聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

子供に孝行にされる親になれ

先祖供養より子孫供養

隈本確先生の嫌いな言葉は「先祖供養」ですが、それと同じくらい嫌いな言葉は「親孝行」という言葉です。

 

ある宗教関係者は、先祖供養の第一歩は親孝行からと説いているといいますが、それも、よく考えるとおかしなことです。

 

だいたい、この「親孝行せよ」という言葉は、いったい、誰の口から出てくるのでしょうか。

 

もし、それが子どもたちの口から自然に出てくるものであれば、確かに親孝行も大いに結構です。

 

しかし、実際に「親孝行せよ」と言っている張本人は、当の親たち自身なのではないでしょうか。

 

全く、押し付けがましい限りのことだと思います。

 

隈本確先生には三人の子供さんがいますが、隈本確先生は、その子供さんたちに対して「親を大切にしなさい。親孝行しなさい」といったことは、ただの一度もありません。

 

大切なことは、子供に親孝行を強いることではなく、親自身が、子供に大切にされる親になることなのです。

 

だから、隈本確先生に言わせると「親孝行せよ」ではなくて、「子供に孝行される親になれ」という事になります。

 

そして、子供に孝行される親になるためには、親として、また、それ以前に人間として、毎日の生活の中で自分の言動、想念の管理をきちんとしていかなければなりません。

 

自分の子供に対して「親孝行せよ」と強要したり、あるいは、子供に対する悪口、罵詈雑言を平気で口に出したり、心の中で子供を憎んでいるような親は、親として失格であるばかりか、人間としても失格しているのです。

 

そのような人間の魂は、死して霊界入りした暁には、必ずや地獄界に堕ちていくでしょう。

 

隈本確先生は、よく先祖供養よりも、より以上に大切なのが子ども、子孫供養であると言っています。

 

黙っていても子供から大切にされる親になるという事は、非常に難しいなのかもしれません。

 

しかし、そのような心がけで一生を過ごしたなら、その人の魂は霊界入りした後、必ず高き神霊に迎えられ、ひたすら向上の道をたどるでしょう。

 

と同時に、他界して、そのように浄化・向上していく霊が、なんで己の子孫に憑依したり、因縁で苦しめたりすることがあるでしょうか。

 

先祖供養という気の遠くなる迷路に踏み込むよりも、高き神界にあられる守護神の霊流を奉持し、まず己が完全に助かり、その上で清き霊流を子々孫々に流す――、この子孫供養こそ、我々人類にとって、よほど大切な言葉ことだと思われます。

 

 

   

 

 

子供を大切にすることは自分も救われる

 

>大切なことは、子供に親孝行を強いることではなく、親自身が、子供に大切にされる親になることなのです。

 

私も以前から同じようなことを思っていました。

子供に親孝行を強要するようでは、子供は心から親孝行をしたいとは思いません。

 

思い起こせば、わたし自身も子供たちに親孝行を強要したこともありませんし、私の親から親孝行をしなさいと言われたことはありません。

 

そういう面では、親に恵まれたかもしれません。

 

逆に言われたことがないから、大事にしたいと思いました。

 

これが、強要されたら親から逃げたいと思ったかもしれませんが……

 

隈本確先生は、よく先祖供養よりも、より以上に大切なのが子ども、子孫供養であると言っています。

>黙っていても子供から大切にされる親になるという事は、非常に難しいなのかもしれません。

 

なるほど、子孫供養という発想は私にはありませんでしたが、黙っていても子供から大切にされる親になりたいという事は願っていました。

 

 

>そのような心がけで一生を過ごしたなら、その人の魂は霊界入りした後、必ず高き神霊に迎えられ、ひたすら向上の道をたどるでしょう。

 

確かに、そこにつながるかもしれません。

 

気を付けたいと思います。