聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

以前の娘がいない

前回の続きです。

 

娘が娘でなくなっている

 

わたくしをとても心配させたのは、娘がほとんど何もしゃべらなくなったという事でした。

 

何を聞いても、抑揚のない調子で、アーイ、アーイというばかりなのです。

 

「腰は痛いの?」

 

「アーイ」

 

「腰は痛くないの?どっちなの」

 

「アーイ」

 

といった調子で、全く普通ではなくなってしまってしまっているのでした。

 

それから一週間ばかりの間、娘は、寝たり起きたりしながら、ほとんど食事もとらない日々を過ごしていました。

 

この間、わたくしがどんなことをたずねても、返事は相変わらず、アーイ、アーイだけでした。

 

一週間を過ぎて、ようやく元気を取り戻し始めた娘は、少しづつ食事の量も増えていきました。

 

でも、すっかり別人のようになってしまった娘が、以前の娘に戻っていく気配は、全然ありませんでした。

 

娘の目が異様な光を帯びてきた事に気づいたのは、丁度その頃のことでした。

 

「美代子、腰の痛みはどうなの?」

 

わたくしが、繰り返し、このことを聞くと、娘はまったくあらぬ方を眺めながら、うつろな表情にわずかな微笑みを浮かべて、妙なことを口走ったのです。

 

「わたくし、正雄さんが好きなの」

 

「違うのよ、美代子、腰の痛みはどうなの?腰の痛みのことを聞いているのよ、母さんは」

 

「ううん、いやよ、五郎さんは嫌い、正雄さんが好きなのよ……」

 

それからというもの、娘に何をどのように聞いても、こんなふうな愛の言葉しか返ってこなくなってしまったのです。

 

これだはもう、完全な物狂いとしか言いようがありません。

 

わたくしは、あまりの事態に、とにかく大阪支部のF先生に電話を入れました。

 

「F先生、あの時の修法以来、娘が狂人同様になってしまったのです。

何を問いかけてもまともな返事をせず、返ってくるのは、正雄さんが好きだとか、そのような愛の言葉ばかりなのです」

 

「腰の痛みはどうですか」

 

「ですから、あの時以来、腰の痛みのこととか、その他のことについてもいろいろ問いかけてもまったくまともな返事をしなくなってしまったのです。

そして、今申しましたように、返ってくるのは愛の言葉ばかりなのです。

先生、いったい、どうしたらいいのでしょう」

 

「腰の痛みを訴えないのならば、痛みは取れているということではないのですか。

私の修法がきいておるのだ」

 

「ですが先生、娘は完全に狂人に……」

 

「あんたもわけのわからん人だね。

私は、娘さんの腰に憑りついていたヘビの霊を外してあげたのです。

それで、娘さんが腰痛を訴えなくなったのなら、良いではないですか。

それ以上、私は何も言うことはない」

 

ガチャン、と電話が切れてしまいました。

 

それから何回電話をしてもこの調子なので、わたくしは、再び大阪支部まで足を運び、F先生をたずねました。

 

けれども、今度は、居留守を使われました。

 

何回行っても、係の人が困り顔であらわれて、

 

「F先生は、ただいま外出中です。

今日は、お帰りにならないかもしれません」

 

の一点張りなのです。

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

取り返しのつかない失敗

 

毎回書きますが、何ともはやひどい話です。

 

目に見えないことを良いことに、霊能者はやりたい放題です。

 

腰痛を訴えないのならいいではないかと言って、けんもほろろです。

 

娘さんのお母さんからすれば、腰痛どころか以前の娘さんを返してほしいところです。

 

こんなひどいことをしておきながら、現実の世界では全く罰せられることはないのです。

 

この霊能者は、のうのうと生きていて、又第二の第三の犠牲者を出していなければいいのですが……

 

人生には取り返しのつく失敗と、取り返しのつかない失敗があります。

 

ほとんどの場合は、取り返しのつく失敗でその経験を生かして次の成功につなげることが多いものです。

 

でもこのお母さん、取り返しのつかないことをしてしまいました。

 

娘の腰痛を治すためだったはずなのに、とんでもない霊能者に出会ってしまい、嫌がる娘を娘のためだと勘違いをしてしまい、とうとう娘の人生をダメにしてしまいました。

 

もちろんこの霊能者が一番悪いのです。

 

でも、生きているとこのような口先だけはうまいことを言いながら、悪いことをする輩がいるものです。

 

こういう事に騙されないためにも神のお知恵がいただけるように、常に聖の親様のお力をいただいていることが大切だと思います。

 

 

 

 

ヘビがとれたというけれど・・・

前回の続きです。

 

異常行動のF先生

 

あろうことか、F先生が、娘の首筋から肩、背中……と、大きな舌を出して、ベロベロ、ベロベロなめ始めたではありませんか!!

