聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

覚一氏透明で巨大な白銀色に輝く

前回の続きです。

 

覚一氏聖天界の神霊になる

隈本確先生の胸中に展開される聖天界の壮厳なる神秘の世界。立ちのぼる神々しいまでの金、銀の光の粒子――、そして、その光輝の世界にひたる覚一氏の神霊。

およそ5秒もたったでしょうか。

見れば、それまで目鼻立ちもはっきりしていた覚一氏の黄金霊体が、あたかも大気中に溶けいけるような透明な、巨大な白銀色にに輝き始めたのです。

もはや姿形も定かではない、その白銀色の蜃気楼体には霊界のみに通ずる霊界語すらなく、ただ阿吽の呼吸のごとく感応する想いの世界があるばかりなのです。

そうして、その覚一氏の巨大な白銀色の霊体からは万感の想いがあふれ、今や最高の喜悦の境地にあることが、ひしひしと隈本確先生に伝わってくるのです。

その想いは、三保の松原のさざ波が奏でる平和の歌にも似かよい、また、大霊界にとどろきわたる雷のごとき大歓喜の歌でもありました。

その大至福の余韻は、隈本確先生の胸中にも響き響いて、いつまでも尽き果てることのない平和と歓喜の世界をかもし出します――。

この時、隈本確先生の守護神から感応の波あり、

「以降、そなたは聖不戴天行菩薩と称せよ。天戴かず、そなた自身が天であるように」

深奥の大歓喜の賛歌に包まれた覚一氏の神霊・聖不戴天行菩薩は、静かに隈本確先生の胸中より昇りゆく……。

神霊意識世界より人間界に立ち返り、静かに目を見開いた隈本確先生の前に、聖不戴天行菩薩の平和と大歓喜の想いをそのままあらわしたような里衣さんの姿がありました。

感涙に身を震わせながら、里衣さんは言います。

「先生、私にはわかります。生前、あれほどに深い親愛の絆で結ばれた父です。感応しているのです。ひしひしと幸福感が、喜びが、伝わってくるのです。私には、父がどれほどすばらしい光輝の世界に進みえたかが、よくわかります」

人間界では味わうことの出来ないこの輝かしい宇宙大霊界の神秘の所行を目の当たりにして、隈本確先生は、改めて深い祈りの想いにうたれます。

そうして、その最高位の火の壁を通過し得た天命界に我が守護神がおわします事を思うとき、隈本確先生は、深く静かに確信します。宇宙大霊界とを結ぶ幸福と平和の霊流が、必ずや、私達人類のもとへ奔流のごとくもたらされるであろうことを。

 

祈り、――。

神の光の中に、人類の全てが包まれんことを。

 

 

  

 

 

恵みの雨が降った

見れば、それまで目鼻立ちもはっきりしていた覚一氏の黄金霊体が、あたかも大気中に溶けいけるような透明な、巨大な白銀色にに輝き始めたのです。

もはや姿形も定かではない、その白銀色の蜃気楼体には霊界のみに通ずる霊界語すらなく、ただ阿吽の呼吸のごとく感応する想いの世界があるばかりなのです。

 

神界だとまだ目鼻立ちがはっきりしていますが、聖天界になるともう大気中に溶けいけるような透明な巨大な白銀色に輝き始めるのですね。

そういう姿神霊を見ることができるものなら、見てみたいです。

 

>霊界のみに通ずる霊界語すらなく、ただ阿吽の呼吸のごとく感応する想いの世界があるばかりなのです。

 

霊界語すらいらない、という事ですね。

私は、それが霊界語なのか何かわかりませんが、霊格が低い霊の言葉はわかるのですが、霊格の高い霊の言葉がわかりません。

あれが霊界語なのではないのかな、と思っています。

 

隈本確先生の守護神から感応の波あり、

「以降、そなたは聖不戴天行菩薩と称せよ。天戴かず、そなた自身が天であるように」

しかも、覚一氏はお名前もいただかれています。

良かったですね。

 

今回の記事とは関係のない話ですが、大雨でお困りの方がたくさんいらっしゃいます。

大変ですね。

ところが、私のところは反対に全く雨が降らないのです。

もう一か月は降っていなかったと思います。

あまりに雨が降らないので、神様にお願いをしました。

今までは、雨に困って降らせないでください、というお願いは何度かしたことがあります。

必ず聞いていただけました。

ところが、今回初めて雨を降らせてくださいとお願いをしましたが、その後4~5日の間は全く雨が降りませんでした。

こういうお願いは難しいのか、聞いてもらえないのかな、と思いながら毎日お祈りをしていましたところ、降ってきたのです。

その後、こまめに降るようになりました。

今では、畑の野菜も草(苦笑)も元気いっぱいです。

もちろん、ありがとうございましたとお礼を言いました。