一心不乱になりすぎても・・・
隈本確先生の霊流の応用法について述べてきたところで、想いの技術、ならびに神に対する心の在り方について、少々述べてみたいと思います。
あるとき、隈本確先生のもとに一つの相談が持ち込まれました。
隈本確先生の本を見ながら、いくら一所懸命に自己治療をしてみても効果が出ない、というのです。
そこで、隈本確先生は、いかにも残念そうな顔をしているその人に、どのように自己治療をしてのか聞いてみました。
その人は次のようにこたえました。
「どのようにといいましても、それは先生の本に書いてある通りにしました。まず正座をして、手印を組んで、一心不乱に先生に祈りました。もう、本当に必死で、脂汗がたらたら出てくるくらいに祈ったんですが……」
それがいけないのです。
一心不乱に、脂汗が出てくるくらいに祈る――、これでは、隈本確先生の霊流が作用しないはずです。
いってみれば、自分の念力で、隈本確先生の霊流を一心に押し返そうとしているようなものです。
このような心の技術、念じ方では、決して隈本確先生の霊流を自分の体に引き入れることはできません。
隈本確先生の霊流をひくためには、リラックスして、安らかな気持ちになることが大切なのです。
そして、隈本確先生に対して、できえる限りの親近感、和の感情を持つことです。
渾身の力を込めて身構えるのではなく、隈本確先生に対してゆったりと心を開くような想いで、受け入れ体制をつくることがコツでもあります。
神主、僧侶、加持祈祷師、行者などにしても、祝詞や教文を脂汗を垂らしながら一心不乱に上げることによって神霊との交流をはかろうとする場合がよくあるようですが、このやり方は、むしろ滑稽です。
これは、自分の念力を増大させて、自分が招霊しようとしている神・仏・霊と対決しようとしている図なのです。
次回に続きます。
エネルギーの内容
>自分の念力で、隈本確先生の霊流を一心に押し返そうとしているようなものです。
>隈本確先生に対してゆったりと心を開くような想いで、受け入れ体制をつくることがコツでもあります。
念力で、押し返しているようなもの……
なるほど。
本人は真剣に一所懸命に自己治療を行っているわけですよね。
ところが、一所懸命になりすぎると、自分の念力でせっかくの神霊のエネルギーを押し返してしまうということですね。
ゆったりと心を開くような想い……
自分で霊流をひいていると、意識をしていませんでしたが、力んでいません。
話は変わりますが、最近気が付いたのですが霊流をひいているとお願いをしている内容によって、エネルギーが違う気がしています。
もしかしたら、こちらでお願いをする内容に合わせて聖の親様が一番いいエネルギーを流してくださっているのではないかと思いました。
私だけが感じていることなのかもしれませんが……