聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

人のせいにする人は発展性がない

前回の続きです。

 

何でも人のせいにする人

隈本先生は、先祖供養よりも子供供養が大切である、ということを言っています。

このことから理解して欲しいのは、自分の子供を立派に育て上げれば、その子供もやがて親となった時、我が子を立派に育て上げることができるでしょう。

そして、また、その子供も立派な親となるでしょう。

このような良き循環のある人類の環境をつくりをつくりあげることによって、私達人類の未来は、きっと明るいものになっていくはずです。

世界の破壊、人類の破壊が叫ばれている現在、現実をしっかりと見据えて、自分たちの足元から環境を整備していく努力も必要なのではないでしょうか。

ここに、隈本確先生が若い頃から隈本確先生自身への戒めとしている句を記します。

 

己が非を    知らぬ悟らぬ 神だのみ

     非の重ねこそ     因の源(もと)なり

 

 

私たちは、病苦、災難、その他人生上のいろいろな不運な出来事について、たとえそれが霊障であっとしても、また、人知の不足から来たものだったとしても、全て自分自身に、その非の因があることを自覚するべきです。

家庭、職業、社会……と、自分の周囲に起きるいろいろな悪い現象に対して、多くの人たちが、自己の非を反省せず、その原因を他へ転嫁しています。

相手が悪い、環境が悪い、時節が悪かった、とにかく運が悪かった、などなど、しかし、このような想念では、いつまでたっても自己の主体性というものはなく、一生を周囲の事象に押し流され、発展性がないどころか、文字通り不運の生涯を余儀なくされてしまうでしょう。

人生において有終の美を飾りたいと思うならば、人間的なことであれ、霊的なことであれ、自分自身に対して、あらゆる角度からその非を追及して改善していくための努力を怠ってはならないと思います。

 

 

 

 

 

夫の姉夫婦

>相手が悪い、環境が悪い、時節が悪かった、とにかく運が悪かった、などなど、しかし、このような想念では、いつまでたっても自己の主体性というものはなく、一生を周囲の事象に押し流され、発展性がないどころか、文字通り不運の生涯を余儀なくされてしまうでしょう。

 

こういう人っています。

端から見ると、どう見ても 原因は本人なのに、当の本人は自分ではなく他の人が原因だと思っている、ということがあります。

こういう人というのは、話を作ってまで自分ではないと言い通します。

私の体験で言うと、夫の姉夫婦です。

このブログでも何度も書いていますが、夫の姉夫婦の都合で義母を連れて行ったのに、いつの間にか、私が夫の姉夫婦に義母を押し付けたことになっていました。

それを言われた時は、一瞬何を言われているのか理解ができませんでした。

「あんたが○○(夫)を引き連れて、家(夫の姉の家)に来ておばあちゃんを引き取れって、大変だったわよ。✖✖(夫の姉の長男)も迷惑だって言ってたわよ。忘れたの!」と言われました。

いくら否定しても、夫婦でその嘘を突き通して私を責めていました。

それに驚くことに、夫の兄も弟も当時のことを、当時の裏事情を私たち夫婦より知っているのに、兄も弟もその嘘を否定をしませんでした。

その時に感じたのは、夫の兄弟の異常さと、人というのは、自己保身のためには平気でわかりきっていても、嘘を付けるんだと驚きました。

隈本確先生が書いておられるように、こういう人はいつも人のせいにするので、自分自身の成長がないだけでなく、近所の人達も表面上は変わりなくしていますが、裏では、夫の姉とは知らないうちに悪者にされるから、最低限の付き合いにすると言っています。

「▽▽(夫の姉)ちゃん、は怖い」と、近所の人は言っています。

当の夫の姉は近所の人に距離を置かれていることに気がついていません。

自分の生きたようになる、んだと思います。

 

 

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

 

 

 

 

何でも話し合える家庭環境ならば非行問題も減る

親がつくった魔界は子どもをも魔界に引きずり込む

前回の園田さん母娘を見送りながら、隈本確先生は、つくづく思いました。

親が自己の想念管理を忘れて心に魔界を作り出せば、本来は命に代えても惜しくないというほどにかわいい我が子であるのに、その子供までをも無意識のうちに魔界に引きずり込んでしまうという、この事実を――。

