聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

秋葉さんの変化

前回の続きです。

 

秋葉さん大丈夫?

さて、能力者養成講座が終わって何日か経ったある日のことです。

講習を受けてかなりの神霊治療能力が出てきた秋葉さんは、その日、長崎道場で隈本確先生と会員が行っている神霊治療の実地見学をしていました。

彼女自身、一般党員の治療がすんでからでよいからということで、全身浄霊のための施霊の申込書を提出していたのでした。

そんなわけで、この日は隈本確先生や数名の会員が一般依頼人の神霊治療をしている間中、秋葉さんもずっと同席して、神霊治療風景を見学していたのでした。

ところが、その時の秋葉さんの様子がおかしかったのです。

治療室に座っていながらも、目をうつろにして、終始、体がフラフラ、フラフラと揺れているのでした。

明らかに、霊的現象を体にあらわしているのでした。

隈本確先生にしてみれば、すでに神霊治療能力が出始めて、これまでに何人かの治療も手掛けてきてる秋葉さんに、このような低級霊現象が発生することが不可能だったのでした。

当日、隈本確先生と一緒に神霊治療にあたっていた会員の人達も、みな一様に、秋葉さんの様子を不思議そうに、心配そうに見ているのでした。

そして、数名の依頼人の治療がすんで、次の依頼人の治療にかかろうとした時でした。

突然、秋葉さんがうつろな目を重そうに隈本確先生の方へ向けると、こんなことを言い始めました。

「先生、わたし、この頃なんだかとても変なのです。頭がボヤ―ッとして、目もかすみます。今こうして座っていても、先生の顔が大きく見えたり小さく見えたりします……」

けれども、このときには次の治療依頼人の方がすでに部屋にいたこともあって、秋葉さんの施霊は後でするからということで、たいして気にもとめませんでした。

それから一般依頼人の方々の神霊治療を全て済ませた後で、いよいよ秋葉さんの施霊にかかることになりました。

「さあ、秋葉さん、この椅子に座ってください」

しかし、隈本確先生がそういった時、すでに秋葉さんはもうろうとした状態になっていました。

これは相当ひどいな、隈本確先生はそう思いながら、彼女の全身浄霊を始めました。

 

次回に続きます。

 

 

 

今橋流の自然農法

以前、このブログに書いたことのある自然農法の今橋氏のその後です。

今橋氏は、イギリスから帰国をして高知県のある耕作放棄地で農業を始めることになっていました。

今橋氏の説では、耕作放棄地でも初めての年から野菜は良く育つというのです。

自然農法の一般の説では土がよい状態になるまでは、人にもよりますが10年はかかるといわれています。

初めて3年はほとんど物にならないといわれています。

ところが、今橋氏はそんなことはなく一年目からよくできるというのですから、わたしは興味津々で今橋氏の日本での初めての野菜作りに注目していました。

確か4月から始めたと思います。

最初は、水の排水に苦労をしていました。

でも、それもちゃんと対応してから畑を耕し、種まきをしてあった野菜の苗もある程度に育っていたので、植えました。

それから数か月、今橋氏の野菜はどれもよく育っています。

見た感じでは、そんなにいい土だとも思えないのですが、どれもよく育っています。

ジャガイモにいたっては、確か5月に植えていたと思います。

最近、そのジャガイモを掘っていました。

もちろん植えるのが遅かったので、できているジャガイモの数は少ないですが、大きさはそこそこありました。

おそらく今年はあまり期待はせず、来年用のジャガイモのために植えたのでしょう。

来年用の種のためのジャガイモなら十分の大きさだと思います。

今橋流では、野菜の種は自家採取が基本ですから。

なんだか魔法を見ているようでした。

私の野菜も、今年は今橋流にしてみました。

すべてよくできているわけではありませんが、全般に去年よりはよくできています。

野菜さん、畑さんに感謝です。

これなら、今よく言われている食糧危機も何とかなるのではないかとすら思ってしまいます。

 

隈本確先生からの忠告

前回の続きです。

 