 

「ギャッ!!ギャーッ!ギャーッ!ギャーッ!助けて、母さん、助けて!!」

 

背中からF先生に馬乗りにされ、ガッシリと抑え込まれたまま、娘は死に物狂いで暴れ、息も絶え絶えにわめきちらします。

 

するとF 先生は、その度に「静かに!静かに!」と大声をはりあげて、なおも娘を強くガキッと押さえつけて、背中と言わず、腰と言わず、ベロベロとなめまわすのです。

 

「ギャーッ!!ギャーッ!!ギャーッ!!」

 

必死の声を張り上げて叫び、のたうち、暴れまわる娘の腰をガキッと抑え込んだこのF先生、馬乗りになった姿勢のまま、私の方をキッと振り向くと、こんなことを言いました。

 

「見なさい、お母さん!お嬢さんの、このあばれ、のたうち回る様を!!これこそ、憑りついている黒ヘビが、わたしの修法によって苦しみ、もがきまわる姿ですぞォ!!」

 

それから、さらにF先生は、汗水たらしながら一心に、娘の背中から、腰から、ベロベロ、ベロベロなめ回しているのでした。

 

今から考えると、わたくしは、この現実離れした場面に居合わせて、気がおかしくなりかかっていたのかもしれません

 

ケダモノのようなF先生の言葉を真に受けて、心底、地獄絵図のように暴れまわる娘に憑りついているヘビの怨霊の恐ろしさに、唖然としていたのですから……。

 

そして、しばらくするうちに、今度は、身動き一つしなくなってしまったのです。

 

見れば、娘は虫の息のありさまで、気を失っているのでした。

 

すると、娘の上に馬乗りになって必死の形相で娘の体中をなめまわしてたF先生は、ようやくなめるのやめて、もったいぶった調子で言いました。

 

「さあ、とれたぞとれたぞ、ヘビの怨念がとれたぞ、これで、もう大丈夫じゃ」

 

それから、F先生は娘の背中から降りると、額の汗をぬぐいながら言ったのです。

 

「お母さん、もう大丈夫ですよ。

ヘビの怨念は解けました。

お嬢さんは、しばらくしたら気がつくでしょうから、そうしたら連れて帰りなさいおそらく、腰の痛みはもうとれているはずです」

 

F先生が部屋を出て行ってしまってから、十分ほどして娘を揺り起こしたわたくしは、まだ意識がもうろうとしている娘にようやく服を着せ、そのまま、抱きかかえるようにして家へ帰りました。

 

けれども、家に帰ったその日からの娘は、今までの娘とは全く違う娘になってしまいまいした。

 

まず、帰宅後丸二日間というものは、食事もせず、水も飲まずという状態で、ひたすら眠ってばかりでした。

 

三日目、これでは体が本当にまいってしまうと思ったわたくしは、無理矢理のようにして娘を起こして、食事をさせました。

 

ですが、その食事の量も、ふだんの五分の一程度というありさまでした。

 

次回に続きます。

 

 

  

 

 

もって生まれたもの

 

このF先生はわかってやっているのか、それとも本気でヘビが憑いていると思ってのことかわかりませんが、キーボードを打っていて気持ちが悪くなります。

 

娘さんは、どれほど気持ちが悪く辛かったか……

 

正気の沙汰とは思えません。

 

この話とは別の話になります。

 

最近、参政党という新党の街頭演説の動画が面白くて、毎日見ています。

 

参政党の副代表兼事務局長の神谷宗幣参議院議員の子供の頃の話なのですが、子供の頃から頑固で大人のいう事を全く聞かない子だったそうです。

 

あまりに言う事を聞かないので、おばあちゃんが「この子には物の怪がついているから」と二度もお払いに連れていかれたそうです。

 

神谷氏が言うには、未だにそういうところは変わっていないそうです。

 

本人が言うには、その当時は言われなかったけれど、今の時代に生まれていたら発達障害だと言われていたと思う、と言っています。

 

