聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

人が亡くなるときの想い

無垢な魂の勝利――高き霊界人たちの歓喜と祝福に迎えられて

 

死後の世界での生活のために霊、肉体、すなわち物質を主とした悪・欲・疑いに満ちた現界生活を送るか、その選択の自由は私達自身の心(想い)にゆだねられています。

 

しかしながら、この現世という物質世界に渦巻く諸々の事象—―たとえば財産、地位、名声、権力、性などにまつわる悪想念、あるいは間違った信仰に絡んで生じてくるいろいろな悪現象をさしていますが、それらの悪想念に絡めとられた現界での生活は、間違いなく地獄へ直進する片道切符となるでしょう。

 

ここに、肉体をもつ人間の知恵に付きまとう悪・欲・疑いや苦しみの想念を霊界に持ち込まさない清浄な魂の独立性が重要な問題となってきます。

 

人間界を去って、霊界で美しい黎明を迎えた魂は、霊界中に響き渡る荘厳なる鐘の音と紅のあやなす光彩とに迎えられて、高き霊界人達の歓喜と祝福の中、きらり、ゆらりと輝き舞いながら、賛歌の想いに光体をうち震わせ、大霊界の光輝の至峰へと進み行くのです。

 

祈り――。

神々と私達の魂が投げかける美の波動と楽の音が、大霊界の果つるまで鳴り響かんことを。

 

 

  

 

 

 

母のお通夜での出来事

 

>人間界を去って、霊界で美しい黎明を迎えた魂は、霊界中に響き渡る荘厳なる鐘の音と紅のあやなす光彩とに迎えられて、高き霊界人達の歓喜と祝福の中、きらり、ゆらりと輝き舞いながら、賛歌の想いに光体をうち震わせ、大霊界の光輝の至峰へと進み行くのです。

 

以前にも書いたことがあると思いますが、私の母が亡くなっての通夜の時の感じがこんな感じでした。

 

実家は、浄土真宗でした。

 

母の棺の前で、お坊さんがお経をあげています。

 

お坊さんがお経をあげている後ろに少し間隔をあけて、実家を継いでいる弟と弟の家族が並んでいて、その横に私たち姉妹3人が並んでいます。

 

わたしたちは、お坊さんのお経を読んでいる後ろに座って、お坊さんのお経を聞いています。

 

お坊さんのお経を聞いているうちに、私にはお坊さんの声がどんどん小さくなってはるか遠くに聞こえるようになってきました。

 

その代りに、私の心の目と耳にある光景が見えてきました。

 

母の棺のところに真っ白い衣を着た女性が上から数人降りてきて、母を上の世界に導いていくのです。

 

場所は葬儀場でしたが、その葬儀場の広い天井には、隙間なくびっしりと、真っ白い衣を着た神霊の方々が並んでいます。

 

そして、その方々が、賛美歌のような歌を歌っています。

 

それは、この世のものと思えないそれはそれは美しく心に心地よく響いてくる歌でした。

 

その中には、父もいましたし、以前に書いたことがある若い時に亡くなった姉もいました。

 

そして、母の長兄であり、父のとても仲のいい友人である伯父もいました。

 

そのうち、だんだんお坊さんのお経の声が大きくなって、先ほどの神霊の方々や母が見えなくなってきて、私は現実の世界に戻ってきました。

 

翌日の葬儀には、前日のお通夜での出来事は全くありませんでした。

 

その後、姉達や弟にその話をしても、そんなことは全く見えもしないし、歌も聞こえなかったと言われました。

 

私にだけ見えて聞こえたとしても、母はおそらく地獄ではなくいい所に行っているだろうと、私が勝手に思っています。

 

余談ですが、母が神霊の方々に導かれている様子が、子供の頃に読んだかぐや姫のお話で、月からのお迎えに従ってかぐや姫が行くときの姿によく似ている、と思いました。

 

もしかしたら、かぐや姫のお話は神様の世界に行くときの様子を描いたものだったのかもしれないと思いました。