責任のない生活の秋葉さん

すると秋葉さんも、納得顔でいうのでした。

「ああ、そうでしょう。やっぱり、そうなんですね。私も、これは守護神様ではないなと、わかっていたのです。と申しますのも、私が自動書記の中で”あなたは守護神様ですか”と聞きますと“いえ、違います”、"では、背後霊様ですか”と聞きましたところ、"はい、その通りです”と答えてきたからなのです。

「それも、自動書記でですよ」

秋葉さんはそういうと、心なしか得意そうな顔をしたように見えました。

隈本確先生はその顔付きがちょっと気になったので次のようなことを言いました。

「あなたの自動書記の文字、また、内容を見てみますと、働いているのは背後霊の中でもいい方の霊のようです。つまり、あなたに善の意志を持つ背後霊ということでしょうね。しかし、そうはいってもあくまでも守護神様の自動書記ではありませんので、内容をよく検討して、そのすべてをうのみにすることのないように気を付けてください。

本当に霊格の高い守護神様となれば、あなたを守護し、導く力も絶大なものがあるはずですが、単なる背後霊の一体ということでは、あなたを守護するだけの力もなく、しかも霊自身がまちがったことを言ってくる可能性も十分ありますからね」

「はい、よくわかりました」

秋葉さんは、そういって帰っていきましたが、隈本確先生は彼女のやせた後姿を見送りながら、少々心配になってしまいました。

それというのも、この秋葉さん、もう32歳にもなるというのに独身で仕事ももたず、さりとて家事をするわけでもなく、責任というものが全くない生活状態だったからです。

人間は、こういう状態に置かれると、だれでも心身ともに脆弱になってしまうものなのです。

現に秋葉さんは、見るからに生気に乏しく、しょっちゅう、あっちが痛いこっちが痛いといっているような人だったのです。

そんな脆弱な心と体を持った女性が、霊を介在させて行う自動書記に熱中に熱中するということが、隈本確先生にある危機感を覚えさせました。

しかし、その後、秋葉さんの口から自動書記について一言もないままに、神霊能力者養成講習は終了しました。

 

次回に続きます。

 

 

 

大霊界から見た恵まれた環境と人間界から見た違い

>そんな脆弱な心と体を持った女性が、霊を介在させて行う自動書記に熱中に熱中するということが、隈本確先生にある危機感を覚えさせました。

 

こういう環境の人というのは、人間界ではとても恵まれていると思いますが、大霊界からみるとあまりいい環境ではないんですね。

魂が育たない、というのでしょうか。

そういう意味では、大霊界から見ると私はけっこう恵まれていたかもしれません。

 

私は子どもの頃は、とても怒りっぽかったのですが、最近はほとんど怒ったことがありません。

子供の頃に一生分の怒りを出し切ってしまったのかと思うくらい、今はほとんど怒ることがありませんでした。

でも、最近珍しく怒りました。

内容は細かく書きませんが、簡単に言うと信頼していた人が、わたしの言うことを信じてくれていなかったということでした。

珍しく私の中で怒りの想いが収まりませんでした。

これが信頼していない人なら、簡単に割り切れるのですが、信頼していた人に裏切られた思いが強く出てきて、なかなか気持ちがおさまりませんでした。

最近は日常的に私の胸の内に「聖」の文字を描くようにしていました。

それでも、わたしの怒りの想いがおさまりません。

そのうちに「聖」の文字とともに「愛」という文字が浮かんできました。

それでも私の怒りの想いはおさまりませんでした。

昨日、ふと浮かんできたのが「肉体人間のうちは人の想いはわからないんだから、どんなに信頼をしていても肉体人間のうちは、それぞれ別の人間なのだからお互いに分かり合えていると思っていても、違う想いがあって当然だ」という想いが浮かんできました。

その浮かんできた想いで、私の怒りの想いが消えてなくなりました。

そうなんですね、お互いに信頼をしていると思っていても誰でも同じ考えということはありません。

わかってもらえていると思っていても、相手は全く別のことを思っている可能性もあるわけですから。今回はとても勉強になりました。

秋葉さんのノート

前回の続きです。

 

先生が見た秋葉さんのノート

自動書記の養成講座を受けていた時はできなかったことなのに、今、それができるようになった!!

