先祖霊さかのぼれば無限の数
実は隈本確先生は、先祖供養が大嫌いなのです。
一般的先祖供養には、嫌悪感すら抱いているのです。
それは、隈本確先生の小さい頃からの出来事からきています。
小さい頃、隈本確先生のお父さんはとても信心深い方だったのです。
小さい頃には、イヤイヤお寺参りに連れていかれました。
月に一回、僧侶を招いての先祖供養、そして、隈本確先生の家では、しょっちゅう親せきや知人が集まって法事を営んだり、色々な祭りごとに明け暮れていました。
隈本確先生は、その度に一時間も二時間もの間ジーッと正座をして、意味も解らないお経を延々と聞いていなければならないことがとても苦痛でした。
それにもまして嫌だったのが、僧侶たちのもったいぶったような、偉ぶったような態度でした。
こうなると、物々しい大仰な僧衣までが不快なタネになってしまいました。
先祖供養をするのに、いったいなぜあんな芝居がかったギンギラした衣装を身につけいる必要があるのでしょうか。
こういうことが重なって、隈本確先生は、法事、その他の宗教的儀式に出席させられる度に、子供心にも、なんでこのようにバカげたことが日常茶飯のようにして行われるのかと、いまいましくさえ思っていました。
だいたい、先祖供養の道とは、それをたどれば、無限に続く迷路の旅です。
仮に直接血のつながりのある先祖だけを考えても、20代さかのぼりのある先祖だけを考えても、20代さかのぼればざっと20万人、30代さかのぼれば億という数になってしまいます。
まさに無限に広がり、霊の因縁の世界になります。
ここで、ちょっと考えていただきたいのですが、わたしたちは、果たして自分の何代前の先祖までを知っているのでしょうか。
父方、母方共に、祖父母をよく知っているという人がいれば、おそらく、その人は直接の先祖について、よく知っている部類に入るでしょう。
隈本確先生は、父方も母方共に祖母しか顔も名前も知りません。
要するに、私達の無数にいる先祖のうち、ほとんど全てに近いくらいの人達が、私達の日常生活の中に溶け込んでいない、という事です。
しかも、考えてみれば、太古から徳川時代にいたるまで、私達の先祖たちは、同じ民族同士でありながら、殺戮の歴史を繰り返してきました。
という事は、今の宗教的考え方で言うならば、私達の無数にいる先祖の中には、当然、地獄に落ちて苦しんでいる霊もたくさんいるはずなのです。
したがって、先祖供養の道を進むという事になれば、これらの膨大な数にのぼる地獄に落ちた先祖霊といちいち対面し、処置をしていかなければならないことになってしまいます。
もし、ここに「先祖の因縁」という言葉を出すならば、我々人類のうち、ただの一人だって、先祖の因縁から逃れることはできないはずです。
隈本確先生は、依頼人の方々が先祖供養について質問してくるたびに、次のように答えるようにしていました。
「あなたは本当に、あなたに関係する先祖さんの全てを供養しようと思うならば、あなたが百回生まれ変わっても、それは不可能です」
お坊さんの僧衣
>それにもまして嫌だったのが、僧侶たちのもったいぶったような、偉ぶったような態度でした。
>こうなると、物々しい大仰な僧衣までが不快なタネになってしまいました。
私の実家は、隈本確先生のおうちほど法事や祭りごとをするという事はありませんでしたから、法事等には私は抵抗感はありませんでした。
それより、お坊さんの僧衣に疑問を感じていました。
宗派にもよるのかもしれませんが。
私の実家は、浄土真宗でした。
母の通夜葬式の時は、葬儀場で行ったのですが、僧衣がとても派手なのです。
金ピカなのです。
私達一般人は喪服と言えば黒なのに、お坊さんの僧衣は金ピカなうえに、赤い色も入っています。
思わず「なかなか派手だなぁ・・・」と口には出しませんでしたが、思っていました。
そう思っていた時に、隣で姉が「スリッパがピンクだよ」と私の耳元でささやいていました。
思わず、私の目はお坊さんの足元に言ってしまいました。
宗派によるのか、個人の好みなのかわかりませんが……
>30代さかのぼれば億という数になってしまいます。
考えたことはありませんでしたが、確かにそういうことになりますね……
すごい数です……