聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

霊査について

霊査

霊査とは、いわゆる霊能者が一定の霊的手順を踏んで、霊及び霊界の諸相を調査することを言いますが、霊査の問題については、隈本確先生のもとへもおびただしい数にのぼる依頼や質問が殺到しています。

しかし、隈本確先生は霊査ということに関しては、その依頼の全てをお断りしています。

以前に書いた水子霊のブームにしても、霊査ブームの一端と言えるわけですが、この霊査と言わるもの、私達人間にとっては、ほとんど役に立たないものです。

一般の人達は、神霊能力者とみると、すぐに、自分にはどんな霊が憑いているのかという事を聞きたがるものだけれど、それが、世の中にナンセンスな迷信をはびこらせる一因にもなっていることに気づいてもらいたいものです。

たとえば、「あなたには、動物のたたり霊が憑いているから、一年間お経をあげて供養しなければならない」とか「ご先祖様が霊界で大変苦しんで、立派なお墓を欲しがっておられる」など、自分勝手な霊査結果をもとにした供養を依頼人に強い、それに伴って多額の金銭を吸い上げている霊査専門の加持祈祷師や霊能者も少なくないのです。

しかし、何万体という隈本確先生の招霊体験では、供養のために立派な仏壇や墓、社、掛け軸、その他の祭式行事を要求してきた神霊は、ただの一体もありません。

いつも隈本確先生が言っているように、霊界とは、人間界とは全く異質の想念の世界です。

そして、霊の向上とは、現界にいた時にもっていた諸々の想念を捨て去って人間界を遠ざかり、より霊界の高きに上ることを言います。

そうだとすれば、立派な仏壇や墓、読経、その他の供物や祭式行事に先祖霊を括り付けておくという事は、先祖供養どころか、逆に、先祖虐待ということになってということになってしまうことでしょう。

もし、仮に霊査能力者の霊査結果が事実であるならば、能力者は、黙ってその場で、苦しむ霊を救済をしてやればいいのです。

自称霊査能力者から、亡くなった父母や祖父母が、あるいは子供が、水子が霊界で苦しんでいると告げられたばかりに、どれほど多くの人たちが、日夜、悲観にくれていることでしょうか――。

このように、霊に対して何も知らに一般の人達に対して、いたずらに悲しみや不安という精神的重荷を負わせている宗教関係者、神霊従事者を、隈本確先生は許せない気持ちでいっぱいなのです。

 

 

  

 

 

苦しむ霊は黙って救済をする

 

>仮に霊査能力者の霊査結果が事実であるならば、能力者は、黙ってその場で、苦しむ霊を救済をしてやればいいのです。

 

私もこれに尽きると思います。

それに、霊は一般には感じることができない人がほとんだと思いますので、中にはそれを利用して金目的に先祖が苦しんでいるから、立派な先祖供養をとか、立派な墓をとか言う可能性もあります。

本当に、苦しんでいる霊がいるなら、黙ってその場で、苦しむ霊を救済をすればいい話です。

よく考えると、亡くなった先祖が立派な法要すれば救われるとか、立派なお墓をつくれば救われるとか、凄く人間世界的考えではないでしょうか。

殆どの霊は、そういうことを求めてはいないでしょう。

 

これは私の個人的体験ですが、私も日神会に出会うまでは霊を感じるという事は全くありませんでしたが、毎日霊流をいただいているうちに霊を感じるようになりました。

日神会の会員信者の方の中に、同じように感じるようになった方々がいます。

そういう方と交流をもつと自然とそういう話になることがあります。

でも、同じものを見ているのに結果が全く違う事があります。

上に書いたことは、お金目的の人は悪意がありますが、悪意がなくてもそれぞれ違う結果が出ることがあります。

こういうことがあると、感じ方にも個人差があるのではないかと思うようになりました。