霊界ばかりに、霊の住処があるのではありません。

生き続けていく、この現実のただなかで、人は己の想念に見合った霊界をつくり、様々な霊と交流をもつことになるのです。

表面はとても立派な人間生活をしていながら、その実、心の中に魔界を作り出したり、生きながら自分自身が魔界の住人である夜叉、魔界へと変貌していってしまうことすらあります。

現在、青少年の非行問題が社会的にクローズアップされていますが、それら非行の芽の何割かは、彼らの家庭生活を支配している大人たちの心の世界にあるのではないでしょうか、というのも、魔界的な不安定な心理状態の親に育てられた子供たちというのは、顕在意識、潜在意識、超意識帯が混乱し、自分が自分でなくなり、悪霊の憑依を受けやすくなっているからです。

世間を震撼させる親殺し、友人殺しなどの突発的な事件も、その根をさぐれば彼らの家庭生活、そして、何よりも両親の想念の世界にあることもあります。

親が子どもに対して高圧的でなく、心の底で子供と手を取り合いながら、納得のいくまで話し合えるような家庭環境を作り出せば、今日の青少年の非行問題も、その何割かは未然に防ぐことができるはずです。

いやしくも親となったものであれば、子供という存在に対して、愛に支えられた深い関心をもって生活していく心がけが欲しいと思います。

社会悪、環境悪という難問があれば、なおさら、それらを超越した深く大きい愛を、子供に注いでやらなければならないはずです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

私の思春期

>非行の芽の何割かは、彼らの家庭生活を支配している大人たちの心の世界にあるのではないでしょうか、というのも、魔界的な不安定な心理状態の親に育てられた子供たちというのは、顕在意識、潜在意識、超意識帯が混乱し、自分が自分でなくなり、悪霊の憑依を受けやすくなっているからです。

 

う~ん、これわかります。

ちょっと違うかもしれませんが、私の思春期は、家の大人に反発だけでした。

実家の大人が魔界的な心理状態だったのかどうかはわかりませんが、自分から家族に見つからないように隠れながら、心の中では早く見つけて欲しいと願っていました。

そんなことを思っていても、行動は、怒り出すと話しかけても一週間は返事もせず無視ですから、誰も話しかけてきません。

おそらく、親もどう接していいのかわからなかったのでしょう。

大きくなってから、弟から言われたのが、自分の思い通りに生きている私のことをとてもうらやましかったと言っていました。

弟に言わせると、いつも大人に気を使って大人の言いなりになっている自分が嫌だったと言います。

私は私で、弟は大人から見ると長年の念願であった、実家の跡取りですから、とてもかわいがられ大事にされてうらやましい存在でした。

わたしにとっては、とても意外な言葉でした。

大人から見ると、私は4番目の女の子、女の子なんかもううんざりです。

その後に念願の男の子が産まれたのですから、小さい頃からいつも何でも弟が優先です。

思春期の頃には、私の内面にたまりにたまっていた大人に対してのものが爆発をしたのでしました。

今では、若い頃のなつかしい思い出です。

 

 

母親が変わると娘も変わる

前回の続きです。

 

気づいた母親

「娘が可愛いから、立派な大人になってもらいたいからいろいろ小うるさいことも言わなければならないと無意識のうちに思い込んでいたわたくしでしたが、あの日、帰りの道すがら、先生の言われたことを何度も何度も、胸に復習してみたのです。

と、その時、フッと思い出したことがありました。私がまだ小さい頃、よく遊び行った田舎の祖父母の家のことなのですが、そこではウサギを飼っていました。で、ウサギに赤ちゃんが産まれますと、すぐに小屋の周りに覆いをしてしまいました。で、飼い主の家族にも見えないようにしてしまうのです。

幼い私が不思議に思って聞いてみますと、ウサギの母親というのは、たとえ飼い主でも人間が自分の産んだ子ウサギのそばに来ると、本能的に何か危害をくわえられると思って、自分で自分の子供を踏み殺してしまう、ということなのでした。

