聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

霊界入り後の自由と平等

霊界入り後の自由と平等

前回は自由と平等ということについて、人間界倫理から見た感想を述べてきましたが、このことについて、今度は神霊界倫理から検討してみたいと思います。

神霊能力者である隈本確先生としては、こと霊界の事象に関しては、一般の方たちよりはるかに多くのことを知り得ているものとして自負しています。

まず、前回お話した人間界倫理では、自由と平等というものは、どうしても相いれない二つの方向性をもった原理でありました。

ところが、霊界ではこの自由と平等の原則が、それこそ、一枚のコインの表と裏のごとく、分かちがたく共存されています。

生前、私達はどのような思想、想念をもとうと、それは、まったく個人の自由にゆだねられています。

が、霊界入り後の魂(霊)は自己が自由に持つ想念次第で、自由に暗黒の地獄に落ちることもできれば、自由に高き神々の住む天界へと進むこともできるのです。

そうだとすれば、自由なるがゆえに課せられた、なんという自己の想念選択の厳しさでありましょうか!

また生前、財産があったとかなかったとか、あるいは、地位、名誉があったとかなかったとか、人間界でのそのようなことがらとは一切無関係に、各々の霊魂が全く平等の立場におかれるのが霊界というものです。

誰も関与することの出来ない、ただ己一人に責任が課せられるのです。

過酷なまでの自由と平等に貫かれた世界、それが霊界です。

大霊界における自由と平等の過酷なまでの厳密さを思うとき、人間界で口にする自由と平等の、なんと不完全で不平等なことでしょうか。

大霊界では、自由と平等の法則の中に、すなわち神々と魔界が存在します。

私達人類は、幾多の世紀をかけて、自由及び平等の道を追求し続けてきました。

そして、そんな人類のうえに出現するのは、神か、魔界でしょうか。

限りない自由と平等に包まれた大霊界の水も漏らさぬシステムをここに見る時、私達の想いの世界もまた、大きな反省と転換を迫られるはずです。

自由と平等の権利を飽くことなく追求し続ける私達人間は、果たして、霊界では神を選び取るのでしょうか、魔界を選び取るのでしょうか――。

これもまた、自由と平等のすがたではないでしょうか。

 

 

  

 

 

 

被害者ビジネス

>霊界入り後の魂(霊)は自己が自由に持つ想念次第で、自由に暗黒の地獄に落ちることもできれば、自由に高き神々の住む天界へと進むこともできるのです。

 

人間界の自由と平等と霊界入り後の自由と平等では、大きな違いがあります。

霊界入り後の自由と平等というのは、とてもシンプルで分かりやすいです。

一方、人間界の自由と平等はといえば……

世界には、自由も平等もなく生きること自体が大変な国があります。

少なくとも、我が国は自由があって貧富の差が少ないと思っていましたが、弱者ビジネスというものがあるということを知りました。

困窮している人の弱み、または支援側の善意に付け込んで利益を得る悪質なビジネスです。

前者は、囲い屋などによる保護費の搾取する生活保護ビジネスなど社会的組織である表向きには善意の団体だと見せかけ、貧困層をターゲットにしており、実際は困窮した状態から抜け出せないように固定化しながら不当に利益を得るビジネスです。

後者は、生活保護受給者が医療費無料を悪用し、薬の不正入手や転売で利益を得ている問題など被支援側の不正ビジネスを意味します。

見ようによっては、生きることにたくましいとも見ることもできますが、こういう人たちは魂だけになった時には、霊界入り後の自由と平等ではどうなるんでしょう。