前回の続きです。
霊障による自殺(その5)
もし、あなたが神を冒涜し、神を神とも思わないようなこと、人を人とも思わないような、ことをした時、一番悲しみ、痛み入るのは、あなたの内面深くひっそりと控えている魂の存在でありましょう。
あなたの魂は、あなたの想念が汚れることを最も嫌うのです。
そのことによって、魂自体までも汚されていくことを、何よりも恐れ、嫌っているのです。
だから、人間・凡夫の想念界が汚れ、すさんできて、魂自体が、「もはや、これ以上我慢ならじ」と判断した場合には、ある日突然、魂自らの力と裁量で人間・凡夫の肉体から離脱していくのです。
現象的には、この魂の離脱が突然、魂の離脱が突然の自殺によってなされることもあれば、原因不明の突然の病死や事故死によってなされることもあります。
いずれにしても、自らの魂に見捨てられたものの気の毒な最後であります。
人間自身がもっている魂が独立した意志体であること、そして、その魂が自らの意志で肉体を捨てて霊界へ旅立っていくことによる人間の死—―。
ついさきほどまで元気にしていた人が、その人自身に内在する魂の力によって突然の死を迎えるということ(例えば、ぽっくり病、心臓発作、脳溢血などによる死)、そのような現象について、あなたは考えたことがあったでしょうか。
その死が、たまたま自己の魂の誘導する自殺であった場合には、原因不明の謎の自殺として、周囲の人達を大いに困惑させることにもなるでしょう。
社会苦による自殺
私たちは、自分を取り巻いている周囲の状況にうまく対応できず、悩みこんでしまうことがあるものです。
たとえば、事業の不振とか倒産、対人関係の失敗、失恋、家族の死……などなど、世の中に悩みのタネとなるものは多いものです。
しかし、これらの不幸な状況下にあっても、自分の心が負けさえしなければ、やがて立ち直ることができるものです。
一方、それらの不幸な状況の中で自分の心が負けてしまった場合には、さらに不幸が不幸を呼ぶようにして、芋づる式に不幸は広がってしまうでしょう。
というのも、人間の心が不幸に負けてしまって弱くなってしまったときというのは、低級霊の憑依を非常に受けやすく、したがって、本来悪くなかった体までもが悪くなって、ますます苦悩のタネが増えていくからです。
かくて、その苦しみから逃れたいがゆえに自殺をはかるというケースは、大変多いのです。
また、いえることは、社会苦によって心身が衰弱している時には低級霊、悪霊の憑依を受けやすいところから、悩み多い人にあっては、不意の霊障によって発作的に自殺をしてしまう場合もあるということです。
したがって、社会苦によるの自殺言っても、最終的には霊がらみのことも多いものです。
不思議な日々
>人間自身がもっている魂が独立した意志体であること、そして、その魂が自らの意志で肉体を捨てて霊界へ旅立っていくことによる人間の死—―。
この件について、非常に世俗的発想で申し訳ないのですが、こういう魂はどの辺に行くのでしょう。
こういう意思があるということは、ある程度の魂としての大霊界的倫理観があるのではないかと、凡夫の私は思っております。
人間社会には、それはそれはひどい人たちがいます。
それでも、元気に憎まれっ子世にはばかるをしています。
魂が自分から、というのは魂によって違うのでしょうか。
大霊界的には基準があるのでしょうか、気になります。
できれば、霊能者の先生に聞いてみたいと思いますが、実際に会うと聞けないだろうなぁ、と思います。
今回の話とは関係がありませんが、以前に相続税の話を書きましたが、聞いていたのとは違い10倍だったと書きましたが、夫の勘違いというか聞き違いで正式の金額がはっきりしました。
最初に聞いていた金額の2.5倍弱でした。
つまり、心配していた10倍の金額の4分の1の金額でした。
ホッとしたのですが、その後の私が気が抜けたのか、何にもする気が起こらず霊流も引くのですが、何だか自分の心がここにあらずという感じで、ふわふわ浮いているような、そして何もする気が起こらずただただ眠いという日を過ごしておりました。
やることは山ほどあるのに何もできないという日が続き、今日やっと眠気がなくなりました。
なんだか不思議な、今までも体験したことのない日々でした。
こういう時も、自分がしっかりしなければと奮い立たしたくても、とにかく眠気が先に立ってどうしようもありませんでした。
自分でもよくわかりませんが、元気になったので良かったです。