きっかけはお父様の病気から
隈本確先生は、幼いころから人の死を予言したり、明日の天気をピタリと当てるなど、いわゆる超常的能力があったのですが、十代のころは全くの無神論者でした。
その隈本確先生が、なぜよりによって神霊能力者としての道を進み、また一生の仕事として、神霊治療などを始めたのでしょうか。
このあたりのいきさつについては以前に触れています。
隈本確先生が二十歳になったころのことですが、お父様が突然、原因不明の奇病に襲われ、それを長崎近郊に住むある行者さんに治してもらったのが、きっかけだったのです。
隈本確先生は、多くの医者がさじを投げたお父様の奇病を、その行者さんがものの数分で見事に直してしまったのを見て、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたのでした。
その時の模様については理解していただくために、以前に掲載したものの一部を引用して、繰り返し述べます。
——ああ、わたしは実在の神を見た!
神は実在していたのだ。
隈本確先生の、その後の人生を決定する一大決心は、まさにこのとき芽生えたのでした。
私も、何とかしてあの神のお力をいただくことはできないものか。
あの奇跡のお力を修得することはできないものか。……
いや、何とかして……、何としてでも、隈本確先生はたった今現実に見せつけられた偉大なあの神のお力を、この身にいただくのだ!
それから6年間、隈本確先生は雨の日も風の日も、夜になると家から15キロ以上も離れたあの神のすむ行者さんのところへ通ったのでした。
隈本確先生の全収入は、その行者さんに捧げられました。
そんなわけで、この間、隈本確先生は自分の靴一足、ネクタイ一本買えない状態でした。
親兄弟をはじめ親戚の者たちは、みな一様に゛バカ、気ちがい、神狂い”と言って隈本確先生をののしったのですが、隈本確先生はその神に命を預けるというくらいのすさまじい入れ込みようだったので、それらの言葉も一向に意に介しませんでした。
行者さんのもとに通い詰めて4年目、隈本確先生はようやく神霊治療能力を発揮し始めたのでした。
ところがそれから2年後に、その行者さんは病を得て、あえなくみまかってしまったのです。
……と、言うわけなのですが、この行者さん、享年47歳、早すぎる死でした。
さて、隈本確先生は以前に書こうと思い立ったその時から、どうしても、この行者さんと隈本確先生のかかわりあいについて書かなければならない、という強い想いに動かされていました。
隈本確先生が師と仰ぐ行者さんと隈本確先生とが現界で共に過ごした6年間は、決して美談で終わるようなものではありませんでした。
ともに神を求める二人の人間の間には、あまりにも人間臭い心理的葛藤が繰り広げられたのでした。
しかし、高き神の霊流は最終的にすべてを浄化し、癒したもうたのでした。
神に対する深い敬虔な祈りのうちを続っていきたいと思います。
凡人とは違う
>隈本確先生は、多くの医者がさじを投げたお父様の奇病を、その行者さんがものの数分で見事に治してしまったのを見て、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けたのでした。
おそらく私のような凡人ですと、自分の親の奇病を治してもらっても、この行者さんすごい!ありがたい、で終わっていたと思いますが、さすが隈本確先生です。
そこから、日神会を立ち上げるまでされたのですから、やはり凡人ではありません。
>この行者さん、享年47歳、早すぎる死でした。
47歳とは早すぎますね。
>隈本確先生が師と仰ぐ行者さんと隈本確先生とが現界で共に過ごした6年間は、決して美談で終わるようなものではありませんでした。
このお話は、これからしばらく続くのですが、私が最初にこのお話を読んだとき、思わず大きなため息が出ました。あまりに壮絶だったのです。