その時、私はこども心に、ウサギって変な動物なんだなあと感じたものですが、思えば、わたし自身も我が子にウサギの母親の様な仕打ちをしていたんだ、ということに気がついたのです。心の底では自分の娘を可愛い可愛いと思いながらも、その心とは反対に、毎日毎日、娘の心を逆なでするような嫌味を言ったり、小言ばかり言う母親でした。娘にとっては、さぞうるさい、嫌な母親だっただろうと、つくづく反省させられました。

もちろん私も親ですから、気づいたことは娘に注意も致します。ですが、今までのように自分の感情にまかせてガミガミ言ったり、いつまでもブツブツ言い続けるようなことはしないように気を付けています。考えてみれば、今までは娘のために言っているのではなくて、自分が納得するために、自分の気がすむために言っているようなものでした。我が子を大切な先祖さんんだと思えば、とても、そんな自分本位の勝手なものの言い方はできないものだと、つくづく知りました。

今まで、娘は、さぞ苦しかったろうと思います。そして、そんな風に娘をおい詰めていたのは私の心だったのですね。そのことに私が気づいて、大きく自分の心のあり方を変えようと決心した瞬間から、娘は、先生のおっしゃったとおり、我が家の立派な先祖さんになってくれました。家の手伝いもよくするようになりましたし、勉強も一生懸命しているようです。来年は高校生になるんだと言って、張り切っておりますし……。本当に、先生のおかげです」

そう言いながら、深く頭を下げるこのお母さん、先日の針千本の様な母親と打って変わって、まろやかな、包容力ある母親になりきっているようです。

そのうえ、母親としてのあり方をしっかりつかんだせいか、女性としての美しさまで加わったように見受けられました。

華麗に咲きほこる洋蘭の鉢植えを隈本確先生の机の上に飾ってくれたこのお母さんとお嬢さんは、二人ともに、深々と頭を下げて帰っていくのでした。

 

 

 

 

 

この内容覚えていたら良かった

>自分の感情にまかせてガミガミ言ったり、いつまでもブツブツ言い続けるようなことはしないように気を付けています。

>娘のために言っているのではなくて、自分が納得するために、自分の気がすむために言っているようなものでした。

 

そうなんですよね、自分では子供のためと思い込んでいろいろと言うのですが、気を付けないと自分の気がすむために言っている時があります。

怖いのは、それを親は子供のために言っていると思い込んでいても、子供はとっくにその親の勘違いに気がついているのです。

 

そのことに私が気づいて、大きく自分の心のあり方を変えようと決心した瞬間から、娘は、先生のおっしゃったとおり、我が家の立派な先祖さんになってくれました。

 

良かったですね。

言葉にしなくても通じるのでしょうか。

私も今でこそ子供は成人をして、そういう思いをすることもなくなりましたが、まだ成人していない頃というのはけっこう難しかったです。

今、子育て真っ最中のお父さんお母さん、迷うことや悩むこと、イライラすること沢山あると思いますが、そんなときは一呼吸おいて、自分の子供だありながら自分たちのご先祖様だと思って見直してみると、子供を見る目が違ってくるかもしれません。

この内容を読んでいたはずなのに、全く覚えていませんでした。

この内容を自分自分のものにしていたら、もっと子育てが楽だったかもしれません。

反省です。

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり変わった母娘

前回の続きです。

 

反省をした母親

隈本確先生がここまで言い終わると、それまで神妙な顔つきで隈本確先生と母親のやりとりを見守っていたお嬢さんが、不意にリラックスしたような、すがすがしい表情を見せたのでした。

それと引き比べて母親はと言えば、見るも無残に意気消沈の体であります。

それから、しばらく黙ってうつむいていた母親が、ようやく顔をあげるとポツリポツリと語り始めました。

「先生、私は見当違いをしていたようです。実は、今日は先生に、この子をしっかりと叱っていただこうと思っていたのです。ところが、先生のお話は全く反対でした。……私はショックでした。

ですが、お話を伺っているうちに、先生のおっしゃることがわかるような気がしてきました。たしかに、そうなのでしょう。私の中で、だんだん先生のおっしゃる通りなのだという気持ちが強くなってくるようです。今日から、この子は自分の子供ではなく、一番大切な先祖さんだという気持ちでやっていくことにします。

