聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

地獄界の住人でも真反対の霊界人

地獄界にいても想念次第

幽界以下の地獄界で苦しんでいる霊界人は無数います。

が、その地獄界にありながらも、霊界人としての修行を積み、必ずや霊界の上界へとUターンしていこうと、懸命に努力している霊界人達も沢山います。

彼らは、地獄・魔界にあっても、やはり善の霊界人というべき存在です。

この地獄界に住む善の霊界人の中には、生前、高潔な武人、宗教家、教育家、政治家、学者、医者だった人も多いのです。

これらの人達は、人間界においては高き倫理の持ち主で、いわゆる立派な人、人格者でもあったでしょう。

しかし、その生前の想念が霊界倫理にそぐわなかったために、ある一定の年数、地殻霊界に陥っているわけです。

これに反して、生前は同じように宗教家、政治家、学者、医者だったといっても、人間界にいる間に、すでにその想念界に自ら地獄を作り出していたような人達は、死後、文字通り地獄の住人、魔とよばれる存在となる人達であります。

例えば、宗教家であるということを盾にとって金儲けばかりに奔走していた人達、悪どいやり方で自分ばかりが膨大な利益を上げていた政治家や医者など、霊界入りした暁には、まっしぐらに地獄界へと転落し、魔となる存在でありましょう。

 

 

 

 

 

すべての霊界人を救う

今までこのブログを書いてきて思うのは、どんなに極悪人であっても、想念を入れ替えた時点で霊界の上界に行けるということです。

その代り、たとえ幽界であろうと夜叉界であろうと濁王界であろうと、自身の想念を変えない限りいつまでたっても変わらないということです。

でも、何万年、何億年と長い年月をかけていつかは陰王界、夜王界と進み、地下の神の世界へとたどり着くということがわかりました。

この進み方だと、誰でも長い年月をかけて救われるということなのですね。

われわれ人間界の目線から見ると、ため息が出る長さですが、それでも一人ももれなく救われるのですね。

素の親様(創造神)の深い愛を感じます……

 

他にも感じるのが、人間界では死、つまり肉体の消滅ということは、人間でなくなるから一大事です。

ところが、大霊界は違う気がします。

何故なら、魂は肉体があろうがなかろうが関係ありませんから。

肉体がなくなって魂だけになっても、魂の向上の一過程だからです。

そうすると、おのずと倫理観というものが大霊界と人間界とでは違ってくるでしょう。

しかし、人間であるうちに大霊界のことを知っていると、人間界にいても、もっと違った倫理観を持つことができるのではないかと考えます。

そうすれば、肉体がなくなった時にも慌てる必要がなくてすむのではないでしょうか。