考えたこともありませんでしたが、確かに明らかに神様を信じていない人も、イヤ、信じていない人ほど、見た目を立派に見せたがる気がします。

 

たぶんですが、彼らにとっては葬式も法要も、全てが生きている現世の基準で見ているのでしょう。

だから見た目を大事にするのでしょう。

 

そして、亡くなった人も同じように喜ぶだろう、と自己満足をしているのでしょう。

 

>この先祖供養の四文字を大々的に鼓吹して莫大なる利益団体があるわけで、どちらもどちら、迷信を増長させる悪しきな存在と言うべきです。

 

なるほど、先祖供養をもうかる商売と考えている輩もいますね。

 

どちらもwin- winの関係でしょうか……