聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

恵子先生神霊治療始める

恵子先生の魂と隈本確先生との会話

隈本確先生の娘さんは恵子さんといいます。

昭和55年ころから隈本確先生の主宰する会の職員として神霊治療に励んでいました。

しかし、それ以前の娘さんはといえば、まったく普通一般の若い娘さんと変わらない生活をしていましたし、隈本確先生自身、娘さんに特別、神霊に関する教育もしたことがありませんでした。

隈本確先生が、「大霊界」シリーズの執筆にかかり始めたころの会の職員となった娘さんは、最初のうちは、月二回長崎と東京都を往復する隈本確先生について、単なる秘書として働いていました。

そして、隈本確先生が神霊治療をしているその時間は、ただ黙って、治療風景を見ているばかりでした。

毎日、三時間、四時間、隈本確先生が神霊治療をしているところを見、また、隈本確先生と依頼人との対話のやり取りを聞いていたわけです。

そんな生活が三か月ほど続いたある日のことです。

治療所の入り口に下を向きながらつくねんと座っている娘さんの魂に、隈本確先生は霊界語で語りかけたのでした。

「娘、恵子の魂、お前も、もうそろそろ神霊治療を始めなさい」

すると、娘さんの魂は静かな波動を返してきました。

「はい、致します」

「もう、それだけの力は持っているのだろう」

「はい、持っております。毎日、こうして父さんの霊流をいただいていただけで、私にはもう立派に神霊治療、つまり浄霊、因縁解除、先祖供養のができるだけの力はついております。ただし、それは、私の魂の面の話です。魂の面においては神霊治療の力はもっていても、実際、人間・恵子の面では、どのような想いの技術を駆使したらよいか皆目わかりません。どうか、父さんのほうから想念の技術を指導してください。そうしたら、今日にでも神霊治療ができますから」

娘さんの魂のこうした返事を聞いた隈本確先生は、人間界の心に戻り、なにくわぬ顔で娘さんに語り掛けました。

「恵子、お前も今日から、もう神霊治療を始めなさい」

「エエッ!私が、神霊治療を?」

案の定、娘さんはたいそうびっくりした顔つきをしていました。

 

次回の続きます。

 

 

 

 

 

私の恵子先生の思い出

隈本確先生の娘さんは、会員の間では恵子先生と呼ばれていました。

私は恵子先生に会ったのは一度だけです。

初めて日神会で浄霊を受けた時です。

このブログでも何度も書いてきました。

次男のことがきっかけで日神会を知り、すぐにでも日神会に行って浄霊を受けたかったのですが、義母と同居しており、夫は神様の存在そのものは信じてはいなくても、日神会に行くことはダメとは言わないと思いましたが、義母が難関でした。

正直に言えば宗教なんて、と言われるということは簡単に想像できました。

だから、隈本確先生に直接浄霊をいただきたい、とズーっと願っていました。

長男も次男も小学生になり、自分のことは自分でできるようになり、だいぶ手がかからなくなりました。

その頃に私のおなかに娘がいました。

その頃の私は、とにかく隈本確先生から直接浄霊を流していただきたいという思いだけで、何も考えていませんでした。

娘が生まれたら、娘が手がかからなくなるまで日神会に行けなくなるから、行くなら今しかないとしか思っていませんでした。

そう思って日神会に電話をかけて予約を取りました。

はっきり覚えていませんが、2か月待ちだったと思います。

そのころには、私もだいぶ図太くなっていたので、義母には東京に行ってくる(我が家からは東京道場のほうが近い)とだけ言って、出かけました。

私が実際に隈本確先生から浄霊を受けるころは、妊娠9か月だったのです。

いつ生まれてもおかしくない状態のときに、行ったものですから、隈本確先生はじめ霊能者の先生方に大変気を使わせてしまいました。

当時は、恵子先生がほとんど私につきっきりでした。

何も考えずに隈本確先生に浄霊していただけるということだけで、嬉しさでいっぱいだった私は、日神会で気を使っていただいて初めて、自分のうかつさに気が付きました。

その日は、特に言われたのが神霊治療のときは、おなかに力を入れないでください、ということでした。

そのあと、最後の仕上げの隈本確先生の神霊治療が終わった後、「元気な赤ちゃんを産んでください」と、言われ握手をしていただきました。

娘は、とても元気に生まれました。

そして、生まれたときの娘の全身からは後光がさしていました。

きっと、あの時に浄霊していただいたのと、私も生まれるまで霊流を流し続けていたからだと思っています。

だから、私には恵子先生というと、優しく気使いをしてくださった、いい思い出しかありません。