秋葉さんは、自分の意志とはかかわりなくノートの上を動き回って文字をつづっていくおのが手を見つめながら、興奮状態に陥りました。

そして、それからの日々、秋葉さんは何かにつかれたように、自動書記にのめりこんでいきました。

「先生、ちょっとお伺いしたいことがあるのですが、実は……」

そういいながら、秋葉さんが分厚いノートを隈本確先生の前に差し出したのは、能力者養成講座が始まって、すでにかなりの日数が経過した後でした。

「実は、このノートに書いてあることは、わたしが自動書記で書いたものなのです。ですが、先生は能力者養成講座の中で、"雑霊にとらわれるな"ということをしきりにおっしゃいます。いろいろな霊的現象は雑霊が行っていることが多いから、よく注意しなければならないと何度も言われましたね。それから、高き守護神は人間界の小さな俗事にはとらわれないものだ、ということも教えていただきました。それで、この私の自動書記なのですが、いったいどういうものでしょうか、守護神様がされているのでしょうか

隈本確先生は、秋葉さんの差し出した分厚いノートを見てびっくりしてしまいました。

というのも、隈本確先生はこれまでの能力者養成講座を通して、ただの一度も自動書記能力開発の訓練などしたことはなかったし、今後もするつもりは毛頭なかったからです。

それにしても、その秋葉さんのノートには、一冊びっしりと自動書記がしたためられていました。

そして、このノートのほかにも、まだ何冊かの自動書記のノートを持っていると聞いて、隈本確先生は二度びっくりしてしまいました。

ノートに書かれている自動書記の内容は、他愛もないようなことでした。

あまり悪いことでもなく、かといって、特に良いということでもありませんでした。

そこで、隈本確先生は秋葉さんに言いました。

「秋葉さん、守護神が自動書記をするということはほとんどありません。自動書記をするのは、たいてい雑霊、背後霊関係といっていいでしょう」

 

次回に続きます。

 

 

 

 

雑霊にとらわれるな

>先生は能力者養成講座の中で、"雑霊にとらわれるな"ということをしきりにおっしゃいます。いろいろな霊的現象は雑霊が行っていることが多いから、よく注意しなければならないと何度も言われましたね。それから、高き守護神は人間界の小さな俗事にはとらわれないものだ、ということも教えていただきました。

 

日神会に年に一回行っていたころ、"雑霊にとらわれるな"ということはよく言われました。

私も霊流をひくことが増えてくると、今まで全く感じなかった霊を感じるようになり、その霊が何かを言っている、わたしに何かを伝えているということを感じるようになりました。

以前から"雑霊にとらわれるな"ということは日神会の霊能者の先生方からも言われていたので、気にしないようにしていました。

でも、自分で聖の親様に話しかけると聖の親様からお答えが返ってきたようで、嬉しいと思いました。

ところが、その後いろんな経験を積んでいくうちに、聖の親様のふりをしている雑霊だとわかるようになってきました。

何よりエネルギーの違いが分かるようになってからは、雑霊かどうかを区別できるようになってからはほとんどそういうものが気にならなくなってきました。

雑霊から感じるエネルギーと高級神霊とのエネルギーは大きな違いがあります。

私が感じる高級神霊だと、春風のように爽やかで温かいエネルギーを感じますが、雑霊はそんなものは一切感じません。

この辺にいる人と何ら変わりません。

おそらく幽界霊か何かではないかと勝手に想像しています。

霊にしてみれば、自分が言ったことに対して人間が反応をしてくると嬉しいのでしょうね。

人間でも霊からの言葉を、とてもありがたがる人がいます。

低級霊かもしれないということをあまりわからないまま、それを信じるということはとても危ないことだと思います。

秋葉さんの場合

はじめはうまくいかなかったけれど・・・

これからお話しする実例は、自動書記にのめりこんで、危うく正常な人間性を失いかけたという女性の話です。

長崎での神霊能力者養成講座に参加した秋葉君子さんは当時32歳で独身でした。

母親と兄弟2人がおり、彼女を入れて4人家族の生活でしたが、秋葉さんは仕事を持っていませんでした。

生活費は兄と弟が外で働いていて稼いでくるので、母親と秋葉さんとは家にいて、家事をしていればいいのでした。

よく話を聞いてみれば、お母さんはまだとてもお元気のようで、朝は早くから起きて家事一切を一人でてきぱきとこなしてしまうのだそうです。

どうやら、32歳の秋葉さんは、お母さんより遅く起きてきて、ゆっくりと朝食を済ませると、あとはもう何もすることがなくなってしまう、という生活が長らく続いていたらしいのです。

