聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

麻薬禍による自殺(その2)

麻薬禍による自殺(その2)

以前、魂による自殺(その5)で魂の独立性ということを書きましたが、ここで、もう一度そのことを思い出していただきたいのです。

—―そう、私達人間の魂というものは、人間の想念とも違う独立した存在なのです。

だから、麻薬常用者の想念の世界がどのように気ちがいじみた混乱状態に陥ろうと、五感・知覚が崩壊寸前になろうと、魂だけは当人の内面世界のずっと奥の方に控えていて、そんな自分自身の姿をじっと見守っているのです。

そして、魂は汚れすさんだ自己の想念世界を容赦しないのです。

だから、心身に加わる諸々の麻薬中毒症状に対して、当人自身の魂がそれを嫌い、バランスの崩れた意識帯、想念界を忌避し始めたら、魂は自らの力によってその汚らわしい想念界、および肉体から離脱していくのです。

その時魂は、当人の自殺という手段をもって、自らの自由と独立を成就させることがあります。

これもまた、麻薬禍による自殺の一つなのです。

 

 

 

 

 

自己肯定感

>私達人間の魂というものは、人間の想念とも違う独立した存在なのです。

 

このことを最初に読んだときから、私の中で長い間?????が続いていました。

魂のほかに想念?

その時から、ズーッと心の隅に引っかかっていました。

最近はわかります。

 

>魂だけは当人の内面世界のずっと奥の方に控えていて、そんな自分自身の姿をじっと見守っているのです。

 

私はこのことはうまく表現ができませんが、魂と想念が別で、自分の内面世界の奥の方で魂の親さんが自分のことを見守っていることを感じられるようになりました。

私は、いつからか感じるようになったのですが、自分では魂の親さんに嫌がられることをしていないつもりでしたが、魂の親さんは私に対して不満まではいかないけれど、もっと変わってほしいと望んでおられることを感じていました。

でも、その何かが私にはわかりませんでした。

最近になってわかってきました。

ちょっと長い説明になりますが、人というのは思い通りにいならなかったときに出てくる想いというのは、2通りあると思っています。

一つは外に向かうタイプですが、もう一つは内に向かうタイプです。

私は、内に向かうタイプで、自分を責め過ぎてしまうことが多かったのです。

最近は、自分を責めることが減って、自分はこういうタイプだからと割り切って考えられるようになりました。

そうすると、とても気が楽になり今まで考えつかなかった解決方法が見つかりました。

その結果、魂の親さんも嬉しそうです。

今にして思えば、もっと早くに自分を肯定することができていれば、生きることがもっと楽だったのではないかと思います。

そう、今でいう自己肯定感が低かったのです。