聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

神の心にかなうための模索が大事

一つの心が大切

隈本確先生は以前から、死の間際の想念が大切であると強調しています。

この言葉の意味するところは、誰でもたった今心の底から反省し、心の姿勢の全てを切り替えれば救われる、ということでもあります。

自らの心のあり方が間違っていたと気づかれた方があれば、即座に大いなる反省をし、改悛の情を燃え立たせてほしいと思います。

心の世界とは、たとえ一秒の反省であっても、その想いが本当に深いものであれば、天に通ずる世界であります。

それだからこそ、心のあり方次第では、神霊治療をはじめいろいろな奇跡すら可能なのであります。

人間、この生身の肉体はいつ死ぬか知れないからこそ、常に心の管理を怠ってはならないという道理も成り立つのです。

人間は、一つの心こそ大切なものであると思います。

本音と建て前が違うということ、つまり二心(ふたこころ)、三心(みごころ)を抱くということは、自己の魂を苦しめ、自分自身を破滅へと導くものであることを知るべきなのです。

 

  目に見えぬ神の心にかなうこそ

        人の心のまことなりけり

 

これは、明治天皇の御製であります。

この歌の中には難しい言葉は一つもないけれど、これほどに神霊と人間とのつながりの妙、ならびに心の指標を言い得た言葉もないと思います。

この人間界で生活している私達は、普通の状態では神の姿を拝することもできませんが、霊界の実相を見聞きすることもできません。

しかし、地球をも含むこの大霊界には実際に神霊がおられ、私たちは日々、そうした神霊との何らはのかかわりの中で生きているのです。

そうであれば、私達は目に見えない神の心に対して、形式とか外見にこだわることなく、ひたすら真心からの行いで応えていくべきなのだと思います。

私たちの毎日の生活の中に、諸々の事象として顕現されたくる想念界の様相を一つ一つ整理し、反省し、そして、どのような想念こそが神の心にかなうのか、ということを絶えず模索しつつ生きていきたいものであります。

そのような目に見えない努力を、何年、何十年と続けていくことによって、きっと、わたしたちの心(魂)は昇華、美化されていくことでしょう。

それが、人間の魂が成長していく過程でもあるのです。

 

 

 

私の反省

今回の記事とは全く関係のない話です。

私は「週末ビフォーアフター」というyoutubeが好きでよく見ます。

毎週金曜日のお昼前くらいだと思いますが、更新されます。

依頼のある家庭に行って、片づけをするのです。

この「週末ビフォーアフター」というyoutubeの特徴は、「捨てなさい」とは言わないのです。

依頼人だけでなく、依頼人の家族の想いもきちんと聞いて、家族にとって一番生活しやすい収納を考えます。

そして、最低一部屋はきちんと片付けるのです。

そのyoutubeを行っている古堅純子氏によると、「捨てなさい」と言わなくても、一部屋でもきちんと片付けて気持ちのいい状態になると、家族全員の意識も変わり、おのずと捨てるべきものがわかってくるというのです。

だから、使用頻度の高いものは使いやすい場所に、使用頻度の低いものはあまり手の届かない場所や、使いづらい場所に収納し、家族だけになった時に散らかりにくい部屋にします。

入りきらないものは、あまり視野に入らないところに種類別にまとめておくというものです。

今日観たyoutubeでも、とてもきちんと片付いて使いやすくなっていました。

それを見た次男君(おそらく小学生)が、「ダメだ!ダメだ!」と、否定をしながら片付いた部屋を次から次と開けていました。

言葉にすると、せっかく片付いているのに、変な子と思われると思いますがこの次男君、口では否定をしていますが、家の中がどこもかしこも片付いて、嬉しくてしょうがなくて言っているのです。

この次男君を見ていると、まるで我が家の長男そっくりだと思いました。

我が家の長男も、必ずと言っていいほど否定していました。

そういう長男を見ていて、私はいつも悲しい気持ちになっていました。

この子は何故いつも、否定ばかりするんだろう、なぜ素直に言えないんだろうと。

長子だということもあり、私も子育てに力が入っていたんだと思います。

「週末ビフォーアフター」での次男君の様子を見て、古堅純子氏がとても温かい言葉を言っていました。

「口では否定をしているけれど、嬉しいんだよね」と。

それを見ていて、私は自分が長男の否定している言葉に対して、長男を否定していたけれど、長男の行動を見て長男を受け入れればよかったんだと、反省をしました。

もう大人になってしまった長男には、私が反省をしてももう遅いですが……