神霊治療以外にお手間をとらせ、大変失礼いたしました。どうもありがとうございました。」

そう言い終わると、すっかり肩を落として帰って行った母親でした。

帰り際に、お嬢さんは隈本確先生の方を振り返ると少々照れ臭そうに笑って小さくお辞儀をしました。

それから一カ月ほどしたある日のことでした。

隈本確先生の道場に、再び園田さん親子がやってきました。

お嬢さんもお母さんも、人ちがいしたように明るく爽やかな様子をしています。

いかにも愛くるしい少女と楚々とした風情の母親が仲良く肩を並べて、隈本確先生の前に座っていました。

「先生、この間はどうもありがとうございました。お陰様で、娘のあれほどとまらなかった鼻水もピタッと止んで、頭の痛みもすっかりとれたそうです。それに、頭がすっきりしたせいか、勉強が少しも苦にならない、などと申すのです。

それにつけても、先日、先生におうかがいしたお話、自分の子供を先祖だと思えというお話ですけれど、本当に身にしみて、深く考えさせられました

時々お嬢さんの方に優しいまなざしを注ぎながら、母親である園田さんは静かにそこまで言うと、ほんのしばらく間をおいて、再び語り始めました。

 

次回に続きます。

 

 

 

我が家の場合

良かったですね。

隈本確先生の言われたことが、お母さんはよくわかったようです。

私も経験がありますが、子育てをしていると子供が小さい頃の「お母さん、お母さん(我が家はママとは言わせなかった)」と言って、後を追っているうちはいいのですが、子供がだんだん自我に目覚めてくると、難しくなってきます。

時間に追われているとよけいに大変になります。

私の場合は、三人の子供それぞれに大変な部分はありました。

一番下の娘は、競技は言えませんが、自分から習いたいと言って、かなりマニアックな競技ですが、地域の人が教えていたのでそこに習いに行きました。

幼稚園の時からのお友達と一緒に、小一の時に三人で習いに行きました。

三人とも中学生まで続けましたが、かなりしんどい思いをしました。

習い始めた頃は、まだ興味があって楽しんでいたんですが、だんだんマンネリ化してくると、友達もいるのでやめたいとは言わないのですが、練習のある日の支度が遅いのです。

明らかに遅刻しそうです。

それでも、本人は時間関係なくゆっくりと準備をしています。

準備をして出かけようと思うと、玄関で忘れ物がないかもう一度確認をし始めます。

こちらは、仕事や家事がやることは山ほどあるのに、本人は全く関係なくのんびりしています。

練習も親がつきっきりの指導が必要な競技でした。

親である私がつきっきりで指導をしていても、本人はのんびりしたもので、こちらはイライラしっぱなしでした。

でも、ここで怒ったらへそを曲げそうだから、とほとんど自分との戦いでした。

中学生になって、中2の夏休みでだいたい皆やめるので、その時は正直ほっとしました。

だから、この園田さんのお母さんの気持ちはわかります。

子育ては、ほとんど自分との戦いでした。

隈本確先生が言われるように、自分の子どもをご先祖さまだと思えばもっと余裕をもって接することができたかもしれません。

反省です。

 

我が子を先祖様以上に大切に

前回の続きです。

 

子供は占有物でも従属物でもない

隈本確先生がこのように話している間中、隈本確先生の顔をまじまじと見つめていた母親は、その表情に同様の色が隠せませんでした。

無意識のうちにしきりに目をしばたたき、顔を青くしたり赤くしたりしながら、引きつらせていました。

「それでは、それでは先生、私はどうすればいいのでしょうか」

母親は、ほとんど狼狽したような口調で言いました。

そこで、隈本確先生は話を一歩先へ進めることにしました。

「先ほどもちょっと関連したことを申しましたが、あなたは先祖さんを大切にしていらっしゃいますか」

「はい、それはもう、もちろんです。お仏壇には、毎日お茶やお花を供えし、自分なりにきちんとしているつもりです」

「わかりました。では、申しましょう。先程の話のくりかえしになりますが、あなたのお子さんには、あなた以前の古い古い先祖さんの遺伝子が受け継がれ、ずっと昔の先祖さんの霊的流れも受け継がれているかもしれないのです。