今回の大阪府知事選に参政党から出馬をしている吉野敏明氏がいます。

 

この人も小学生の頃は、皆と同じことをせず、自分のやりたいことをしていたので、いつも先生の隣に座らせられていたといいます。

 

お母さんは、先生からよく呼び出しをくっていたといいます。

 

どちらも小さい頃は成績が良くなかったといいます。

 

でも、どちらも自分でやる必要を感じてからは頑張ったようです。

 

神谷氏は関西大学を出て、大学院にも行ったようです。

 

吉野氏は岡山大学だと言っていました。

 

二人とも、今の日本が危ないから、日本人に目を覚ましてもらいたくて、命懸けで演説をしています。

 

この二人は、言葉に出すと命が危ないようなことを言っていますが、人のいう事を聞かないとか、ウソをつきたくないから本当のことを言う、誰に何を言われても今の日本や日本人のために自分の考えを突き通しています。

 

小さい頃は、大人から見ると問題行動であっても、小さい頃から変わらないその様子は、大人になって必要なものだったのではないかと、私は感じています。

 

私も子育て真っ最中の頃は、子供の問題行動を親である自分の責任のように感じていましたが、子供が大人になった今思うのは、親がどんなに努力をしてもどうにもならないもって生まれたものが備わっている気がしてなりません。

 

今思い起こすと、昔私が子供の頃の大人は、普通より活発な子や大人が思いがけないことをする子を、将来は大物になるぞと嬉しそうに言っていました。

 

そういう子は、今は発達障害と言われているようです。

 

 

おかしな心霊団体の幹部の言動

前回の続きです。

 

 

信じられないことを言う大阪支部で一番偉い先生の言葉

 

F先生は、いとも厳かな声色でそう言いました。

 

けれど、「裸になりなさい」などという、F先生の厳かな口調とはかけ離れた言葉の内容に、わたくしはギョッとしました。

 

娘はと見れば、ギョッとするどころではなく、真っ青になった顔全体に驚愕と恐怖の色をみなぎらせて、体中を硬直させています。

 

そして、わたくしに対して、「いや、いや、いや」と、目で必死に懇願しています。

 

すると、F先生が、少々居丈高な調子で迫ってきました。

 

「さあ、どうするのですか。

私の修法にしたがうのですか、従わないのですか。

たった今わたしの修法に従うと言ったではありませんか。

さあ、どうするのです!」

 

このF先生の厳しい口調に半ばおされてしまったわたくしは、それでも、冷めた心で大阪支部で一番偉い先生の言葉なのだと思い直して、意を決しました。

 

「さ、早く。先生のおっしゃる通り、裸になりなりなさい」

 

わたくしは、なおも身を固くして、目で「いや、いや」と懇願する娘を急き立てるようにして服を脱がせると、布団の上にうつぶせにさせました。

 

まっ裸で布団の上にうつぶせにさせられた娘は、そのままの姿勢で、それでも、わたくしに対してなおも、「いや、いや、恥ずかしい」という懇願のまなざしを向けていました。

 

ですが、わたくしは、わたくし自身気が動転しながらも、有名な心霊団体の幹部の偉い先生のおっしゃることには間違いがない、これは神のお導きなのだと、素早く心の中で判断して、娘に対して、目をキュッときつくして、「そのままジーッっと、静かに!」という無言の合図をしたのでした。

 

わたくしが、F先生は、うつぶせになりなった娘のすぐ脇に坐ると、何かブツブツと呪文のようものをを唱え始めました。

 

それが四、五分も続いたかと思うと、いきなり、F先生は娘の上に馬乗りになったのです。

 

そうして、両手で、娘の方をグーッと抑え込みました。

 

「ギャー!!」その途端に、娘が驚くばかりの大声で叫びました。

 

シッ!!静かに!!静かにしないとヘビの怨念は取れないぞ!!」

 

思わず身を乗り出してF先生を引き戻そうとしかかったわたくしでしたけれど、このF先生叱正に、まるで金縛りにあったように一歩も動けなくなってしまいました。

 

そして、次の瞬間、思わずわが目を疑うような場面が展開されたのです。

 

次回に続きます。

 

 

   

 

 

気持ちの悪い想い

 

私は今回のこの話をキーボードを打っていると、気持ちが悪くなってきました。

 

