聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

聖天界レベルに匹敵

「静寂」「透明」の世界

前回の続きです。

 

果てしないと思われた、あの地獄界を突き抜けてやってきたこの地王界とは、まさしく、まさしく神々の生活される場だったのです。

それは、上界の聖天界にも匹敵する、文字通り神々しいばかりの美と静の波動をもった地殻界に存在する神界だったのです。

何億年という地獄界での苦しみに耐え抜き、淘汰されてたどり着いた神々の住むこの地王界、そのかもし出す雰囲気を言葉であるらわそうとすれば、「静寂」「透明」という二つの言葉が思い出されます。

しかし、このどこまでもひっそりと澄み渡ったガラスの国のような地王界について、現界の言葉で表現することは、なんと難しい事でしょうか。

大きな水族館の水槽の厚いガラスの向こうに、透明に輝く不思議な世界が広がっています。

そこには、さかんに泳ぎ回る魚影はなく、深海にでもいそうな大きな魚やカニたちが、音の消えた世界にひっそりとたたずんでいます。

死んでいるのかと思えばそうでもなく、ゆっくりと移動するさまが見られます。

透明に輝く大ガラスの向こうの世界、それは、あたかも地下世界の深い眠りからようやく覚めたかのような、一種不可思議な空間の広がりでした。

もちろん、地下神界の静寂霊妙な気配とは比べようもありませんが、ガラスの国とも言うべき透明な静けさに支配された地王界の感じをつかもうとするとき、水族館の大ガラスの向こうに広がるしんとした水槽の中の情景を思い出して、その一助としてもらいたいものです。

隈本確先生は、ここにはっきりとある一つのことを悟り得ました。

すなわち、人間・凡夫、死んで幽界入りをして上界へと進みゆくことばかりが救われる道ではなかったのです。

たとえ幽界入り後、地獄・魔界に陥ろうとも、悠久の時をかけて淘汰され、磨き抜かれた霊界人は、行きつくところ、やはり下界の深奥にある地下神界へとたどり着き、その地で永遠の生命を永らえることができるのです。

万物に陰と陽とがあるごとく、やはり、神の世界にも陰と陽があったのです。

上界のずっと高いところに光満ち満ちつ神の世界があれば、それに呼応するように、地下何千尺をはるかに超えた彼方の下界には、輝けき神々の住む世界があったのです。

 

 

 

 

 

夜王界から地王界への謎

>上界の聖天界にも匹敵する、文字通り神々しいばかりの美と静の波動をもった地殻界に存在する神界だったのです。

 

聖天界に匹敵する世界ですか……

この地殻神界の前は、夜王界です。

その夜王界では、隈本確先生ですら、ひどく気が滅入ってしきりに虚無的になっていった、と書かれています。

その世界から長い期間とは言え、いきなり聖天界レベルの世界です。

夜王界は一万年前から十万年前です。

そして、地王界は五億年前です。

その四億九千万年もの間にどうやって聖天界レベルに想いが変わるのでしょう。

その間に、地獄の霊界人たちの想いを変えさせる何かが大霊界にあるのでしょうか……

凡人にはわかりませんが、気が遠くなる時を経てすべての霊界人が救われるということがわかりました。

 

何億年という地獄界での苦しみに耐え抜き、淘汰されてたどり着いた神々の住むこの地王界、そのかもし出す雰囲気を言葉であるらわそうとすれば、「静寂」「透明」という二つの言葉が思い出されます。

 

確かに、静かで清らかで美しいエネルギーの感じが、伝わってきます。

大霊界上界の強く動の美しいエネルギーとは、違う感じがします。

でも、どちらも強い愛を感じます。

簡単に書いたようですが、どう表現をしていいのかわからない、上記の表現では物足りないのですが、凡人の私には表現する言葉がなく、ありきたりの言葉しか浮かびません。

どちらかと言うと、私はやっぱり上界に行きたいです。

地獄を経験をして神霊になれるとしても、やっぱり地獄界を経験したくありません。