あなたは、今までご先祖を大切にする心をもってこられましたね。そこで、今日からは、あなたの無条件でご先祖様を大切にするその心を、あなたの子供さんにも向けてください。あなたのお子さんは自分の子供ではない、自分の先祖なのだという心をもってください。人間的な親としての目で、子供を判断しようとしてはいけません。自分が産んだ子供、自分より下の者、子供は親のいうことを全て聞かなければならないものである、という考え方を捨てることです。せっかく自分が産んだ子供を自分の占有物・従属物化して、子供の心をないがしろにするようなことがあったのでは、決して子供は素直には育たないものです。

あなたが先祖さんを大切にする、その同じ気持ちで子供さんを心の底から愛し、大切にされれば、必ず、子供は子どもなりに親の真心に沿った生活をするようになるはずです。はっきり申しますと、今のあなたの心は、だんだん母親としての愛から離れてきてしまっているのです。お嬢さんとは親子の関係を離れ、もはや、他人以上に憎しみあう相克の関係になりかかっています。

あなたの今抱えている問題は、神の力では解決することができません。お母さん、あなた自身が、ただいま私が申したように、想いの世界を全部切り替えてしまう以外に方法はないのです。自分の我を張るより先に、まず、お嬢さんの想いというものを大切にしてあげてください。自分以上に、また、先祖さん以上に自分の子供を大切にしよう、愛していこうという、あなたのその心の姿勢に応じて、お嬢さんはからなず立派な娘さんになるはずです。

あなたが私に言われた一つひとつのことがらについては、私はとやかく申しません。ご返事いたしません。しかし、基本的に、ただいま申し上げてきた言葉をあなたがよく理解をして、実行されれば、必ず、今までの問題は解決されるはずです」

 

次回に続きます。

 

 

 

 

蜂に刺された時の応用

>あなたが先祖さんを大切にする、その同じ気持ちで子供さんを心の底から愛し、大切にされれば、必ず、子供は子どもなりに親の真心に沿った生活をするようになるはずです。

>自分の我を張るより先に、まず、お嬢さんの想いというものを大切にしてあげてください。自分以上に、また、先祖さん以上に自分の子供を大切にしよう、愛していこうという、あなたのその心の姿勢に応じて、お嬢さんはからなず立派な娘さんになるはずです。

 

こんな想いをもって子供に接していたら、親子のすれ違いは随分少なくなるでしょうね。

 

この話とは全く関係のない話ですが、WHOの○○デミック条約の件です。

○○デミック条約なるもの、を我が国では国民は知らない人が多いと思います。

おそらくほとんどの国民は、○○デミック条約、何それ美味しいの、レベルだと思います。

日本が○○デミック条約に加盟をすると、この条約が成立した場合、日本の憲法で定められていなくても、WHOの考え次第で○クチン接種等が強制になる可能性があります。

そうなると、私のように○クチンを受けたくないものにとって、大変困るのです。

余談ですが、私はまだ一度も受けたことがありませんし、これからも受けたくありません。

そこで、私は考えました。

この方法は、自己責任でお願いします。

私は、仕事柄蜂に刺されることがあります。

蜂に刺されると、蜂の刺す毒が体にまわると結構きついものがあります。

痛いだけでなく、刺されたところがはれたり、時には全身倦怠感がひどく、立っていられないこともあります。

そこで、私は考えました。

蜂に刺されたとわかった瞬間に即、霊流をひくのです。

不思議と刺された瞬間に刺された部分に霊流を流すと、あっという間に何ともなくなります。

少しでも時間が経過すると、蜂に刺された状態の症状が出ます。

それを応用して、○クチンを受けた瞬間に霊流をひけば、全身に○クチンが回らないうちに消えるのではないかと考えました。

この方法が使わなくてすむことを願いますが、もし、○クチンが強制になった場合は、霊流を流したいと考えています。

隔世遺伝から見る母娘

前回の続きです。

 

隔世遺伝

隈本確先生は、お嬢さんの脇で、なお苦々し気な顔つきをしている母親に向って、やおら言いました。

「園田さん、あなたは隔世遺伝ということを知っていらっしゃいますか」

すると、この母親は不審そうな表情をあらわにして答えました。

「はあ、存じておりますが……、遺伝と言っても、病気や性格が親から子供に直接伝わるのではなくて、例えば、おじいさんとかお婆さんの性質を、直接の親を飛ばして孫が受け継ぐといった、そのようなものと思っておりますが」