何度も何度も途中でやめて他の作業をしてからまたパソコンに向かいました。

 

そして、今回やっとここまで書くことができました。

 

次回はどこまで書けるかはわかりませんが、今回は何とか書くことができました。

 

この気持ち悪さというか、書いていると重苦しく辛くなってくるこの想いがこの母親の想いなのか、娘さんの想いなのか、母娘両方の想いが伝わってきているのか、単に私がこの話に不快感をもっているだけなのか、自分の想いがどこからきているのか自分でもよくわかりません。

 

今までこのブログを書いていて、こんな気持ち悪い想いをしたことはありません。

 

隈本確先生が長い間神霊治療を行っていて今でも鮮明に記憶している、と書かれていることが分かる気がします。

 

次回に続きます。

 

うさん臭い祈祷師

前回の続きです。

 

怪しげな祈祷師

 

うなだれたまま、ため息とも返事ともつかない小さな声を漏らした母親は、不意に顔をあげ、訴えるようなまなざしを隈本確先生に向けると、語り始めました。

 

以下は、その母親が語ったものです。

 

……娘をこんなふうにしてしまったのは、実は母親であるこのわたくしの責任なのです。

 

世の中には、本当にひどい、恐ろしいことがあるものです。

 

わたくしが、無理矢理、あんな怪しげな祈祷師のところへ連れていきさえしなければ、娘はこんなことにならなかった……、それを思うと、何としても悔しい。

 

あの祈祷師が、心の底から恨めしいのです。

 

先生、どうか、わたくしの話を聞いてください。

 

つい二年ほど前までは、この娘も、全く普通でした。

 

親の欲目かもしれませんが、器量も頭も十人並み以上、体だって腰以外は悪くはなかったのです。

 

ですから、母親のわたくしの心配事と言ったら、どんな男性のところに嫁ぐのだろうかという、そんなことぐらいだったのです。

 

ところが、この娘は腰だけがちょっと悪かったのです。

 

七、八年前くらい前から腰が痛いと言い出して、あらゆる治療を試みたものの、どうしてもすっきりしないというのです。

 

そんなある日のこと、わたくしは、日本全国に組織をもつ某心霊団体で病気治療を行っている、という事を耳にしました。

 

そこで、さっそく住まいから一番近いという事で、その団体の大阪支部に娘を連れて行ったのです。

 

当の娘は、御祈祷などには初めからあまり乗り気ではなかったのですが、ともかく、大阪支部では一番偉いと言われているF先生に治療をしていただくことになりました。

 

そして、いよいよ治療です。

 

わたくしと娘は、F先生の個室に招き入れられました。

 

F先生は初老の男性でしたが、わたくしたちが入っていくなり、すぐに「霊視をしましょう」と言って、瞑目をしました。

 

それから、一、二分後、霊査を終えたF先生は、こんなことを言ったのです。

 

「お嬢さんの腰にはヘビが巻き付いています。

このお嬢さんの五代前のご先祖が、二メートル余りにもなる大きな思いヘビを殺しているのです。

しかも、お殺したあげく、火で焼いています。

お嬢さんの腰が痛むのは、そのヘビの怨念が原因です」

 

会員一万人以上と言われているこの心霊団体の、その幹部の先生がそう言われたのです。

 

わたくしは全身から血の気が引くような想いで、F先生の次の言葉を待ちました。

 

娘はと見れば、やはり緊張した面持ちでジーッとしています。

 

F先生は続けて言いました。

 

「この殺されたヘビの怨念を外さなければ、絶対にお嬢さんの腰痛は治りません。

今後、十年でも二十年でも、いや、一生続くでしょう」

 

「では、では、どうしたらそのヘビの怨念は外れるのですか」

 

わたくしは、すがる気持ちでF先生にたずねました。

 

「その方法はただ一つ、絶対に私の修法に従うというのならば、ヘビの怨念は解けるでしょう」

 

「先生、お願いします。

ぜひともお願いします。

何とか、そのヘビの怨念を解いてください」

 

わたくしは、なおも必至で、F先生のとりすがらんばかりになって、頼みました。

 

すると、F先生は大様にうなずいて、言ったのです。

 

「そうまで言われるなら、よろしいでしょう。

では、さっそく手法にとりかかりましょう」

 

そう言うや、F先生は、部屋の隅にあった押し入れから布団を取り出し、わたくしたちの目の前で床に敷きました。

 

