聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

宗教のあり方

心の力次第

 

隈本確先生はある特定の宗教、それ自体の批判をしようとしているのではありません。

 

隈本確先生は、これまで、どのような宗教に対しても宗教そのものを否定したことはないし、今後も否定しようとは思いません。

 

それに、古今東西を問わず、事実、人間界倫理の良いことを教えているからです。

 

ただ、宗教のあり方が問題なのです。

 

隈本確先生は、「宗教」という名に悪乗りして世間に害毒を流す人間や組織に対しては、許せないという気分を強く持っています。

 

隈本確先生の所へみえる神霊治療依頼人の多くの方々が、治療後、時々次のような質問をする人がいます。

 

「実は、わたしは病気が治ると言われて、十年以上もの間○○宗教に入信しており、現在、○○の御本尊をお祀りしてあります。

ですが、いっこうに病気は治りませんでしたし、今日、こうして先生の神霊治療のおかげで病気は治ってしましまいました。

そこで、私の本心としては、もう、この辺で十年来の信仰をさっぱりとやめて、御本尊も片付けてしまいたい思っているんいるんですが、いかがなものでしょうか。信仰仲間や会の幹部の話では、そんなことをしたら大変なことになる、どんな事態に陥るやもしれぬというのです。

そんなふうに言われると、やはり恐ろしい気がしますし、もし、本当に何かイヤなことでもあったら、それこそ、大変ですし……」

 

このような質問を受ける度に、隈本確先生は、いつでも次のように言っています。

 

「ああ、どうぞ、安心してやめてください。やめて罰が当たるような宗教は、それは悪宗教の見本です。お祀りするのをやめたら罰を当てる本尊、案心して処分してください。悪本尊です。やめたら罰を当てる教祖、神、聖人でも神でもありません。悪霊です。」

 

と、このように言うと、読者の方々の中には、悪霊なら、なおさら恐ろしいではないか、と思われる方があるかもしれません。

 

しかし、それは杞憂であります。

 

というのも、神・仏・霊というものは、それがどんな高級神であろうと悪霊であろうと、あくまでも人間の想い、主体的な働きかけという心の技法によってこそ、現界に作用してくるものであります。

 

神・仏・霊とコンタクトをもとうと思ったら、わたしたち自身の心の力によるしかないのです。

 

したがって、宗教そのもの、会そのものには何らの力や働きがあるものではなく、本尊やお札にしても同様です。

 

次回に続きます。

 

 

   

 

 

やめる勇気

 

>そんなふうに言われると、やはり恐ろしい気がしますし、もし、本当に何かイヤなことでもあったら、それこそ、大変ですし……」

 

こういう気持ちは、私はよくわかります。

 

隈本確先生から見れば、くだらないと思われるかもしれませんが、長い間信仰を続けていると、お祀りをして当たり前になっていて、これをやめると罰が当たるのではないか、しかも同じ信仰仲間や幹部に言われるとよけいにそう思ってしまい、やめるというのは勇気がいることでしょう。

 

あれだけのことがあったオウム真理教にしても、名前を変えて未だに存続しています。

 

それが宗教の怖さでもあるのかもしれません。

 

>「ああ、どうぞ、安心してやめてください。やめて罰が当たるような宗教は、それは悪宗教の見本です。お祀りするのをやめたら罰を当てる本尊、案心して処分してください。悪本尊です。やめたら罰を当てる教祖、神、聖人でも神でもありません。悪霊です。」

 

隈本確先生からはっきりと、このように言っていただけるという事は、本当に心強いと思います。

 

安心してやめることができると思いますし、いざとなればまたここにきて浄霊をしていただけるという心強さがあると思います。

 

安倍総理を射殺したとされる山上の母親にしても、息子があのようなことをしていても、未だにやめる気はないようですし……

 

あの時の謝罪も確か、教団に迷惑をかけて申し訳ない、という謝罪だったと思います。

 

ため息しかありませんね。