聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

お焚き上げの物品

お焚き上げの物品

 

日神会本部である長崎道場(今は聖地だが、以前は道場)には、神仏像、掛け軸、お札、お守りなどをはじめとしたあらゆる宗教的なもの、神仏具が、多くの方々から持ち込まれています。

 

これらの中には、いわゆる怪奇現象にまつわる物品も多く、要するに、皆、自分ではどのように処理していいのかわからず、隈本確先生のもとへ、お焚き上げをしてほしいという事で寄せられた品々なのです。

 

隈本確先生がそれらの品を霊的に調べてみると、その80%までが悪想念、欲想念など低想念がこもった、言ってみれば妖気漂うものです。

 

しかも、残念ながら、隈本確先生はそれらの中で、これは高い念がこもっている、美しい霊流が流れている、という品にお目にかかったことが一度もありませんでした。

 

しかし、だからと言って、宗教的な品をやたらと恐れるというのは筋違いです。

 

というのも、隈本確先生のもとに持ち込まれた、そのものについて調べてみると、良念にしろ悪念にしろ、そのものを制作し、発行した側の念が封じ込められているというケースは、そう多くはありません。

 

隈本確先生が感じるところ、それらの物品の約半分までに、その所有者、それを祀っていた当人の欲念、怨念、恐怖の念不安の念、呪いの念といった暗い想念がこびりついているのです。

 

そして、ニ割は、他界した人が生前に残していった念がこもっています。

 

また、後の二割には、それを発行した行者、祈祷師、念力層によるなんらかの念が込められています。

 

後の一割は、隈本確先生は何の念をも感じない、つまり、美的価値観はいざ知らず、神霊学的にはただの物体、ただの紙切れという事になります。

 

隈本確先生は、これらお焚き上げとして持ち込まれた品々の一つ一つを手にとり、そこにこもる念、妖気を祓い清め、しかるべく処置をした後、一般の家庭で神具・仏具として使えるものや高価なものであれば、持ち主にお返ししていました。

 

ここで重要なことは、お焚き上げとして持ち込まれた品々のうち、その半数までに祀り主その人の念がこもっているという点です。

 

しかも、当人が処置に困って隈本確先生のところへ持ってくるくらいだから、当然、こもっている念もあまり高級なものとは言えません。

 

世の中には、神社、寺院、墓、そして、それに付随したいろいろな神仏具やお札、お守りのたぐいをやたらとありがたがったり、また逆に、極端に恐れたりする人が多いですが、そのいずれも誤りです。

 

さきほど神社、寺院、墓についてのへ、その実態を明らかにしてきましたが、それでもわかるとおり、それら宗教的建造物のほとんどは、実在する神霊とは無縁の存在です。

 

そうだとすれば、その神霊とかかわりのない神社や寺院が、いくら立派の札やお守りを発行したとしても、それは単なる木片、紙切れにしかすぎません。

 

神仏に関わりあるものとみると、やみくもに畏んだりすることがナンセンスなわけなのです。

 

ところが、多くの人達は、神仏像(新仏画)、宗教的掛け軸、位牌、経巻お札、お守りと聞くと必要以上に尊奉や畏怖の特殊感情を抱き、また、こういう人達に限って、やれ法事だ法要だと言っては様々な宗教的祭式、行事に明け暮れています。

 

次回に続きます。

 

  

 

普段の自分の想念が自分に返ってくる

 

>日神会本部である長崎道場(今は聖地だが、以前は道場)には、神仏像、掛け軸、お札、お守りなどをはじめとしたあらゆる宗教的なもの、神仏具が、多くの方々から持ち込まれています。

 

隈本確先生がそれらの品を霊的に調べてみると、その80%までが悪想念、欲想念など低想念がこもった、言ってみれば妖気漂うものです。

 

とても失礼ですが、私は日神会でお焚き上げをしてくださっていることは知っていましたが、霊的に調べてくださっているという事は知りませんでした。

 

考えてみれば、日神会でなら調べますよね。

 

ぶん、良くない感じがするとか、あの物品が家の中にあるようになってからよくないことが起こるようになったから日神会にお願いをした、という事だろうと思いますので、80%までが悪想念、欲想念などの低想念だと言われると、わかる気がします。

 

.>残念ながら、隈本確先生はそれらの中で、これは高い念がこもっている、美しい霊流が流れている、という品にお目にかかったことが一度もありませんでした。

 

そうでしょうね、良念が流れているものであれば、たぶん、お守りのように扱うので、お焚き上げにお願いすることはないでしょうね。

 

隈本確先生が感じるところ、それらの物品の約半分までに、その所有者、それを祀っていた当人の欲念、怨念、恐怖の念不安の念、呪いの念といった暗い想念がこびりついているのです。

 

何のことはない、それを祀っていた当の本人の普段からの想念が、こびりついていたという事はこわいですね。

 

よく明るく前向きに生きなさいというのは、自分が暗く沈んだ想いをもっていると、その暗い沈んだ想いが周囲の物にもこびりついて、そのこびりついた想いのエネルギーが又自分に跳ね返ってくるから、悪循環ですね。

 

こういう風に言われると、常に明るく前向きに生きようということがよくわかります。

 

気を付けたいものです。