「それでは、今から修法を始めます。

お嬢さんは、まず裸になりなさい。

そして、この布団の上にうつぶせになりなさい」

 

次回に続きます。

 

 

 

 

 

気持ちの悪い話

 

今まで隈本確先生の本を読んでいて、変な祈祷師や行者の話を読んできましたが、今回ほど気持ちが悪く、読んでいて辛く苦しく感じたのは初めてです。

 

この先はまだ長く続きますが、今の段階でもう気持ちが悪いです。

 

こうやって、目に見えないことをいいことに適当なことを言っていることに無性に腹が立ちます。

 

このF先生には、本当にヘビが巻き付いて見えるのか、見えないけれど見えるとウソを言っているのかわかりませんが……

 

動物霊などいないと隈本確先生は力説をしています。

 

厄介なことに、霊査と言ってもレベルの低い人もいれば高い人もいるようで、低い人には本当にそう見えるようです。

 

素人には、霊査のレベルなどわかりませんから、困っている依頼人から見れば神妙な顔をしてもっともらしく言われれば信用します。

 

腹ただしいことに、こういうことには法律は一切かかわることはできませんからね。

 

やりたい放題ですね。

 

 

 

 

かわいそうな親子連れ

かわいそうな親子連れ

 

隈本確先生が、長い間神霊治療を行っていて今でも鮮明に記憶している、大変かわいそうな女性の話です。

 

その女性は、川井美代子さんといいます。

 

某悪徳神霊能力者の犠牲になり、若くして、その一生を踏みにじられてしまったのです。

 

ある日、長崎道場に、二人連れの女性がやってきました。

 

聞けば親子という事でしたが、娘さんは20代後半でした。

 

お母さんは、60歳くらいだったと思われます。

 

ところどころに白髪の目立つ、いかにも疲れ身った風情の母親にしっかりと手をとられて治療所に入って来たお嬢さんは、最初からひどく様子がおかしかったのです。

 

部屋に入るなり、あたりを見回すその表情は全く弛緩しており、隈本確先生の方に目を向けると、今度はニヤニヤ、ニヤニヤ笑いだしました。

 

その目は異様な光さえ帯びていました。

 

「川井さん、どこがどんな風に具合が悪いのですか」

 

いつものように、治療申し込み用紙に目を落としながら、たずねると突拍子もない返事が返ってきました。

 

「明日はきっと雨が降りますわ。ええ、そうです。明日は雨が降ると思いますわ」

 

「いえ、明日の天気のことではありません。頭が痛いとか、お腹が痛いとか、体のどこかに具合の悪いところがあるか、聞いているのです

 

「ねェ、今日はどこかのホテルに泊まるのォ、お母さん」

 

もはや、隈本確先生の言葉など耳に入った気配もなく、今度は母親の胸を引っ張りながら、そんなことを言っているのです。

 

全く支離滅裂なのです。

 

この川井さん、隈本確先生が、どのような質問をしても、それに対してまともな返事は返ってきません。

 

そして、そのあいだ中、目は落ち着きがなくあちこちを見ていて、それにつれて体もグチグチと動くのでした。

 

これはもう、完全に発狂状態でした。

 

こうなってしまってからでは、隈本確先生の神霊治療能力をもってしても、とても回復は望めません。

 

隈本確先生は、先ほどから娘さんの脇でうなだれている母親に、残酷な言葉を告げなければなりませんでした。

 

「お母さん、申し訳ございません。お嬢さんの神霊治療は、私にはとても無理です。私には治すことはできません」

 

「は……」うなだれたまま、ため息とも返事ともつかない小さな声を漏らした母親は、ますます深く首をたれると、そっとまなじりにハンカチを当てました。

 

一体、何という事なのでしょう。

 

どうして、こんなことになってしまったのでしょうか。

 

たった今目の前にいる、この不幸な親子をどうすることもできない隈本確先生は、絶望的な気持ちで、狂気の娘と悲しむ母親とを、ただうちながめるばかりでした。 

 

次回に続きます。

 

 

  

 

 

我が家の猫の場合

 

今回のお話は、書いていて私の胸までが苦しくなってきます。

 

自分の娘が、年頃の娘がこんな会話が続かないような状態になることを目の当たりして、毎日接していなければならない母親は、どれほど辛く苦しい事でしょう。

 