「そのとおりですよ。園田さん、そこのところを、ようく考えて下さい。今、あなたの隣にいるお嬢さんは、確かにあなたの子供でしょう。しかし、隔世遺伝ということでもわかるとおり、このお嬢さんは、あなたやあなたのご主人の両親、さらにもっと昔のご先祖の性格とか身体的特徴を受け継いでいるということも、当然いえるわけですね。

ですから、あなたたち親子のご先祖の問題にしても、こんなことが言えるわけです。例えば、あなたは十代ぐらい前、つまり300年ぐらい前の先祖さんの霊流を、背後霊とか守護神という形で強く受けているかもしれません。ところが、ひょっとしたら、このお嬢さんには、それ以上に古い600年とか700年前の先祖さんの霊流が流れているかも知れないのです。

そうしますと、人間の肉体上はあなたとこのお嬢さんは母娘に違いないでしょうが、霊的には、必ずしも親子とは言えないかもしれないということになりますね。お嬢さんの方があなたよりも古い、格の高い先祖さんの流れを強く受けているということだって、十分、あり得ることなのです」

ここまで隈本確先生の話を聞いていたこの母親は、表情をかたくして、ほとんど色を失っています。

いったいこの先生は何を言い出すのだろうと、心の中でしきりに言っているのが聞こえてきます。

そこで、隈本確先生は話を先に進めることにしました。

「では、ここで結論を申しましょう。あなたは、自分のお嬢さんを先祖さんとは思うことができませんか。

そして、お嬢さんに対する今のあなたの正直な気持ちを、よく考えてみてください。つまり、子供に対する現在のあなたの想念の世界を自分でよく観察するということですよ。先程からあなたに接していて、確かにあなた自身、初めは子どもを思う親心から、お嬢さんに接していろいろ小言を言うようになったということはよくわかります。しかし、今のあなたは、それが少しばかりエスカレートしていませんか。

お嬢さんを目の中に入れてもいたくないという本当の母親の愛の気持ちと、憎い、憎い、何とかこの子をねじ伏せてやりたいという、その憎しみの心と、どちらが強いでしょうか。

小さな落ち度も見逃すまいというあなたのその心、そんな状態で親子関係を続けていくならば、もう、先はわかったようなものではありませんか。

あなたの言われる、お嬢さんの素行を修正するということ、これはもう神様の仕事ではありません。人間である母親のあなた自身の問題です」

 

次回に続きます。

 

 

 

我が家の隔世遺伝

>「園田さん、あなたは隔世遺伝ということを知っていらっしゃいますか」

 

