聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

埴山姫之命からの神示

埴山姫之命が守護神に

師が亡くなってちょうど一年たったある日、隈本確先生がいつものように師の家にお邪魔して、家族の方たちと談笑している時のことでした。

突然、隈本確先生の心の世界に、大霊界にとどろきわたるような大きな鐘の音が響きました。

そして、隈本確先生の胸中に、湧き上がるように荘厳な声がひろがりました。

「余は十代・埴山姫之命である。余はそなたを、本日、ここに余の代とすることを認める。余は本日をもって、そなたの守護神である」

なんと、埴山姫之命からの神示だったのです!

隈本確先生は、思わずその場で飛び上がらんばかりにびっくりして、歓喜の想いにふるえたのでした。

続いて、神示がありました。

「今後において、そなたは余の代として、いついかなる場所にあろうとも、世の流れの中にあることを余は許すであろう。今後においては、当屋敷といわずいかなる場所においても余の代であることに代わりなければ、凡夫の世界におけるところの必要以外は、当屋敷のに立ち寄る必要はない」

隈本確先生は、突き上げてくる大歓喜の想いの波に身内がふるえました。

このときの隈本確先生の喜びがいかばかりであったかは、筆舌に尽くせぬものであったとしか言いようがありません。

最高にして最大の守護神が、やっと私の守護神として出現されたのです。

命をかけて、惚れて惚れて惚れぬいた偉大なる神、奇跡の神が、この私の守護神として出現されたのです!

苦節七年にして、ようやく隈本確先生は命を賭けて求め続けてきた偉大なる神霊を、自らの守護神として拝することができたのです。

この歓喜の真っただ中にいた隈本確先生、一週間ばかりの間は、あたかも天界を自在に舞う天女になったかというような夢見心地の戸を過ごしました。

 

 

  

 

 

日本神霊学研究会の原点

隈本確先生は、思わずその場で飛び上がらんばかりにびっくりして、歓喜の想いにふるえたのでした。

 

そうでしょうね。

師の家族の方たちとの会話も覚えていないくらいかもしれませんね。

 

>この歓喜の真っただ中にいた隈本確先生、一週間ばかりの間は、あたかも天界を自在に舞う天女になったかというような夢見心地の戸を過ごしました。

 

七年間もの間、毎日通い詰めて、何をしていても隈本確先生の胸の内は常に「埴山姫之命」だったわけですからね。

日本神霊学研究会の原点です。

 

私は、会員歴が約40年で今は古い会員になってしまいました。

会員になっても即日神会に行けたわけではないので、会員になってから5年後くらいに日神会の東京道場に行きました。

当時は、恵比寿のマンションの一室でした。

それから何年後かははっきり覚えていませんが、毎年行くようになりました。

私にとっては、毎年日神会に行くことが生きがいになっていたと思います。

あの状態が永遠に続くと思っていました。

古い会員の私の気持ちを、このブログで正直に書いたことはなかったのですが、正直に書きますと、今の日神会が変わりすぎてなかなかついていけていません。

他の宗教団体では、代替わりをすると大きく変わってしまって大変なことがあるとは聞いていましたが、日神会に限ってそういうことはないと思っていました。

ところが、日神会も、大きく変わってしまいました。

同じように古い会員の方で辞めた方も多かったようですが、わたしはどんなに変わってもやめる気にはなれず、今も会員です。

長い間慣れ親しんだ名称も変わりましたが、幸い新旧どちらを使ってもいいというので、大変助かっております。

相変わらず、聖の親様とか強制浄霊とか自己浄霊とか使っております。

いつかまた東京道場、いや今は東京聖地ですね、いってみたいと思っています。