そんな単調な生活の中で、秋葉さんが興味を持ったのが神霊とか超能力といったことでした。

秋葉さんは、暇にあかして神霊世界について書かれた本を読み漁り、一日中、目に見えない世界のことばかり考えていました。

そして、そうこうするうちに、彼女は、自分も何か超能力を身につけたいと切実に考えるようになったのでした。

それからしばらくの間、秋葉さんは自動職能力を身につけようと思い、自動書記に関する文献を集め、自動書記能力の養成講習まで受けたということでした。

しかし、自動書記は、彼女が考えていたほど簡単なものではありませんでした。

講習会で教えられたとおりの心境をつくって、一日中、鉛筆をもって白い紙に向かっていても、手は一向に動いてくれませんでした。

秋葉さんが隈本確先生の主宰する神霊能力養成講座について知ったのは、ちょうどそんな頃でした。

彼女は、すぐに飛びつきました。

ところが、隈本確先生の講習を受け始めて何日かたったある晩のことでした。

一人で自宅の机の前に座っていると、秋葉さんには不意にいつもと違う感じが全身にみなぎってくるのを感じて、次の瞬間には、思わず知らず鉛筆を握りしめ、ノートを開いていたというのです。

すると不思議や、鉛筆を握る手には自然に力が入り、それがノートの行きつ戻りつして動き始めたのでした。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

自由に選べる時代になってほしい

>生活費は兄と弟が外で働いていて稼いでくるので、母親と秋葉さんとは家にいて、家事をしていればいいのでした。

 

そうなんです。

本題とは全く違う話になりますが、昔は男性が外で働いて女性が家で家事をするということで生活が成り立っていたのです。

ところが、最近は夫婦2人で働いても子供を持つことすら難しいという時代になっているのです。

なんでこんなことになったのでしょう。

農家では、女性も重要な働き手でしたが、サラリーマンの家庭では専業主婦が当たり前でした。

私は農家に嫁いだので子供を育てながら、農業をしていました。

周囲の奥さんたちは、ほとんどが旦那さんはサラリーマンでしたので、専業主婦が当たり前でした。

正直うらやましかったです。

自分で決めた選択とはいえ、周囲の奥さんたちはゆっくりと子供と向き合えるのです。

やっぱり子供が小さいうちはゆっくりと子供と向き合いたかったです。

周囲の奥さんたちも子供たちが小学生になったころからパートで働く人も増えましたが、それでも子供が小さいうちは子どもにしっかり向き合えてよかったと思います。

古いといわれるかもしれませんが、輝く女性とか言って女性が働きに出て子供を保育園に預けることが普通になっている今、子供にとってはどうなんだろうと、疑問に思っています。

外で働きながら子供を育てたい人はそうすればいいし、でも、反対に子供が小さいうちは子どもと一緒にいたいし、子供を一人ではなく複数人ほしいという夫婦もいるでしょう。

経済的理由でそれがかなわない、ということではあまりに辛いです。

その選択を経済的理由ではなく、自分たちの考えで共働きか専業主婦にするかを選べる時代になってほしいと願います。

 

 

 

自動書記現象

筆記具を持つと自然に・・・

肉体を持ちながら霊界と交信し、いろいろな霊的現象を自らの意志で引き起こす能力を神霊能力といいますが、この中には、霊感能力、霊視能力、霊聴能力、霊言能力、霊媒能力、神霊治療能力などがあります。

しかし、隈本確先生が再三おりに触れて 言っているように、ただちょっと霊感があって予知があるとか、霊の言葉が自然に聞こえてくるといった霊現象の場合、これを神霊能力とは言いません。

