聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

信仰熱心なつもりが・・・

前回の続きです。

 

悪循環

 

多くの人達が神仏画(神仏像)、宗教的掛け軸や位牌や経巻、お札、お守りを必要以上に尊奉や畏怖の特殊感情を抱き、また、こういう人達に限って、やれ法事だ法要だと言っては様々な宗教的祭式、行事に明け暮れています。

 

あるいは、家の中に立派な神棚や仏壇をしつらえただけではまだ足りず、あちこちの棚に神仏像を祀ったり、壁にはヘビやキツネが描かれた掛け軸をつるし、経文を書いた紙やおどろおどろしい呪符、護符のたぐいをペタリペタリと張り付けているのには、全く、やれやれという感じです。

 

しかも、こうした古物屋同然の家の中で暮らしている人達は、年がら年中、自ら祀った神仏具や書物に囲まれて、それらを拝みまくり、ご利益を求めたり呪いを恐れたりする不健康な精神生活を送っている場合が多いのです。

 

これでは、日常生活自体が、がんじがらめの金縛り的な息苦しいものになってしまうのも当たり前です。

 

かくて、家じゅうに祭ってある神仏具などの全てに、次第次第に当人に不健全な念が付着してくるのです。

 

先程も言ったとおり、隈本確先生のもとへお焚き上げとして持ち込まれる品々の約半数までに、それらを祀り、依頼心を注ぎ込んだ人間の欲望、不安、恐怖といった低い想念が付着しているのですが、そのような己の念がこびりついた品々にとり囲まれて生活していると、今度は、物体にこもった念が自分自身の身の上に跳ね返ってきて、心身共に縛り付ける結果となるのです。

 

一旦物体に封じ込められた念とは、現象界にそのような作用をひきおこすものなのです。

 

したがって、神社、寺院が発行した時点においては何らの神霊的作用をもちません。

 

単なる木片、紙切れにすぎなかったお札やお守りも、深い思い入れ込めてそれが祀られた瞬間から、祀り主の想いを受けて新たな生命を吹き込まれとごとく、物体でありながらある種の物理的な力をもち始めるのです。

 

と同時に、同じ波長をもった悪霊、低級霊が、それらの物体に、また、部屋に雲霞のごとく群れ集まり、付着してくるのです。こうなってくると、それは祀り主に対して、まさしく、その心(想念)を反映しる反射鏡となり、また、自然的に悪霊・低級霊招霊の原理が働き、祀り主当人には自繩自縛の状態が生じてきます。

 

だから、家の中には欲望、不安、恐怖といった悪想念を放射する物体が沢山あればあるほど、当然、「類は友を呼ぶ」法則にのっとって、悪霊の低級霊が好んでやってくるようにもなってしまうのです。

 

ここで、もう一つ言えば、宗教従事者自身の想念が、やれヘビ、キツネの祟りだ、水後の霊障だ、墓の作りがどうのこうのという方な低級霊思考であれば、その宗教、教団自体も、くらい低い想念の集団になってしまうという事です。

 

したがって、それらの教団、団体は憑依霊障がい者の集会的存在となり、入会、入信したばかりにかえって病気がひどくなったり、不幸が多発するといった現象も生じてきます。

 

それと同時に、本来、神霊と何の関係もなかったお札、お守り、その他の神仏具にしても、祀り主の想念いかんによっては、低級霊、悪霊のかかりどころとなり、それらを祀ってある部屋はもちろんのこと、家全体が低級霊、悪霊の棲み処と化し、妖気が漂ってくるものです。

 

その結果、家族に病人が絶えない――などなど、何事もうまくいかなくなり、低級霊、悪霊による蟻地獄の底辺の生活を余儀なくされるようになってしまいます。

 

 

  

 

私の体験

 

>家じゅうに祭ってある神仏具などの全てに、次第次第に当人に不健全な念が付着してくるのです。

 

今回の記事、けっこうありそうな話です。

 

本人は熱い信仰心があるつもりでいるのに、現実は反対の方向に行ってしまっているという……

 

怖いですね……

 

>神社、寺院が発行した時点においては何らの神霊的作用をもちません。

 

今回の記事とは直接関係ありませんが、数年前に私が体験した話です。

 

私はパソコン教室に通っています。

 

その頃、「パソコンからの電磁波から守ってくれるシールというのを欲しい人は売ります」と、先生が言うので、とりあえず3枚買って帰りました。

 

買って受け取った時は何も感じなかったのですが、帰宅してからそのシールを見ると、そのシールからとても嫌な感じのエネルギーを感じました。

 

私は、そのシールに霊流を流しましたが、流しても流してもそのシールから嫌な感じのエネルギーがドンドン流れてきて、際限がないのです。

 

丁度、日神会のお札から神様のエネルギーをいただいてもいただいてもなくならない、もっともっと流れてくるのと同じ感じでした。

 

私もこんなことは初めての体験でした。

 

私は怖くなってそのシールを捨ててしまいました。

 

捨てた後、先生やそのシールを買った仲間のことが気になりました。

 

次の週に先生を見ると、先生の全身を黒いものが包んでいる感じがしました。

 

私は、そのことを先生に言っていいものかどうか迷ってしまいました。

 

今の私なら言っているでしょうが、当時の私はその感覚が本当のものかどうか自信が持てなかったのと、先生を包んでいる黒いものと、シールにつながりがあるのかどうかわからず、結局何も言わずにいました。

 

ところが、その2週間後くらいにパソコン教室に行くと、先生の娘さんがいて、先生は意識不明で倒れたというのです。

 

それから私は物凄く後悔をして、娘さんが信用をするかどうかわからないけれど、自分が感じたことを娘さんに話して、真剣に遠隔治療を行いました。

 

それから数か月後に先生は元気にパソコン教室にに戻ってきました。

 

今でも元気です。

 

それからは、おかしいと思ったら、その人に伝えることにしました。

 

あのシールは、娘さんはお母さんに黙って捨てたようです。

 

パソコン教室の仲間は何もありませんでした。