先祖供養という言葉
宗教関係者、行者、祈祷師というと、口を開けばふたこと目には、先祖供養、先祖供養と連呼する人が多すぎます。
おそらく、これまで数カ所の宗教団体を巡って来たという人であれば、先祖供養についてさんざん聞かされて、もう、耳にタコができてしまっているのではないでしょうか。
現に、隈本確先生のところへ寄せられる膨大な手紙の中には、先祖供養についての質問、問い合わせが大変多いのです。
たとえば、ある祈祷師に先祖供養の重要さをこんこんと聞かされて、供養料という事で要求されるままに多額の金銭を払い続け、とうとう家屋敷まで手放さなければならなくなってしまった、などという切羽詰まったものまでありました。
では、実際のところ、供養、先祖供養とは何なのでしょう。
供養という言葉そのものの意味と言えば、「死んだ人の霊にものを供えて、冥福を祈ること」という事になります。
言われてみれば、先祖供養という言葉、確かに耳障りが良く、美しく、人々の心を引き付ける言葉に違いありません。
先祖供養をして、ご先祖様が霊界で救われれば、子孫である自分たちにもご加護があり、いかにも、病苦やその他の不幸から解放されそうな気がしてきます。
どうやら、一般の人たちにとって、先祖供養という言葉は、一種の催眠的作用を持つもののようです。
私の父と母
>供養、先祖供養とは何なのでしょう。
日本人ならほとんどの人は、「先祖供養」という言葉は小さい頃から耳慣れた言葉でしょう。
先祖供養というと、私は法事という言葉に繫がります。
数年前に父と母の法事があり、久しぶりに姉夫婦と実家に行きました。
実家につくと、玄関に入ってすぐの6畳の部屋では、父と母が並んで笑顔で迎えてくれました。
父が亡くなった頃は、弟の息子二人は小学生でした。
父は脳梗塞で倒れてから意識が戻らないまま一年余り入院をして、息を引き取りました。
父が入院していた頃に、甥二人が父に「おじいちゃん早く良くなってね」という手紙を書いてくれたました。
その手紙を父が亡くなった時に、父と一緒に入れました。
父はその孫の手紙を手にもっていました。
今でも父にとっては宝物なのでしょう。
父の葬式の時の話を思い出しました。
その頃の母は、もうだいぶ認知症が進んでいました。
言った後から、忘れていきました。
認知症の母でも、父の葬式の時には大勢の人が来てくれましたので、何かあると気が付いたようです。
私達姉妹に「今日は何かあるのかと」と聞きました。
それに対して「あなたの旦那さんのお葬式だよ」というと、「ふうん」と言っていましたが、ものの2~3分するとまた同じように「今日は何かあるのか?と聞きます。
聞ける間は、ズーッと繰り返し聞いていました。
ふうんと答えたものの、おそらくあなたの旦那さんの意味もわかっていなかったのではないか、と思います。
今ならもっと早いうちから、母に他者治療をしてあげられたのに、と残念です。
私が習い事をしている先生が、内緒で遠隔治療を毎日少しづつ行っていますが、ずいぶん良くなっています。