神霊能力とは、あくまでも自己の意志でコントロールできる能力のことであり、自然発生的に生ずる様々な霊現象については、これを単なる雑霊現象というのです。

正しい神霊能力とは、必ず自己の意志とコントロールできるものでなければならないのですが、それが、単なる低級霊の介入による雑霊現象と混同されやすいことは、実に困ったことであります。

神霊現象の一つに自動書記現象というのがあって、これは、ペンや鉛筆を軽く握った状態でトランス状態(入神状態)に入ると、当人は無意識のうちに手が動き出して、文字や記号を書くという現象です。

もちろん、この自動書記にも、自らの意志の力で霊を呼びこんで行うものから、単なる低級霊の憑依現象によるものまで、いろいろな段階があります。

我が国の新興宗教でよく行われる「お筆先」なども、自動書記現象の一種だといわれています。

ところで、自動書記も高級神霊から霊視であれば結構なことだけれど、とかく、単なる雑霊のいたずら程度のものが多く、それが当人の人生を狂わせるような結果を引き起こしかねないのですから、恐ろしいものです。

自ら神霊治療能力者であると同時に、神霊能力者の養成にもあたっている隈本確先生は、これまでに、自動書記ではずいぶんと嫌な思い出をしています。

というのも、隈本確先生がかつて行った神霊治療能力者養成講座を受けられた方の中に、隈本確先生の注意を無視して勝手に自動書記にのめりこみ、ほとんど正常な精神状態を失ってしまったような人がいたからです。

自動書記現象に限らず、"こっくりさん"などあらゆる霊的現象について、それを興味本位の面白半分な気持ちで扱う事について、隈本確先生がいつも厳しい警告を発している裏には、そんな事情があったのです。

 

 

 

 

正しい神霊能力

>正しい神霊能力とは、必ず自己の意志とコントロールできるものでなければならないのですが、それが、単なる低級霊の介入による雑霊現象と混同されやすいことは、実に困ったことであります。

 

世間一般では、ほとんど混同されている気がします。

自動書記で有名なのが「日月神事」ですね。

私も本格的にきちんと調べたわけではありませんが、今不安定になっている我が国で、「日月神事」に注目する人が増えているようです。

「日月神事」と、ネットで検索をしてみました。

「日月神事」とは、岡本天命(おかもとてんめい)という人物が自動書記によって記述した神事のことです。

月神事は、1944年から17年間にわたり、天明が霊的な啓示を受け取り続けたとされています。

この神事は、日本神話における国常立尊(くにとこたちのみこと)という神からのメッセージを伝える内容です。

「日月神事」の内容とは以下のことがテーマになっているようです。

 

〇身魂を磨く:心、精神、身体を浄化し、正しい生き方をすることの重要性を強調している。これは、日々の生活において自分を高めるために行うべきことである。

〇未来の予言:日月神事には未来の大災害や試練についての予言が含まれており、特に「三千世界の大洗濯」と呼ばれる大きな変革が訪れるとされている。これは、現代社会が直面する試練として捉えられている。

〇理想的な世界「ミロクの世」:最終的にはミロクの世と呼ばれる、調和と平和が実現された理想的な時代が到来するとされている。この時代に備えるために、心を清め、他者と調和を保つことが求められる。理想的な世界。

 

身魂を磨くというところは、日神会と通じるところもあるような気がします。

「調和と平和が実現された理想的な時代が到来するとされている」これが本当なら、今の不安定な我が国を見ていても楽しみに変わります。

 

 

 

魂の行方は自分次第

自己の魂は大切に磨こう

人は、その生を終えて肉体を捨て去り魂だけの存在となったその瞬間から、霊界の階段を一段一段上っていき、向上していくものです。

それが霊界人としての正しい在り方なのです。

不幸にして、霊界入り後真っ暗闇の地獄界へと下降していく魂もありますが、どちらにしても、死とは、霊界人としての新生活を始めるための最初の関門に違いありません。

こんなふうに言うと、多くの人々は未知の霊界に対して、興味と期待、そしてある種の恐怖を覚えるかもしれません。

ひょっとして、自分は地獄に落ちるのではないか……。

往々にして、罪の自覚のある善人ほど、そんなふうに感じてしまうものです。

しかし、ここでよく考えてみてほしいのです。

死後、魂が高級霊界へ行くも、暗黒の地獄界へ行くも、たった今の現界人として想念のあり方、生活対応によって決定されるのです。そうだとすれば、恐れるべきものは、死でも霊界でもありません。