今回の話とは全く関係のない話になりますが、我が家には年老いた猫がいます。

 

だいぶ前に、東京道場に行ったときに正二郎先生に「霊流は動物にも効果がありますよ」と言われてから、気になることがあると猫に霊流を流しています。

 

正二郎先生が、「動物は素直ですから、とてもよくなります」と言われた通り、すぐに効果が表れます。

 

我が家の猫は、たまにですが目に白い膜のようなものが目の半分ほどに張り付いた状態になることがあります。

 

つい数日前も、片目がそんな状態でした。

 

猫に霊流を流すと十数分もすると、その膜は無くなっていました。

 

もう18歳くらいになると思いますが、今でも元気です。

神霊研究家と神霊能力者の違い

神霊研究家と神霊能力者は違う

 

神霊研究家とは、その名の通り神霊研究家でありまして、決して神霊能力者ではありません。

 

各地でおこる神霊現象、超常現象の調査、謎解き、解説をしたり、神霊現象に関する資料、文献の収集をもっぱらとする人達です。

 

これら神霊研究家は、長年の研究体験の結果、一般素人の方々に神霊に関するいろいろなアドバイスをすることはできます。

 

しかし、普通は神霊能力者でないために、単なるアドバイスに終わってしまう事が多いのです。

 

ところが、一般の人達の中には、神霊能力者と神霊研究家とを混同している人が非常に多いようです。

 

もし、あなたが病気治療のために神霊研究家の元を訪れたとすれば、それは、けがをしたからと言って医事評論家の元を訪れるのと何ら変わりがありません。

 

皆様方には、その点を十分注意していただきたいものです。

 

また加持祈祷師、行者、神霊能力者と一口に言っても、言うまでもなく、その超常能力は千差万別であります。

 

そして、一般の人達が、その能力の有無、強弱、および質の程度を知ることは非常に難しい事であります。

 

霊の姿が見える、声が聴こえる、予知がある、霊言がある……、これらの力の一つをとっても持っている宗教関係者というと、一般の人達は途端にコロリとまいってしまい、それらの人達の言うがまま、なされるままになされるまま膨大な時間と金品の浪費をしているような場合が非常に多いのです。

 

しかし、もし、あなたが病気治療、その他の不運の解消が目的で加持祈祷師、行者などを訪れて、それが三回以上にわたっても何らの効果が生じない場合、残念ながら、あなたの行為は無駄だったと判断せざるを得ません。

 

あなたの方から、速やかに、その行為を中止すべきです。

 

また、病気治療や災難の除去のためのいろいろな祭りごと、修行や修法補やたらと依頼人本人に強要する宗教家、加持祈祷師や行者も、やはりおかしいと疑っていいでしょう。

 

例えば、私達がケガをして病院に行ったとしましょう。

 

その場合に、患者の目の前に針を出し、糸を出し、薬をだし、「さあ、自分で消毒をしてぬいなさい」などという医者がいるでしょうか。

 

巷には、目的に応じた修法の方法を依頼人に教えて、これを依頼人当人にすっかり行わせている加持祈祷師や行者も多いと聞きますが、これでは、患者を前にして自らは何も手を下さない医者と同じようなものです。

 

いやしくも神霊能力者を自認する者であるなら自ら依頼人に成り代わって、病気治療なり、災難除去なり霊的処置を行うのが原則です。

 

逆に言えば、依頼人に対して、やたらとあれをしろ、これをしろと注文を付ける加持祈祷師や行者は、神霊治療能力者としては実力がないという事になります。

 

この他、隈本確先生がいつも言っているように、目に見えない霊を扱う神霊能力者の世界には、全く常識外れのような悪が、横行しています。

 

依頼人の神霊に対する無知をいいことに、とんでもないことをする宗教関係者も現実にいます。

 

世の中には、有名宗教団体の幹部とか、心霊研究団体の幹部と聞くと、途端に常識的判断力がマヒしてしまうのか、何でも言うなりになって染む依頼人も多いのですが、いついかなる場合にも、正常な判断をもってもらいたいものです。

 

 

   

 

 

 

神霊能力者の判断基準

 

>一般の人達の中には、神霊能力者と神霊研究家とを混同している人が非常に多いようです。

 

残念ながら、私から見ても同じように思います。

 

素人には区別はつかないと思います。

 

