前回の続きです。
叔父さんは人格者だった
—―それにしても、叔父さんはなんて快活で、楽しげだったんだろう!
実を言うと、隈本確先生はその叔父さんの生前に、あれほど嬉々として楽しげなところを見たことがなかったのです。
叔父さんは、大変もの静かな人だったのです。
この葬儀が終わって三日ほどして、隈本確先生はお母さんに次のように語ったのです。
「母さん、叔父さんは透き通るような凄く綺麗な顔になって、スーッと霊界の高いところに上っていたったよ。心も体もとても軽くて、うきうきしているって、すごく幸せでも、もう二度と人間界には戻りたくないんだって、そんなこと言っていたよ」
この隈本確先生の言葉に、叔父さんがなくなって以来すっかり沈み込んでいたお母さんも、嬉しそうに笑いながら言いました。
「確ちゃんは、霊界のことは何でも見えたり、聴こえたりして、わかるんだものね。でも、それで私もホッとした。本当に良かった。叔父さんが、そんなに幸せそうにしているんだったら、もう安心ね。
あのおじさんは妹のご主人ながら、本当によくできた人だった。心のきれいな、優しい人だった。あのおじさんが怒ったり怒鳴ったりしているところなんて、一度も見たことがなったものね。いつでも、だれに対してもおだやかにニコニコしていて、嫌味なんかも絶対に言わない人だったからねぇ。ほんとに神様みたいな人だったと思うよ。だから、きっと霊界でも高いところに行けたんでしょうね……」
しみじみ語るお母さんの表情が和んで、それから暫くの間、亡くなった叔父さんの優しい人柄をしのんで、思い出話のあれこれを語りました。
ところで、この話は隈本確先生が25歳くらい時のことです。
当時、すでに隈本確先生は色々な神霊の力をもっていたとはいえ、いまから思えば、霊界に対してまだまだ浅薄な理解しか持ち合わせておらず、まして、人間の魂の存在などということには思いも至りませんでした。
この頃の隈本確先生は、亡くなった叔父さんが霊界入りすることで幸せになったということだけですっかり安心し、それ以上深く考えようともしませんでした。
しかし、今にして思えば、叔父さんの魂は生前からずっと美しい霊界を志向し続けていたものと思われます。
叔父さんは、魂の霊界志向により、大きな苦しみもなく、若くしてその肉体を脱ぎ捨て去ったのでした。
苦しまずに逝った叔父さん
>本当によくできた人だった。心のきれいな、優しい人だった。 ↓
ほんとに神様みたいな人だったと思うよ。だから、きっと霊界でも高いところに行けたんでしょうね
このお母さんの言葉を読んでいると、生前の叔父さんという人がどんな人だったか想像できます。
最近の私、自分の魂がどのレベルかわかりませんが、自分の魂を汚さない方法として、自分が天命界にいると仮定をして生活をしています。
そうしていると、本当にこの人間界の汚さ醜さを感じます。
今までは、人間界だから地獄界レベルの人間も神界レベルの人間もいるから仕方がない、と思っていましたが、最近本当に嫌だと思うようになりました。
本当に残念なことに、そのひどく醜い原因をつくっている本人に限って、自覚がないんですよね。
そういう人に限って、うまくいかないと、その原因を人に責任転嫁します。
こういうことに関しても、以前の文学者の方も隈本確先生の叔父さんも、生前は感じておられたんだろうと思います。
>叔父さんは、魂の霊界志向により、大きな苦しみもなく、若くしてその肉体を脱ぎ捨て去ったのでした。
こういう感じが良いですね。
私の理想かもしれません。