聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

見方によると自殺になる

見方によっては自殺・・・

今までの説明で、自殺の原因とその内容についてはわかっていただけたと思います。

しかし、自殺ということについて論じる以上、なお考えなければならない要素が残っています。

まず、戦争です。

歴史始まって以来今日に至るまで、世界の各国で戦争は行われています。

もちろん、日本も例外ではありません。

過去におおいて、日本人は戦争によってどれほど多くの血を流してきた事でしょうか。

この戦争ということについて考えた場合、私達は、それがほとんど一種の自殺を前提として成り立っているものであることに気づくはずです。

しかも、戦争というものがほとんど個人の意思を超えたところで進行していくところから、それは国家的規模の集団自殺行為であると考えられます。

また、わが国でも外国でもかつて見られた事例として、殉死というものがあります。

君子の後を追って家臣が自殺をすることであります。

あるいは、殉教はどうでしょうか。

長崎の西坂はキリスト者殉教の地として知られており、今も26聖人の碑や資料館があります。

仏道における、即身仏を願って自ら断食し、生きながら座棺に入ってミイラとなるような行為、これも、やはり一つの殉教の 姿でしょう。

と同時に、明らかな自殺と言えるでしょう。

このようにいろいろ見ていくと、世の中には一般的に言われている「自殺」とはちょっとばかり趣を異した自殺行為が無数にあることがわかってきます。

 

 

 

 

 

意外なものも自殺になる・・・

戦争、殉死、殉教、即身仏が見方によっては自殺と言える、なんて考えたこともなかったけれど、言われてみればなるほどと思えます。

 

>戦争というものがほとんど個人の意思を超えたところで進行していくところから、それは国家的規模の集団自殺行為であると考えられます。

 

本当に腹が立つのが、これなんです。

戦争というものがほとんど個人の意思を超えたところで進行しているのです。

戦争をすることを決める連中というのは、戦地に入っていないのです。

戦地に行くのは、これから未来のある若者達なのです。

戦争をしようと仕掛けてくる連中、戦争を煽るやつ、自分たちの欲望のためにどれほど多くの若者たちが命を落としてきたかわかりません。

 

>君子の後を追って家臣が自殺をすることであります。

 

これは、当時では当然として受け取れれていたのでしょうか?

それを知りたいです

君子の後を追って家臣が自殺をする、その家臣の替わりに埴輪を置いたのではないか言われている、と何かで聞いたことがあります。

それならそのほうが良いですね。

 

>長崎の西坂はキリスト者殉教の地として知られており、今も26聖人の碑や資料館があります。

 

このことは、私達は正確なことを教わっていません。

これだけを知ると、当時の秀吉が極悪非道の人間のようですが、でも現実は違ったようです。

何故なら、このキリシタン弾圧をしたことによって、当時は多くのアジアの国々が白人の国の植民地になっていたのにもかかわらず、日本は植民地にならなくてすんだのです。

私もこの話は、数年前に知ったばかりです。

当時、ヨーロッパの国々は狙いを定めた国に、まず最初に宣教師を送り込みます。

それは一応建前はキリスト教の布教です。

しかし、それだけではなく、というより本当の狙いは、狙いを定めた国の調査のためなのです。

日本も御多分にもれず、ポルトガルのターゲットになっていました。 

当時は、九州の何人かの大名がキリスト教に改宗していました。

大名が改宗すると、領民にも改宗をするよう勧めました。

中には、どうしても嫌だという領民がいました。

そういう領民は、奴隷としてポルトガルに連れていかれたと言います。

ということを何かで読んだことがあります。

奴隷にされたのは、5万人という記録もあるようですが、実際にはその何倍もいたのではないかと言われています。

それを知った秀吉が激怒し、キリスト教を禁止したと言われています。

秀吉は、極悪非道ではなく日本を守ったのです。

こんな大切なことを私たちは知らされていません

即身仏ですが、これは過酷ですね。

考えようによっては自殺ですね。

今回の自殺というものの見方は、私にとっては目からウロコでした。