聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

針のむしろ

「あんたの方が好いとらすとじゃもんなあ」

その頃になって、この行者さんの心にある変化が起こってきました。

ある時、行者さんは、隈本確先生に向かって嫌味たっぷりな調子でこう言いました。

「うちの神、埴山姫之命は、あんたの方が好いとらすとじゃもんなあ」

エーッ!隈本確先生は、心の中で大きく叫びました。

埴山姫之命は、師の行者さんより隈本確先生の方が好きだって!!本当だろうか、本当にそうなんだろうか。

隈本確先生はの心は高鳴り、何か場違いの言葉が、今にも口から飛び出しそうなりました。

しかし、次の瞬間には、隈本確先生は心に剣を突き付けられたような、たまらない気分になっていました。

いくら隈本確先生が命がけでほれ込み、心酔している埴山姫之命といっても、この神霊は、もともと行者さんの屋敷に鎮まる神だったのです。

そのうえに埴山姫之命は、隈本確先生の師たる行者さんの守護神でもあるのです。

行者さんが、心中穏やかならぬのも無理はありません。

隈本確先生は、すっかり複雑な思いにとらわれてしまいました。

しかし、その後も隈本確先生は相変わらず、夜になると行者さんの家に出かけていきました。

そして、詰めかける依頼人の病気をせっせと治していました。

が、そうしているうちにも、隈本確先生は日ごとに、この行者さんの中で忌み嫌われていくのを、はっきりと感じていました。

 

次回の続きます。

 

     

 

厳しい神霊の世界

>行者さんが、心中穏やかならぬのも無理はありません。

 

確かに行者さんからすれば、心中穏やかではないですよね。

神霊の世界は厳しいですね。

 

>そうしているうちにも、隈本確先生は日ごとに、この行者さんの中で忌み嫌われていくのを、はっきりと感じていました。

 

これはもう、針のむしろです。

といっても、針のむしろという言葉は若い人にはわからないかもしれませんね。

辛く、心が休まらない状況の例えです。

昔は、むしろという敷物がありました。

その敷物に針が刺さっていて、針が刺さっている敷物の上に座っているくらいの辛い状況という例えです。

それでも隈本確先生は、行者さんの屋敷の神霊であり、行者さんの守護神である埴山姫之命のもとに毎日通われたわけです。

その様子を思うと、私でも胸が苦しくなってきます。

こういう目には見えないけれど、お互いのそれぞれの想いが、はっきりとわかってしまうというのは、本当に厳しいと思います。

以前、日神会に毎年行っていた最初の頃は、いいなぁ私もこんな仕事をしてみたい、と思っていました。

ところが、私も年数がたってくると、霊能者の先生方のエネルギーの違いや強弱がわかってきたのです。

それで、神霊の世界の厳しさがわかってきました。

もうはっきりと、霊能者の先生方の力量がそれぞれお互いにわかると思うのです。

もちろんそんなことは口には出されることはないとは思いますが、霊能者の先生方だけでなく、信者会員にもわかる人がいるわけですから、なんて大変な仕事なんだ、と心底思いました。