聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

幸運な霊界人になるために

生前の魂の在り方で霊界の進路が来まる

隈本確先生はこれまでに、親せき、友人、知人など、多くの人の死に臨むことがありましたが、そのたびに思い知らされることは、生前の地位、名誉、財産といったものが、死後の世界ではいかに役立たないものであるか、ということでした。

というのも、生前、どんなに地位や財産に恵まれていた人であっても、自己の想いの中に反省、謙虚といったものがなかった人の場合には、死後の霊界においては、たいへんあわれな境遇に陥っている場合が多いからです。

地位、名誉、財産といったものは、まさしく現界的存在のものであって、魂だけの存在である霊界にあっては、まったく意味をなさないものなのです。

したがって、生前、地位も名誉も財産もなく、苦労の連続で、ついに報われることなくなくなっていった人でも、霊界では、輝くばかりに美しい神々の王国に迎え入れられる場合もあります。

要するに、わたし達の死後の霊界進路を決定するのは、ひとえに生前の魂の在り方にかかっている、ということです。

魂だけの存在であれば、地位も名誉も財産も霊界にもっていくことはできません。

死後、幸運な霊界人となりたければ、まず、わたしたちはたった今から自分のことは、行動、想い(想念)を十分に管理し、常に反省を怠らないようにしなければならないのです。

自己の魂に対して、無意識のうちにも常に正常化すべく、反省と戒めとを忘れなければ、限界生活を終えた後、汚れない魂ばかりの住む美しい霊界へと吸い寄せられるように、自然に赴くことになるでしょう。

ただし、実際には霊界と現界とがあまりに異質の世界であるがために、汚れない魂と言えども、霊界入り直後には、一時的に迷い、苦しむこともあります。

しかし、このような場合でも、生前に持っていた清らかな想念を曇らせることなく、霊界と神の存在を固く信じて、深い祈りの想いをもって進むところに、必ず神の光は届くものです。

 

 

 

 

 

老後も共通の部分がある

前回も書きましたが、霊界への進路だけでなく、老後も若い時からの心の在り方で変わる気がします。

年をとっても、若い時の地位や名誉を引きずって暮らしていると、周囲から見るとただのお爺さんお婆さんなのに、本人はまだ若い時の肩書をぶら下げて生きていると、周囲は距離をおくようになります。

それって、意外と気が付かないものです。

霊界と違って、現界では老後は財産があると生活の心配がないので、その面では良いことだと思います。

霊界では、財産も地位も名誉もまったく関係ないですね。

その辺に気が付いている人って、意外に少ないかもしれませんね。

 

最近、我が家で22年生きた猫が逝きました。

ナナという名前でした。

大勢猫がいたときは、一番地味な目立たない猫でした。

食べ物にはあまり興味がない子で、人間の食べ物を全く欲しがらない子で、キャットフードしか食べませんでした。

しかも、食が細く残すことも多かったのです。

おそらくそれが良くて、長生きをしたのでしょう。

生前はいろんなことがありました。

大勢の猫がいたときは、お姉ちゃん猫にいじめられて家に入ることができず、エサを食べる時だけソーっと家に入ってきていました。

それがトラウマになっているのか、もともと家の中が好きなのかわかりませんが、最後の一匹になった時は、ほとんど外に出ませんでした。

出るとしたら、夜中に少し出てすぐに帰ってきました。

だから、近所の人はナナの存在すら知らなかったと思います。

今は、ほとんどの家では家の中で飼いますが、我が家は家と外の出入りが自由です。

昔の農家の家なので庭は広いので、出入り自由といってもほとんど遠くには行っていないようです。

これからの時代は、猫を飼うには外に自由に出入りできるという飼い方はできないでしょうね。

私の年齢的にももう無理だというのと、家の中だけで飼うということにはちょっと抵抗感があるので、もう猫を飼うことはないと思います。

最後の一匹と書きましたが、次男が離れに一匹飼っているので正確には最後ではないかもしれません。

ナナは、昨年の夏の暑さで急に元気がなくなりました。

それからは、もともと小食なのにもっと食べなくなって痩せて骨が見えるくらいになりました。

その間、今まで与えたことのない栄養価の高いチュールとか、スープとか鰹節とかかいまくりました。

それでも食べる時もあれば、まったく受け付けないときもありました。

私たちは、ナナのそれに毎回一喜一憂をしていました。

ナナはどんどん痩せていくのに、次男の飼っている猫は食欲旺盛で、もともと太っているのにナナと同じように食べるので(そばにいると、ナナだけに与えるのも気がひけるので)もっともっと太っていきました。

それでも、昨年は年を越せないのではないかと心配をしていたのに、最近まで生きていました。

亡くなる前のほとんどは、こたつの中で寝るかこたつの縁で寝るか、トイレに行くかの3か所を移動しているだけでした。

ほとんど苦しむことなく過ごしていました。

これは、霊流をいただいたおかげだと思って感謝をしています。

亡くなる前日は、私のそばに4時間ほどいました。

ナナは、人のそばにいても5分くらいしかいない子です。

それが、4時間もそばにいるということは……と感じました。

亡くなった日の朝は、こたつで顔だけを出して横向きでこちらを向いていました。

こういう姿勢は、ナナは一度もしたことがありません。

その日の午前中は、わたしは出かける用事があったので「ナナ、行ってくるね」と声をかけて出かけました。

ナナは小さく口を開けて「行ってらっしゃい」と言っているようにみえました。

私が帰宅をすると、ナナはもう息をしていませんでした。

ナナは、精いっぱい生きるということを教えてくれました。