聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

惚れて惚れてほれ込んだ神様

人間の愛を超えた深い愛

隈本確先生のお父様の原因不明の難病の前でやすやすと治してしまった行者さんを見て、すっかりびっくりするとともに、自分の一生の決定をもしてしまった隈本確先生は、その時まだ二十歳そこそこの若者でした。

けれども、隈本確先生は知っていました。

——あれほどの父の病気を治してしまった、あの力、あれは人間の力ではない。

あの行者さんの力ではない。

あれは、行者さんがお祀りしている神霊、第十代・埴山姫之命(はにやまひめのみこと)のお力だ。

この実在する神霊のお力あればこそ、あのような奇跡が可能だったのです。

もちろん、この行者さんに限らず、神霊能力者、加持祈祷師、行者といわれる人たちには強力な守護神の背後霊が付いていて、いろいろな術を可能たらしめているのが普通です。

隈本確先生の師である行者さんの守護神たる第十代・埴山姫之命は、行者さんの屋敷に静まる神霊でありました。

隈本確先生が、偉大なる神霊の力を自在に行使する行者さんにすっかり心酔してしまったのはもちろんのことではありましたが、実は、それ以上に隈本確先生がほれ込んでしまったのが、この屋敷の神、第十代・埴山姫之命だったのです。

なんとしたことか、隈本確先生は行者さんの守護神である埴山姫之命に心底、惚れて、惚れて、惚れこんでしまったのです。

それは、人間の親子の愛、夫婦の愛をなお超えた、まさに命がけの深い、深い愛でありました。

そして、隈本確先生のこの神に対する深い愛は長い年月を経ても、何ら変わることなく続いているのです。

 

次回の続きます。

 

 

  

 

 

現在の日本神霊学研究会につながる

隈本確先生は行者さんの守護神である埴山姫之命に心底、惚れて、惚れて、惚れこんでしまったのです。

 

この時点で、隈本確先生は只者ではありませんね。

前回でも書きましたが、私のような凡人だったらすごい行者さんで終わってしまいます。

それを、今の日本神学研究会まで繋げてこられたのですから。

そして、今までどれだけ多くの人を救ってこられたか……凄いことです。

 

隈本確先生のようなスケールの大きい話ではない、小さな個人的な話です。

私は長い間、自分が予定していたことができなかったりすると、自分を責めていました。

なんでこんなことすらできないのかと、本当にごく最近からですが、できなかったことは仕方がない、と割り切れるようになりました。

というか、できなかった自分をそのまま受け入れることができるようになりました。

端から見たらどうでもいいことでしょうが、私にとっては自分を受け入れることができるようになったら、うまくいかなかったそこからまた新しく予定を作り直して、行動すればいいやと思えるようになったので、とても気が楽になってきました。

なぜそう思えるようになったかというと、自分は別に怠けて生きてきたわけではないし、その時その時、自分なりに精一杯生きてきたから、行動できなかったのは自分でも気が付かないうちに行動できない何か理由があったのではないか、と思えるようになりました。

私の場合は、疲れていて動けなかったというケースが多いので、その時はこれだけ休んだからこれからはできる、と気持ちを切り替えることができるようなりました。

今回は、私のほんのちょっとした変化を書きました。

隈本確先生のスケールとは違う小さい小さい話でした。