聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

第二、第三の神社

第二、第三の神社

 

前回の続きです。

 

前回書いた生前、神霊との交流をもちえた高級神霊能力者が人間としての生涯を終えて霊界入りした場合、今度は高級神霊となって、霊界側から人間界側に働きかけてくることがあると書きました。

 

この場合当然、その時点においてはすでに神となっている、かつての高級神霊能力者の御霊をお祀りすることになりますが、そのような社も、もちろん前述と同様の第一の神社ということになります。

 

時代的に見ると、これらの第一の神社とは歴史も相当に古く、作られてから最高で500年以上も経ているものを指しています。

 

現在、こうした超神霊の流れの中にある社はわずかに残存しており、日本各地には、それらの神社ですで実在の神霊との交流をもち続けている神霊能力者も、全くいないわけではないのではありません。

 

しかし、真に実力ある神霊能力者が消滅しつつある現在、この超神道の道も、自然消滅の傾向にあると言わざるを得ません。

 

昔から日本は神の国である、と言われてきました。

 

そして現在、この良き言葉は、もはや、古来の純粋な神の道(超神道)を受け継ぐ人たちにとって、悲願ともいえる言葉になってしまいました。

 

このまま放置しておいたら、早晩、正しい超神道の道は根絶してしまうでしょう。

 

今、宗教を見直し、神霊世界に対する認識を新たにしなければ理由のひとつがここにあります。

 

ちなみに、隈本確先生が打ち出している独自の神霊学も、分類すれば超神霊の系譜に入ります。

 

次に隈本確先生の言う第二の神社とは、各時代における権力者や、政治、経済、文化などとかかわりのあった人たちを祀るために建立された、いわば、その時代における民族の象徴としての神社です。

 

例えば、徳川家康を祀った栃木県日光の東照宮豊臣秀吉を祀った京都の豊国神社、織田信長を祀った京都の建勲神社、あるいは東京にある東郷神社乃木神社などがそれにあたります。

 

次の第三の神社とは、さらに政治色の濃いもので、主に仏教やキリスト教など外来宗教に対抗するために建立されたものです。

 

時の為政者たちには、外来の宗教から庶民の心をそらせるための策として、多くの神社をつくって来たのです。

 

また、文化的、社会的に、民衆の心を一つ所に向けさせ、世情不安の解消をはかるための手段としての豊作商売繁盛などをつかさどる神社も多数つくられたが、それらも、この第三の神社として捉えることができます。

 

こうして第二、第三の神社は、その時代その時代の現界人達の心の模索の表れであっても、真実の神霊世界とは全く無関係の存在だと言わなければなりません。

 

寺院にしても、現在の日本では、仏教諸派の象徴的な建造物、または文化的遺産となってしまっているケースが多いのです。

 

もちろん、中には仏教布教の場として機能している寺もあるでしょうが、そうだとしても、そこにあるのはあくまでも人間と人間との交流であり、人間と神・仏・霊との交流ではありえません。

 

仏教それ自体が、一部のものを覗いて、もともと現界における一つの論理体系である以上、それは当然のことであります。

 

キリスト教の教会にしても、同様であります。

 

要するに、現代の日本を見渡したところ、寺院も教会も、隈本確先生が説く神霊学とは世界が異っており、私達人類の先輩である実在する霊界人とは、あまり関係がなさそうです。

 

 

 

 

 

実家の地域の人社

 

 

>真に実力ある神霊能力者が消滅しつつある現在、この超神道の道も、自然消滅の傾向にあると言わざるを得ません。

 

私が子どもの頃、実家のある地域に神社がありました。

 

子どもだった当時は、神社とはこんなものと思っていましたが、今思えばおかしな言い方かもしれませんが、とてもしっかりとしたいい神社だったと思います。

 

その神社には気が生い茂っていて、神社の境内は真夏でも暑さを忘れるくらい涼しかったことを覚えています。

 

そして、夏休みには毎年子供会で神社の境内の草むしりをしなければいけないことになっていました。

 

みんな大っぴらに文句も言えないので、小さい声でブツブツ言いながら草むしりをしていました。

 

私が、成人したころに母が、あの神社にいらっしゃる神様はとても位の高い神様だと言っていました。

 

その頃の私は、神様には全く関心がなかったので、フーンくらいにしか思っていませんでした。

 

結婚をして子供が生まれて、子供も小学生くらいになっていたので、もう廃校になってしまっていた私の卒業した小学校の跡地を子供に見せようと出かけました。

 

その元小学校の近くに、あの神社がありますので、帰りに寄りました。

 

神社によった私は、神社の変わりように驚いてしまいました。

 

あんなにうっそうと生い茂っていた沢山の木々がほとんどなくなっていたのでした。

 

神社というのは、うっそうと木が生い茂っているものだと思い込んでいた私は、神社の神様に対して申し訳ない想いでいっぱいになってしまいました。

 

思わず神様に申し訳ありません、と言ってしまいましたが、神様からは何の返事もありませんでした。

 

実家に帰ってから弟に、神社にいっぱいあった木が無くなっていて驚いた、と言ったら、弟が言うには、「みんなが忙しくて、お宮さんの世話が大変だから、元から木を切ってしまった」という事でした。

 

弟も、あんまりよくないと思っているようでしたが、地域の人達との話し合いで決まった結果なので、しようがない、という事でした。

 

戦後、神様への意識が大きく変わってしまった結果なのでしょうね。

 

神様を信じなくなったというか、目に見えないものに対しての敬意というものが無くなった気がします。