隔世遺伝、こういうことを感じたことがあります。

私の実家の父方の祖父は、とてもケチです。

母から聞いたのですが、

私の実家は、三代ごとになくなっているのだそうです。

でも、そのなくした次の代で、また立ち上げていることの繰り返しだったといいます。

祖父の父親の代で実家がなくなっているのです。

昔は比較的多かったようですが、お坊ちゃんだった曽祖父はお金のことを知らないで育ったために、騙されて人の借金の保証人になったのだそうです。

だから、祖父が実家を立て直すのに大変な苦労をしたようです。

だから、とてもケチなんです。

家族の誰かが無駄をするのではないか、と常に目を光らせていました。

祖父母と寝ていた私は、いつもこの二人から両親の悪口を聞かされていました。

特にお金の話が多く、「またあんな無駄遣いをした」とか「もうすぐ○○の支払いなのに大丈夫なのか」とか言いながら、自分のお金は絶対に出さない、という祖父母でした。

それに反発をした私は、お金にはほとんど執着がなく、だからいつもお金には縁がなく生きてきましたが、何とか今まで生きてきました。

夫もあまりお金には執着がありませんから、我が家はいつも福沢諭吉さんにはあまり縁がありませんでした。

ところが、そんなわたしたち夫婦に違う子供が生まれました。

幼稚園の七夕様の笹の願い事に、「金持ちになりたい」と書いたのが次男です。

その後、成長して就職をしても給料が少ないと言って、自分の経済を安定をさせたいと色んなことに挑戦をしていたようです。

結局、投資の方で落ち着いたようですが、あまり聞くと怒るので聞けないでいます。

いつも「金がない、金がない」と言っていた次男でしたが、気がついたら次男の口からその言葉を聞かなくなっていました。

結局は経済的に自立をしてくれて、良い方に落ち着いたのですが、この子はどうしてこうなったんだろうと思ったら、私に浮かんだのは実家の祖父でした。

自分では、普通に歩いているつもりだったのですが、「畳のヘリが減るから、すり足で歩くな」と祖父に怒られました。 

まるで、吉本喜劇みたいなことを言っていました。

だから、次男は祖父の隔世遺伝ではないかと思っています。

 

 

 

 

お嬢さんの気持ち

前回の続きです。

 

お嬢さんの想い

不意に激しい調子のこのお嬢さんの心の声が、隈本確先生の胸いっぱいに広がりました。

「こんな母さんは、あたしの母さんじゃないよ!鬼だ、鬼ババァだ。こんな鬼ババァは一日も早く死んじゃえばいいでんだ。いつかなんか、学校へ行くとき電車が混んでいて乗り遅れて遅刻をした。そしたら、それを知った母さんは、ほんと、気ちがいみたいになって、あたしを怒りとばした。で、それからはもう、あたしのすることなすこと、いちいち監視の目を光らせていて、本当にうるさいったらありゃしない、ヒステリー!

だから、あたしは今度は、わざと学校に遅れるようにした。わざと学校に行かなかった。母さんが、あんまりうるさくって、憎ったらしいからよ!もう、学校なんか全然行きたくない。勉強なんか全然したくない。高校なんて行ったって、しょうがないもん。

でも、家にいたってちっとも面白くない。母さんは一日中、ブツブツ小言を言っているか、わめき散らしているかのどっちかなんだから、あたしは、もう本当に死んじゃいたいわ。学校の屋上から飛び降りてやろうと思ったことだって何度もあるんだ。本当なんだから。もう、こんな母さんと毎日いるなんて、いや、いや、いや!あたし母さんより腕力強くなったら、もう絶対黙っていないから。絶対、あたし、母さんを殴り返してやるわ!」

隈本確先生の胸中にガンガンと響き渡るような、けたたましいお嬢さんの霊言を聞いた隈本確先生は、まったく、あきれて何も言えない心境になってしまいました。

もう、この二人の母子は親子ではありませんでした。

母親とわずか15歳の少女だというのに、互いに憎しみあい、容易には収拾がつかないほどの相克の図を示しています。

—―いったい、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

隈本確先生は、この不幸な親子を目の前にして、ほんの2、3秒、心の中で考えました。

何と言っても、この二人は母娘には違いがありません。

決して、対等の立場で渡り合える道理はありません。

まして、子供はと言えば、まだ自分というものもしっかりと出来上がっていない中学生の少女です。

そんな思春期の動揺しやすい年頃の娘に対して、親が自分の我を前面に押し出して、いったいどうなるというのでしょう。

子供が成長して一人前の社会人となる過程にあっては、親の想念のあり方、そして家庭教育というものがいかに大切かということを身をもって知っていた隈本確先生は、この際、神霊能力者としては、どうしたってお嬢さんの立場に立たないわけにはいきません。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

>そんな思春期の動揺しやすい年頃の娘に対して、親が自分の我を前面に押し出して、いったいどうなるというのでしょう。

 

子供は、成長していくと親に容赦ない言動が目立つようになってきます。

そんな時、カチンと来ますが、親は子どもと対等になってはいけないのです。

 

>思春期の動揺しやすい年頃の娘に対して、親が自分の我を前面に押し出して、いったいどうなるというのでしょう。

 

そうなんです。

親が自分の我を前面に押し出してはいけないのです。

ところが、こういう時の親の免罪符の言葉があるのです。

「これは子どものため、子供へのしつけ」と自分で思い込んでしまうと、その言葉でブレーキがかからなくなります。

虐待する親は、そう思ってしまって大人の力で、子供を痛めつけるといいます。

端から見ると、どう見ても虐待であっても、当人はしつけのつもりだといいます。

怖いですね。