聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

現在の日本のお葬式の形になるまで

現在の日本のお葬式になるまで

 

古来、魂が霊界入りした後に残された遺体の葬り方については、世界各国でいろいろな方法がとられています。

 

例えば、チベットのある部族の間では、遺体をことごとくわしに食べさせるいわゆる鳥葬が行われていますし、インドでは火葬にした後、その灰や骨はガンジス川に流します。

 

また、戦争中よく行われていた遺体を水中に投じて魚類に食べさせる水葬や、遺体を原野や崖など空中にさらして自然消滅させる風葬というものもあります。

 

現代の我が国では、ほとんどが火葬ですが、これはインドの風習が仏教の伝来によって取り入れられたもので、それ以前の日本は土葬が普通でした。

 

ところで、我が国の墓や葬式制度について語る場合、問題になってくるのは死者の霊魂とのかかわりというよりは、このようなしきたりを生み出した社会的背景の方です。

 

というのも、仏教による死者供養を制度化したのは徳川幕府であり、その制度は現代にいたっても、なお脈々と続いているからです。

 

かつて、徳川家を中心とした為政者たちが、現代で言えばさしずめ厚生省的な役割を仏教諸派、および寺の采配にゆだねたに過ぎなかったのです。

 

すなわち、「葬式と、それに付随した法事・法要は寺にて僧侶が行え」。

 

これが、徳川幕府政令でした。

 

そして、仏教系諸派の寺においては、時の為政者から膨大な金銭、物品、土地の寄進を受け、また、檀家に当たる人達に対しては、その境内に先祖代々の墓を立てさせて、永代供養の名目のもとに、金銭的なことも含めて、寺と檀家との絆がガッチリとくみこまれたのです。

 

このように考えてくると、火葬による埋葬法にしてもはこのあり方にしても、日本の歴史を通じて、時の政治と深くかかわり、その一端を担いつつ発展して来た仏教の名残であることが分かってきます。

 

しかし、後に残された遺族にしてみれば葬式いっさいを僧侶、寺に任せることにより、死者の冥福や、さらには自分の悲しみや戸惑いの心までをも僧侶に託して、安堵を持ていたことも事実でしょう。

 

言ってみれば、葬式というもの、取り行う僧侶側も依頼する遺族側も、双方、持ちつ持たれつの関係があるわけです。

 

また、それは、現界人として、やむにやまれぬ一つの終止符のうち方でもあるに違いありません。

 

ただし、そうはいっても、現在の我が国における葬儀屋はこのあり方が、実在する神霊の存在とほとんどかかわりがない、という事実には変わりがありません。

 

 

   

 

 

実家の場合

 

>言ってみれば、葬式というもの、取り行う僧侶側も依頼する遺族側も、双方、持ちつ持たれつの関係があるわけです。

 

この言葉に尽きると思います。

 

いかにも日本人的ですし、こういうやり方は江戸時代から今に至るまで続いてきたものでしょう。

 

これは執り行う僧侶側にも、依頼する遺族側にもお互いにメリットがあったのでしょうが、それは檀家制にしてしまうことにより、新しく信者を増やす必要もないし、減る心配もないという事が、仏教の堕落にもつながっていたのでしょう。

 

徳川幕府というのは、こういうシステムをつくるのがとてもうまい、と思います。

 

お寺にも系統のようなものがあったようです。

 

檀家の家系図もお寺にありました。

 

その家系図というのは、実家の地域のお寺ではなく、その上のお寺にあったようです。

 

その本家(?)のお寺が火事になり焼けて、実家の家系図もなくなったそうです。

 

私の実家は、平家の落ち武者だと母から聞いていますので、途中に何度か途絶えたとはいえ、実家の歴史が分かったら面白かったのに、と残念です。