もし、私たち人間が恐れなければならないものがあるとすれば、それは、ひとえにただ今の現界生活なのです。

そうして、自己の魂をこそ畏れ敬い、たいせつに磨いていかなければならないのです。

なぜなら、人間の魂は生前において、肉体を持ちながら浄化・向上し神の位を得ることもできれば、逆に、地獄の汚辱に染まることもできるからです。

 

 

 

 

 

現実の人間社会

>自己の魂をこそ畏れ敬い、たいせつに磨いていかなければならないのです。

 

このことはよくわかります。

私は子どものころ本が好きで、手当たり次第目の前にある本を読んでいました。

当時は、今ほどどこにも本がある状況ではなかったので、私は学校の図書室の本を片っ端から読んでいました。

私は田舎の小さな学校で学年で一クラスしかなく六年間、クラス替えというものを経験したことがありませんでした。

そんな小さな小学校でしたので、図書室といっても三畳くらいしかない狭い場所に本棚があって、そこに隙間なくいろんな本がありました。

毎日放課後、誰もいない図書室で、外が真っ暗になるまで本を読んでいました。

当時の私が好きだったのは偉人伝とか、小学生向きの小説でした。

そこにはほとんどが、どんな障害があっても正義のために戦うという話が多く、わたしはそんな話が好きでした。

ワクワクしながら読み、私は私は大人になっても汚いことはしないし、絶対曲がったことはしないと思っていました。

ところが、実際に社会に出てみると人間界の汚いこと、正しいことをすること言うことの難しいこと、自分の魂を汚さないことがいかに難しいかということを実感する毎日です。

そして、汚い世界からの誘惑の多さにも痛感しています。

でも、これが神様から与えられた試練なのかな、と思っています。

無数のサイ現象

ESPとPK

霊界と現界と常に混然一体となりながら、表裏をなして存在している一つの世界なのです。

しかし、霊界とは心(想い)だけの世界でありますから、現界でありながら霊界と交信しようと思えば、五感を超えた心の感覚に頼る以外に方法はありません。

この五感を超えた心の感覚の働きについて、超心理学の分野ではサイ(psi)現象といって各国でいろいろな科学的実験もなされています。

サイ現象には大きく分けて、ESP(超感覚的認知力=テレパシー、透視能力)とPK(念力)とがあります。

が、いずれにしても、サイ現象と言われるものが、現界とと霊界を巻き込みながら心と心、すなわち魂と魂との交流、あるいは魂からの発動される力によって生ずるものであることは、動かしがたい事実であります。

ここで注意すべきことは、「魂と魂の交流」もしくは「魂から発動される力」といった場合、その魂とは、現界人の魂であることもあれば、霊界人の魂であることもあります。

生者も死者も、ともに等しく魂が主体の存在でありますので、霊界をも含むこの世には、無数のサイ現象が生じうる道理が成り立ちます。

 

 

 

 

 

サイ現象の使い方は?

>五感を超えた心の感覚の働きについて、超心理学の分野ではサイ(psi)現象といって各国でいろいろな科学的実験もなされています。

 

本当かどうかわかりませんが、このサイ現象を軍事大国では軍事関係で使っている、と聞いたことがあります。

本当だったらどういうことに使うんだろうと考えたことがあります。

平和ボケしている日本人には想像もつかない使い方をしているのではないかと考えます。

以前に、日本人の使っている介護ロボを見て、外国人がこれを軍隊で使いたいと言ったということを聞いたことがあります。

最初、それを聞いたとき目が点になったことがあります。

もし、念力で敵国の誰かを倒す、ということだったら、その念力を送る人の想念は決して良くないと思います。

そこに霊界からの力が加わったりしたら……と、凡人は考えてしまいました。

現実はどんな使い方をしているかわかりませんが……

どうか、平和的に人類の良いことに使っていますように。