聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

心身障碍者の際立つ美しい目

美しき唯心の世界での生活者たち

 

隈本確先生は、昔から幼心にいつも不思議に思うことがありました。

 

それは、たとえばろうあ者、盲目者、くる病、その他の心身障碍者の目が、際立って美しい事であります。

 

他の同年配の子供たちには見られない、ましてや、大人の世界では絶対と言っていいくらい見られない、あの澄んだ美しい目、だから、隈本確先生は、いつでもそれらの人達に不思議な神秘感を抱いていました。

 

—―どうしてだろう。

何故、あのように澄んだ美しい目があるんだろう。

 

そして、それらの人達の前では、体や頭脳が人並みに健全であり唯物的である自分に対して、意味の分からない恥ずかしさを覚えたものです。

 

この一連の隈本確先生の想いと感覚とは、後年、神霊学を研究するようになってから、はっきりと解明されました。

 

すなわち、心身に障害のある人達は、一般の人達に比べて、その魂魄の霊としての修行の過程が数倍も早く、神霊治療能力者と同じような霊との交流が盛んに行われ、内在するその魂魄は若年にして霊界での神の格が完成されているのです。

 

一般の人が、この物質文明の中で、ともすれば悪・欲・疑いといった地獄想念のますますの習得に励みながら毎日をおくっているのとは、まことに対照的です。

 

心身に障害を持ち、現界での生活に普通以上の規制を受けている人達は、何事につけても謙虚で、だいたいにおいて魂が先行し、現界的な悪・欲・疑いの地獄想念には程遠いところにいるのです。

 

肉体を持って現界にありながら、未来に広がる霊界人的な”霊主・体従”の生活を送っているのです。

 

つまり、美しき唯心の世界での生活者ということができるでしょう。

 

以前に紹介したお便りの洋子さんの場合も、それです。

 

完全に人間界での生活、人間性を否定した、完璧なまでの唯心の世界での人間生活だったのです。

 

肉体の滅亡後の霊界までも引きつがれる人間生活(魂としての生活)であれば、その魂の重みをここに知るとき、この洋子さんの人間界での生活と霊界でのありかたは、現界人、霊界人双方に大いなる指標を投げかけるものと言わなけらばなりません。

 

現世の 繩ないごとの 眠り後 

      永遠の御神の 御座参るや

 

 

  

 

 

心身に障害がある人は、神霊治療能力者並みに霊との交流が盛んに行われる

 

>心身に障害のある人達は、一般の人達に比べて、その魂魄の霊としての修行の過程が数倍も早く、神霊治療能力者と同じような霊との交流が盛んに行われ、内在するその魂魄は若年にして霊界での神の格が完成されているのです。

 

という事は、一般の人達に比べて、大変過酷な人生を送るという事ですね。

 

肉体にしょうがいがあるというだけで、過酷ですよね。

 

 

>一般の人が、この物質文明の中で、ともすれば悪・欲・疑いといった地獄想念のますますの習得に励みながら毎日をおくっているのとは、まことに対照的です。

 

確かに対照的です。

 

>心身に障害を持ち、現界での生活に普通以上の規制を受けている人達は、何事につけても謙虚で、だいたいにおいて魂が先行し、現界的な悪・欲・疑いの地獄想念には程遠いところにいるのです。

 

しょうがいがあるだけで、現界での生活に普通以上の規制を受けます。

 

>肉体を持って現界にありながら、未来に広がる霊界人的な”霊主・体従”の生活を送っているのです。

 

人として生きている中に霊主・体従の生活というのは、大変難しいものです。

 

常に意識をしていないと、人間界の悪・欲・疑いに心に引きずられます。

 

>体の滅亡後の霊界までも引きつがれる人間生活(魂としての生活)であれば、その魂の重みをここに知るとき、この洋子さんの人間界での生活と霊界でのありかたは、現界人、霊界人双方に大いなる指標を投げかけるものと言わなけらばなりません。

 

障碍者が、なぜ人間界に生まれてくるのか、という疑問に対する答えですね。

 

身近に障がい者がいると、どうしても考えさせられることが多いものです。

 

だいぶ前ですが、障害をもつお子さんをもったお母さんの言葉を読んだことがあります。

 

自分は生まれた時から、全てのことに恵まれていました。

生まれてきた子に障害がありました。

 

ある人にあなたの人生は、この子さえいなかったら完ぺきだったのにね、と言われましたが、私はこの子に救われたのです。

 

もし、この子が生まれていなかったら、本当に鼻持ちならない嫌な人間になっていたと思います、と。