やっぱり自殺はいけません
隈本確先生は、今まで書いてきたことに対してとても危惧していることがあります。
それは、隈本確先生が今まで述べてきた自殺に関する説明について、それがあたかも自殺を美化し、読者の方々に対して、むしろ自殺を推奨しているかのように受け取られはしまいか、という心配です。
もし、そんな事になったら、それは人間界倫理の攪乱以外の何でもありません。
だから、この自殺ということについて論じるのは、隈本確先生にとっては、以前に水子問題について論じた時と同じように、ある種のやりきれない思いが付きまとうのです。
しかし、隈本確先生はやはり神霊能力者としての立場を貫き、正しい霊界というものを知っていただくために真実を述べることにしたのです。
「自殺をすると霊界で救われない、だから自殺なんかするものじゃない」といった式の生ぬるい方便で人を説得するよりは、霊界の真実を語り、そして人間の正しい心のあり方を理解していただくことの方がずっと大切なことと思われます。
隈本確先生はここで、今まで述べてきた自殺問題に対して一つの結論を出しました。
隈本確先生の考えは、自殺の善悪は別であっても、いかなる自殺をも肯定することはできないということです。
たとえ、国のためという大義名分のある戦争であっても、それが集団による自殺行為である以上、もちろん肯定するわけにはいきません。
以前に「霊界志向による自殺」の時にも述べましたが、偉大な文学者と対面した折の至福の境地を大切なものと思いますが、だからと言って、自殺そのものを肯定することは決してできません。
わたしたちは、本来においてどのような死に方をするかはわかりません。
しかし、いつ、どこで、どのようにしても、人間、その肉体に命ある限り、自己に内在する魂(生霊)に対してでき得る限りの奉仕をしていかなければなりません。
すなわち、現界にあって自己の想念を管理し、魂の浄化につとめていくということです。
それが、私達に課せられた、自己の魂に対する責任でもあるのです。
次回に続きます。
内部からの侵略
>国のためという大義名分のある戦争であっても、それが集団による自殺行為である以上、もちろん肯定するわけにはいきません。
今でも世界では戦争が行われています。
現在の日本も危ないと言われています。
ここで言われている戦争とは、武器を使った戦争だと思われます。
現在の世界は、武器を使う戦争だけではなく内部から侵略されることが多くなっている気がします。
侵略されている方がほとんど気がつかないように、年月をかけて内部に入り込んで、侵略された方は身動きができなくなってから気がつくというものです。
もしかしたら、侵略されていても気がつかないで、生活が苦しいと言いながらもそれに対しての手立てがないままに、生きているという状況になりかねません。
お隣の国がウイグルの国の人達に行っていることは、まさにそれだと思われます。
現在は、ほとんど奴隷状態だそうです。
ひどい事に直接手は下さなくても、彼らの人件費はほとんどないので、極端に安い価格で大儲けをしている企業が世界にあります。
我が国にもあります。
消費者は、その実体にはほとんど関心がありません。
自分たちも同じ状況になる可能性もあるのにもかかわらず、世界の恐ろしい状況に関心がありません。
世界には、自分たちが儲かりさえすればいいという人間がいます。
もっと多くの人達に関心をもってもらいたいものです