聖の親様と共に2

初心に帰って初代会長の隈本確先生の教えである「大霊界」の御本に沿って、日常の生活や日頃私が思っていること感じていることに絡めて、書いていきたいと思います。

水子霊商法による現実

水子霊商法は美味しい商売

 

昭和40年代まで、日本全国に水子霊を祀る寺院は一桁台ほどの数しかありませんでした。

 

それが、昭和58年では、全国に、寺院、その他の供養所を含めて、約8000もあるといいます。

 

毎日、どこかの新聞に水子供養を承るよしのお知らせが出ていますが、その一体につき、一万円とか二万円とか言う値段がつけられています。

 

そして、依頼者が、一万円なり二万円なりを供養所に送ると、それで水子霊は供養され、さっそく浮かばれるのだという供養所も多いのです。

 

しかし、もし、それが真実だとしたら、水子霊をもつと思われる人は全員、一体につき一万円なり二万円なりの供養料を送り続けることによって、病気も事故も、その他の不幸もすべて解消されてよさそうなものですが、現実に、そんなことはありえません。

 

いつだったか、隈本確先生は、某水子供養所のグラビア写真を見たことがありました。

 

それは、山を階段状に切り開いたものでしたが、おそらく見当たす限りといっても間違いではないと思いますが、それこそ、膨大な数に上る水子地蔵の群れです。

 

その様は、まるで墓石をびっしりと並べ詰めた碁盤を幾百、幾戦と、山肌に貼り付けたような異様な光景でした。

しかも、その水後霊地蔵たるや、写真を見ただけでもそれとわかるほどの安直な代物です。

 

その機械でポンポン、ポンポン量産されたであろう合成樹脂の黒い水子地蔵と思われる物体の塊の前には花一本、水一杯供えらえているでもなく、あちこちに傾いたり、転がったりしているのでした。

 

それは、言ってみれば、単に合成樹脂のの十センチあまりの人形を切り開いた山肌に並べてあるだけなのですが、手紙一枚と何万円かで、その供養を引き受けるという水子供養所の風景です。

 

全く、近年、水子産業も驚くべき勢いで広がったものです。

 

日本は堕胎天国と言いますが、そのあたりに目を付けた、実にあざとい商法と言うべきでしょう。

 

水子霊そのものについて論じる前に、まず、現在のような水子霊問題がブームのようにして昭和50年頃から急速に台頭してきたこと、そして、それに付随して水子産業たるものが発達し、地下で何百億円という金が動き、その恩恵に浴してはほくそ笑みの止まらない人達がいることを心にとめておいてほしいものです。

 

 

 

 

 

 

水子霊でぼろもうけ

 

考えさせられますね。

 

>山を階段状に切り開いたものでしたが、おそらく見当たす限りといっても間違いではないと思いますが、それこそ、膨大な数に上る水子地蔵の群れです。

 

私もこの写真と思われるものを見たことがあります。

 

当時は、隈本確先生のような鋭い見方をしていませんでした。

 

合成樹脂の水子地蔵などとは思いもしませんでした。

 

ああ、事情があってお腹の子供を堕胎するしかなかった女性の後悔や堕胎した子供への母親としての懺悔の気持があんな形になったのかな、というくらいにしか考えていませんでした。

 

>一体につき一万円なり二万円なりの供養料を送り続けることによって、病気も事故も、その他の不幸もすべて解消されてよさそうなものですが、現実に、そんなことはありえません。

 

これって毎年一回なのか、毎年春秋のお彼岸とお盆の三回に各一万円なり二万円なり供養料を送り続けるという事でしょうか。

 

だとしたら、私の中でぼろもうけじゃん!という曇った心がつぶやいています。

 

>現在のような水子霊問題がブームのようにして昭和50年頃から急速に台頭してきたこと、そして、それに付随して水子産業たるものが発達し、地下で何百億円という金が動き、その恩恵に浴してはほくそ笑みの止まらない人達がいることを心にとめておいてほしいものです。

 

う~ん、考えさせられますね。