聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

平気でうそをつく人は意外と多い

本音と建前が違う人

以前書いた「悟りに言葉はいらない」ということに関連して、言葉ということについて少々考えたいと思います。

隈本確先生は、長年言葉を超えた神霊世界の仕事をしている関係上、人間の心と言葉の間に存在するギャップに対して非常に神経質になっています。

本音と建前の違う人には、ほとんど嫌悪感に近いものを感じてしまうのです。

「心にもないお世辞を言ったり、心と裏腹のことをさも真実らしく語ったりする人物は、まったく我慢ならない存在であるが、彼らは、自分自身の背後霊や先祖霊にその心の実物を全て把握されているということを、一刻も早く知るべきでしょう。

自らの想念界で制作したウソを平気で喋り散らしている人達は、まことに気の毒な人達であります。

人に平気でうそをつく、本音と建前が違うということは、要するに自分の心、魂に対してウソをついているということになります。

わたしたちが、肉体の死後も魂だけの存在となって永遠の大霊界で生き続けなければならないことに思い至れば、これは大変なことであります。

もし、あなたが不幸にして自らの魂を欺くことを日常しているとしたら、一分でも一秒でも早く、ぜひ、ことの重大さに気づいてもらいたいものです。

はっきり言ってしまえば、隈本確先生が見渡したところ、このような人たちは案外多いのです。

さしずめ、一部霊能者、祈祷師の間で盛んな水子供養など、まさにまやかしそのものの行為であります。

かつて、インチキの合成写真でいかにも水子霊なるものが写っているかのように見せかけて、依頼人からお祓い料をとっていた自称霊能者、実はペテン師が社会をにぎわしました。

まったく迷惑な話であります。

しかし、この事件にしても宗教や神霊に絡んだ氷山の一角に過ぎないのです。

実際に自分自身で水子霊の存在を確かめることもできず、その存在自体を認められないにもかかわらず、一部の 自称霊能者、宗教従事者たちは、「水子霊の供養引き受けます」などとまことしやかに言います。

建て前の面では水子霊救済の錦の旗を掲げ、その実、本音をさぐれば水子供養ということを単なる金儲けの手段としているわけです。

 

次回に続きます。

 

 

 

ある出来事

>人に平気でうそをつく、本音と建前が違うということは、要するに自分の心、魂に対してウソをついているということになります。

 

同居していた義母が、まさにそんな人でした。

自分でうそを言っていることに対して自覚があるのかないのかわかりませんが、自分の都合が悪くなると、決まって自分が被害者になり、夫や私が悪者になっているのが当たり前でした。

だから、知らない人が聞いていると、わたしは鬼嫁だったようです。

結婚して数年が過ぎた頃にこんなことがありました。

義母に電話をしてほしいという人がいました。

私は、義母が帰宅してから、そのことを伝えました。

ところが、義母は電話をすることを忘れていたようです。

私に電話を欲しいと頼んだ人から電話がかかって来たようです。

そんな時、私が近くにいて電話をしている義母の言っている言葉が聞こえる場所にいるのにもかかわらず、平気で「嫁が教えてくれなかった」と、私が伝えなかったことにしていました。

義母は、電話を切った後も平然としていました。

その様子を心や魂の親さんがしっかりと見ているのですね。

昔から日本では、お天道さんが見ている、という言葉がありました。