>あなたが病気治療、その他の不運の解消が目的で加持祈祷師、行者などを訪れて、それが三回以上にわたっても何らの効果が生じない場合、残念ながら、あなたの行為は無駄だったと判断せざるを得ません。

>あなたの方から、速やかに、その行為を中止すべきです。

 

隈本確先生は、こういうわかりやすい基準で教えてくれるるところが、信頼できると思っています

 

素人では、神霊能力者の判断基準がわかりませんから、こういうわかりやすい基準があると、ありがたいです。

私も少しは感じるようになってわかるようになってきたのですが、本当にとんでもないことを言っているし、行っている人がいるようです。

 

ところが、自分の言動が意図的に悪いことをしているとわかっている人とは別に、自分自身は善行だと思い込んで、とんでもない言動の人もいるからやっかいだと思うようになりました。

 

神霊の世界は目に見えないだけに、難しいです。

 

日本の神霊能力者のほとんどが加持祈禱師、行者

加持祈禱師、行者とは

 

現代、宗教関係者と考えられている人達を大別すると、二つのグループに分けられます。

 

その一つは、実在する神・仏・霊とは全くかかわりのないところで学問としての宗教を研究したり、あるいは人の道を説いたり、葬式、結婚式など形式的祭祀を執り行ういわゆる儀式職業者としての宗教者のグループ、そして、今一つが、実在する神・仏・霊とコンタクトをとりながら実際的祭祀を行おうとするグループです。

 

これらのうち、隈本確先生がここで問題にしようとしているのは後者のグループです。

 

すなわち、何らかの意味で神霊的要素のある宗教関係者という事になります。

 

具体的には、加持祈祷師、行者がそれであり、また、必ずしも宗教色があるわけではなくても、実在の神霊を扱うという点において、神霊能力者(霊流奉持者)もこの中にはいるでしょう。

 

まず、加持祈祷師、これは、真言宗天台宗など密教で行う病気、災難を除くための秘宝を行使する人たちを言い、昔から日本では、病気、その他の不幸があると、加持祈祷師を頼ることが非常に多かったのです。

 

そして、加持祈祷師を頼った結果、病気が治ったとか、災難除けができた、という報告もたまたま聞くことがあります。

 

このような場合、調べてみると、生前熱烈な仏法奉持者だった人が他界後、憑依霊となって生者に憑りつき、それが仏教的祭祀によって一時的に憑依を解消している、という事が多いのです。

 

行者とは、仏道修験道などで行を修する人のことを言い、色々な行によって超自然的な力を身につけ、一般の人々の病気治療や災難の除去に当たっています。

 

普通行者と言われている人達は、だいたいにおいて神仏混交による修行をとっているようです。

 

ただし、加持祈祷師と行者との間には共通点が多く、厳密に分けることはできません。

 

そして、加持祈祷師も行者も、共に神霊能力を有しているというのが一応の建前であります。

 

現在神霊能力者と言われている人は日本国内にも沢山いますが、そのほとんどが、これら加持祈祷師、行者のたぐいであります。

 

 

 

 

 

 

初めて知った加持祈祷師と行者

 

今までこのブログで、よく加持祈祷師とか行者とか書いてきましたが、書いているわたし自身が加持祈祷師とはとか行者とか、あまりよくわかっていませんでした。

 

子供の頃、母に連れられたところがありましたが、そこはどういった類のものだったのか、未だによくわかりません。

 

今となっては、父も母も亡くなっていますので聞くこともできません。

 

予言みたいなことを聞いてきたのではないか、と記憶しています。

 

加持祈祷師なのか行者なのか、別のものなのか未だによくわかりません。

 

>加持祈祷師、これは、真言宗天台宗など密教で行う病気、災難を除くための秘宝を行使する人たちを言い、昔から日本では、病気、その他の不幸があると、加持祈祷師を頼ることが非常に多かったのです。

 

加持祈祷師が、真言宗天台宗の人達だということも初めて知りました。

 

>調べてみると、生前熱烈な仏法奉持者だった人が他界後、憑依霊となって生者に憑りつき、それが仏教的祭祀によって一時的に憑依を解消している、という事が多いのです。

 

とても興味深い話です。

 

>行者とは、仏道修験道などで行を修する人のことを言い、色々な行によって超自然的な力を身につけ、一般の人々の病気治療や災難の除去に当たっています。

 

以前の記事にあった修験道の人もそうなんでしょうね。